長い逢瀬

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 昭和五十三年。夏。  緊張の面持ちで、勝は優子の自宅の前へ立っていた。  たった一つだけ持っていた白い綿シャツはたっぷりと汗を含み、胸元から風を入れようにも肌に張り付いて中々離れようとしない。   「入ってくださる?」  怪訝な顔を浮かべながら、優子の母が玄関の引き戸から顔を覗かせた。その背後に立つ優子は、先ほどまで泣いていたようで、目を赤く腫らしている。 「優子。目ぇ真っ赤で、どうしたん?」 「まー君、入って。お父さん……待っとうから」 「……お邪魔します」  靴を脱いだ勝は上り框の前へ並んだ靴と、薄汚れた自身の靴をつい見比べてしまう。  目を逸らそうと顔を上げると、優子の母が勝の脱いだ履物をじっと睨みつけている。    「すいません」  つい口を出た言葉に、母はうんとも寸とも言わずに、背を向けて廊下の奥を進んで行った。  薄暗い廊下を抜け、扇風機の回る居間へ入ると優子の父が居間の入口に背中を向け、胡坐を掻いていた。  勝は卓袱台に腰を下ろしたが父は背中を向けたまま、何ら反応もなく、声を掛けてくる様子もない。水のひとつも差し出される事なく、完全に厄介者と思われていることを勝は蝉の声だけが行き渡る居間で、痛感する。  とにかく話しを切り出さなければ仕方ない。そう決心した勝は岩のようにも思える父の背中に声を掛けた。
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