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禁じられた名前
序章
「運命の出会いがいつあなたに訪れるのかはわかりません。しかしそれは今日かもしれないのです!」
朝の情報番組でやってる占いコーナーが今日もその決まり文句で始まった。暮地は出勤前に必ずそのコーナーを観ていた。しかし運命の出会いなんて本当にあるのだろうか、そしてそもそも運命の出会いとはいったい何を指して言うのだろうかといつも思っていた。
第1章 1月19日 その1
それは退社途中の電車の中だった。暮地のスマートフォンがいきなり振動してメールの到着を知らせた。
「かぎ回るな」
そこには一言そう書かれてあった。差出人の名前も書かれていないし、メールアドレスもそのスマートフォンには登録されていないものだった。
(かぎ回るなって言ったってどういうことだろう。そもそも何をかぎ回るなと言うことだろう)
暮地はそう思ってその迷惑メールを即刻削除した。
彼の名前は暮地修。彼の両親は彼が社会人になった数年後に他界した。平均寿命からするとまだまだ早かったが、幼い頃に両親を亡くした人のことを思うと、彼が独り立ちする姿を見てもらえただけでも良かったのかもしれないと思った。
暮地修には兄弟姉妹がいなかった。それで父の歳の離れた姉の娘、つまりその従姉と何となく馬が合った。従姉の名前は大森美紅といった。その美紅と彼とは一回りも歳が離れていて、彼女には小さい頃よく遊んでもらった。なんでも近く美紅の娘、つまり暮地修からしたら、いとこ姪という関係になるらしいのだが、その亜季が結婚することになったらしい。それでその招待状が暮地修にも送られて来た。暮地修は披露宴当日の受付とか何かお手伝い出来ることがないかと思い、会社帰りに美紅の家に寄ってみることにした。
第2章 1月19日 その2
美紅の家は山手線の高田馬場で西武新宿線に乗り換えて、下井草という駅で降りるとそこからすぐの所にあった。
「こんばんは」
美紅の家の玄関はいつも開いていた。それで暮地修は物騒だからちゃんと鍵を閉めたらどうかと何度か言ったことがあった。しかし、人というものはなかなか習慣を変えられないらしい。その時はわかりましたと言いながら、やはりその日も玄関は開けっ放しの状態だった。暮地修は苦笑いをしながらそのドアを開けた。するとその途端、スーツ姿の男二人が彼の方を振り返った。
「あ、お客さんだったんだ」
そこには美紅もいた。
「こちら、警察の方」
「警察?」
するとその二人は暮地修を値踏みするような目つきで見た。
「この人は私の従弟なんです。私の母の弟の息子さんです」
美紅がそう言って暮地修のことを紹介すると、その二人は安心したように挨拶をした。
「警視庁の本間です」
「同じく三日月です」
「暮地修といいます」
暮地修は刑事がこの家に何の用かと思った。
「美紅さん、もしかしたら空き巣にでも入られたの?」
暮地修は半分冗談のつもりでそう言った。しかしそれにしてはその場の空気がやけに重く感じられた。
「ううん。大叔母さんがね、殺されたんだって」
「大叔母さんが殺された?」
しかし暮地修はそう言ったものの、その人がどんな人なのか思い出すことが出来なかった。
「うん。暮地響子さん。覚えてない?」
「うーん」
暮地修と美紅がそこでやり取りを始めたので二人の刑事はそれでは失礼しますと言って帰ってしまった。どうやら簡単な事情聴取のようだった。暮地修はそれから美紅の家に上がると刑事が話したことを聞こうと思った。
第3章 1月19日 その3
「さっきの刑事、なんだって?」
「響子大叔母さんが殺されたっていうことだけを知らせに来たの」
「そうなんだ。でも殺されたってどういうことだろう?」
「犯人はまだわからないって」
「物取り?」
「どうかしら。でも恨みを買うような人じゃないと思うし」
「それでさ、その響子大叔母さんて誰なの?」
「おじいちゃんの妹さんで、ずっと独身を通した人」
「いくつ?」
「90は超えてると思う」
「そうなんだ」
「修君のご両親のお葬式にも来てたよ」
「そうだっけ?」
「うん」
暮地修はそれからその響子という祖父の妹のことを美紅に色々と説明された。しかし、やっぱりその人を思い出すことは出来なかった。
「そういえば亜季ちゃんは?」
「それが毎日遅いの。悟さんと一緒だから別にいいんだけどね」
「悟さんて?」
「婚約者」
「あ、そっか」
「なんでも新居の準備だとかで忙しいんだって」
「やっぱり別に住むんだ」
「そうね。若い人は若い人同士、年寄りは年寄り同士っていうことかしら」
「そんな。美紅さんはまだまだ若いよ」
「修君、お世辞が上手くなったわね」
暮地修は美紅にそう言われて少し照れ臭くなった。
「賢治さんも遅いの?」
それで暮地修は話題を美紅の夫のことに変えた。
「今年部長さんになっちゃってね。それで毎日残業ばっかり」
「そっか。賢治さんもとうとう部長さんか」
「最初はあの人に部長の大役なんて務まるのかしらって思ったんだけど、なっちゃったらなっちゃったで、なんとかなるもんなのね」
「いやあ、賢治さんは優秀な人だと思うよ」
「修君、ありがとう。お世辞でもうれしいわ」
結局その日暮地修は美紅と雑談だけをして帰ることになった。
第4章 1月22日 その1
それから数日経った日曜日の午後だった。暮地修は自宅のドアフォンの音に気持ち良い眠りから起こされた。
「どなたですか?」
「影山といいます」
「影山さん?」
暮地修は寝癖姿を見られたくなかったので、ドアフォン越しに話をした。
「グリーンエア探偵事務所の影山といいます」
「探偵?」
「はい」
暮地修は探偵だと言うその男に興味がわいた。それで髪を手櫛で直しただけでそのドアを開けてしまった。
「こんにちは、影山といいます。そしてこちらは助手の鈴木です」
その男の後ろには若い女が立っていた。暮地は一瞬しまったと思ったが既に遅かった。彼が二人に頭を下げると、探偵が名刺を差し出した。
「探偵さんが僕に用だなんて、まさか、祖父の妹さんのことですか?」
暮地修は探偵という肩書きに先週美紅の家で聞いた話を思い出していた。
「はい。そのことで今日はお伺いました」
「やっぱり」
暮地修は何かどきどきして来た。
「それでその暮地響子さんの相続の件でお話がありまして」
「相続?」
しかしその探偵の口から出た言葉は意外だった。
「はい。暮地響子さんがお亡くなりになったことはご存知ですよね?」
「はい。知ってます」
「暮地響子さんの遺言で遺産をお分けする仕事を任されています」
「そんなことを探偵さんがされるんですか?」
「はい」
暮地修は探偵という仕事が尾行だとか、素行調査だとか、もっと怪しいことをするものだとばかり思っていた。しかし、この探偵はそんな仕事もしているのだと知って驚いた。
「でも、祖父の妹は殺されたと聞きましたが」
「はい」
「犯人は捕まったんですか?」
「まだのようです」
「じゃあ、そんな遺産のことなんてしている場合じゃないような気がするんですが」
「そうですね。しかしそれも故人の遺志でして」
「そうなんですか?」
「はい。どんなことがあっても自分が死んだらすぐに遺産を分けて欲しいと遺言書には書かれてあるんです」
暮地修は探偵が言ったことには納得出来なかったが、故人がそういう遺言を残しているのなら、それに従うのも仕方がないと思った。
「故人はご結婚をされていませんでした。それで親族の方に自分の財産を平等に分けて欲しいと遺されています」
「その親族とは誰になるんですか?」
「故人の戸籍を取りました。それによると故人にはお兄さんが1人いました。それがあなたのおじいさんになります」
「はい」
「しかしあなたのおじいさんは既に亡くなられています」
「すると遺産はどうなるんですか?」
「あなたのおじいさんには6人のお子さんがいました」
「父からも兄弟は6人いたと聞いています」
「あなたのお父さんは6番目の方だったのですね」
「はい」
「その6人のお子さんに遺産は分配されます」
助手の鈴木は暮地響子の戸籍を書き写したメモを見ながら時折頷いていた。
「でも家が貧しかったとかで長男、長女と僕の父以外は小さい時に死んでしまったと聞いています」
「はい。それで響子さんの遺産はその残された3人のお子さんに分配されることになります。しかし、あなたのお父さんも既に亡くなられていますね?」
「はい両親とも他界しました」
「そこでお父さんの分があなたに、ということになったんです」
「僕に?」
「はい」
「その大叔母さんの財産が?」
「はい。つまり故人の遺産はあなたのお父さんのお兄さん、お姉さん、そしてあなたに分けられることになります」
「そうなんですね」
暮地修はそれを聞いて更に鼓動が高まるのを感じた。
「今日はそのことだけをお伝えに来ました。また遺産相続に必要な書類が揃った時に改めてお伺いさせて頂きます」
「わかりました」
やがて暮地修のどきどき感が、わくわく感に変わった。すると、遺産がどれくらい自分に入るのか気になって来た。それでそのことをその探偵に聞いてみることにした。
「その遺産は、どれくらいもらえるんですか?」
「おひとり2億円が少し欠けるくらいです」
「そんなに!」
「はい」
「それっていつもらえるんですか?」
「追ってお知らせします」
「はい。待ってます!」
影山と鈴木は最後にもう一度暮地に頭を下げると玄関のドアを閉めて帰って行った。
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