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「勇人、ほら。もっとネクタイをビシっと締めて」
「分かってるよ……ったく、大丈夫だよ」
「大丈夫大丈夫って! そんなんでお嫁さんもらって平気だと思ってるの?」
「まぁまぁ、母さん。男の晴れ舞台なんだ。勇人に任せてみようじゃないか。な?」
「あなたは本当、甘いんだから……とにかく、ビシッとするのよ。いいわね?」
前日の夜。
優子はあの日からずっと続いていた願い事とは違う願いを、短冊にしたためていた。
——やっと出会えた織姫と彦星が、ずっとずっと幸せでありますように
それは息子と、その妻になる二人の未来を祝福する願い事だった。
短冊を飾ると過去へ過去へと流れて行った願い事が、ついに光を失くして遠くの空へと消えて行った気がした。
※※※※※※
七月七日は生憎の雨だった。
空を見上げればどんよりとした蒸した灰色の空が広がっている。勇人はこれから妻になる恋人と、その両親が待つ奥の間へと先頭を切って廊下を進んで行く。
奥の間の前に立った勇人が襖に手を掛けると、優子が背中で小さく囁いた。
「勇人、しっかりね」
「……うん」
大丈夫、と言わない息子の声に優子は少しの不安と、大きな頼り甲斐を感じていた。
勇人がゆっくりと襖を開き、頭を深々と下げる。
立ち上がる恋人と、その両親。
それと同時に、頭を下げる優子と、夫。
通過儀礼のような時間が一瞬で去り、頭を上げた途端に優子は目を丸くした。
相手もまた、すぐに分かったのだろう。
あの日からずいぶんと、長い時間が経っていた。
それはすべてを忘れるには十分なほどの時間だった。
しかし、二人の子らの悪戯な運命により、知らぬ間に優子の願い事は叶えられていたのだった。
優子と勝は視線を合わせ、互いに涙が溢れそうになるのを必死に堪えた。
歯を食いしばり、唇を噛み締めた。
そして、互いに生まれて初めて会ったような顔で微笑んだ。
「初めまして」
やっと声を出した勝は、次の瞬間には堰を切った様に涙を流し始めた。
挨拶も早々に累々と落ち続ける涙の数に、優子は時間の過ぎた悲しみよりもずっとずっと深い安堵を感じていた。
願いをしたため続けた相手の想いは、離れ離れになったあの日から少しも変わってはいなかったのだ。
美織が「お父さん、泣くの早すぎるよ!」と言う声に、部屋中は朗らかな笑い声に包まれる。
こうして離れ離れになった織姫と彦星は、長きに渡る幻の逢瀬に終わりを告げた。
笑い声と共に遠く離れていた二つの星はひとつになり、やがて空の向こうへと消えて行った。
ひとつになった星は、それからもう二度と離れる事はなかった。
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