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第20章 2月4日 その1
その喫茶店のドアが開くとそこから本間が入って来た。すると待ってましたとばかりに三日月が大きく手を振って自分の居場所を伝えた。
「三日月、裏が取れたよ」
「わかりましたか!」
「どうやら林悟の同僚が偶然彼の会社のカフェで婚約者の母親、つまり大森美紅と話をしているのを目撃したらしいんだよ」
「どんな話をしていたんですか?」
「突然林が大きな声を出したらしいんだ。それでつい聞き耳を立ててしまったらしいんだが、なんでも別れ話だったらしい」
「まさか、婚約者の母親と出来てたんですか?」
「何を言ってんだよ!」
本間が呆れたという顔をして三日月に怒鳴った。
「違うよ。自分の娘との婚約解消だよ」
「あ、じゃあ昨夜大森美紅が言ったことは本当だったんですね」
「それでな。林はかなり落ち込んでいたらしいんだよ」
「なるほど。それで自殺ですか」
「どうやらそれで間違いないな」
「ではアルカロイドについては?」
「あんなの別に特別のものじゃないだろ。きっと婚約解消をされた暮地家に対する腹いせのつもりで、わざと暮地響子、暮地正夫の死因になった毒物を選んだんじゃないか?」
「あの時あの娘は信じられないと言う顔で母親の話を聞いていましたが、やっぱりこれが真実だったのですね」
「うん。一応裏が取れたことを母親のところに寄って報告しておいたよ」
「あの事情聴取の後、あの娘の様子はどうなんですか?」
「それを寄ったついでに聞いたんだけどな、よっぽどショックだったらしくて自室に閉じこもったままらしい。会社にも出勤していないし、母親とも一切口を利かないそうだ」
「そうでしょうね。自分の母親が婚約者を自殺に追い込んだんですからね」
本間は六本木の林悟の勤務先を訪れた後、下井草の大森美紅の自宅に寄った帰りだった。一方三日月は緑が丘の影山の事務所に寄った帰りだった。二人はその中間点でもない代官山の喫茶店で落ち合っていた。その不合理な場所で待ち合わせた理由は、そこが本間のお気に入りの隠れ家だったからだ。
「それで三日月、あの探偵の話って何だったんだ?」
「はい。本間さんの話にあった林悟の本当のお父さんの話でした」
「お、是非それを聞かせてくれ」
「はい。わかりました」
第21章 2月4日 その2
三日月が影山の探偵事務所に行くとそこには暮地修が来ていた。今日は暮地修のいとこ姪に当たる大森亜季の婚約者、つまり林悟の本当の両親について影山から説明があるということだった。影山は三日月が暮地修の隣に座るのを待ってしゃべり始めた。
「三日月さんにご同席頂いたのは、まだ林さんが他殺なのか自殺なのか、その判断がくだされていないからです。それでこれからお話しすることが何か捜査の参考になればという思いと、そして今まで捜査をして来られた立場として何かご意見を伺えたらありがたいという思いでこの場にお招きしました」
三日月はそう言われてそこで頭を下げた。
「林さんの戸籍を本籍のある区役所で取得しました」
そう言って影山は集まった人に林悟の戸籍を見せた。三日月がその戸籍を手に取ると、それは至って普通の戸籍だった。林悟は養子だと聞いていたのだが、どこにも養子などという表示はなかった。
「悟という名前のところには長男とありますが」
「はい」
「すると彼は養子ではなく、林家の実子だったということですか?」
「でも美紅さんが嘘なんかつくかなあ」
三日月が影山に質問をするとすかさず暮地修が間に割り込んで来た。
「嘘をつく必要があったのかもしれませんね?」
「どうして?」
それで三日月と暮地修とのやり取りになってしまった。
「それはわかりませんが、嘘をついてまで二人を別れさせたい理由があったとか」
「それはなんですか?」
「それはわかりません」
「でも、そんなことは考えられませんよ」
「でも何かあったのかもしれませんよ。林さんに別に女がいたとか。酷い浪費癖があったとか。実は隠し子がいたとか」
「まさか」
そうやって三日月と暮地修とのやり取りが際限なく続きそうになった時だった。そ
こでやっと影山が二人の助け舟を出した。
「特別養子縁組だったんですよ」
「え?」
その影山の一言で三日月と暮地修とのやり取りにピリオドが打たれた。
「その特別養子ってなんですか?」
三日月はその特別養子のことがわからなかったので質問をしてみた。
「6歳未満の子どもに限って適用される養子制度で、実子として扱われるものなんです。ですから戸籍には養子ではなく長男、長女という表記がされるんです」
「そんなことが出来るんですね」
「はい」
「では林さんにはその制度が使われたということですか?」
「はい」
「それってどこからわかるんですか?」
「その戸籍の身分欄をよく見てください」
すると影山は細かい字で書かれた或る場所を指さして話を続けた。
「ここに民法第817条の2による裁判確定云々と書かれてありますよね?」
「はい。なんだか細かい字で長々と書かれてありますが、この民法800何条というのは何ですか?」
「これが特別養子縁組をしたという証拠の記載なんです」
「あ、そうなんですね」
「はい」
「こんな細かい文字はぱっと見ただけではわかりませんね。なんかごちゃごちゃと書いてあって読むのも面倒だし」
暮地修は目が悪いのか、その戸籍を眩しいものでも見るように目を細めて覗き込んだ。
「しかしこの調査もここまでです」
「どうしてですか?」
三日月は林悟が養子だとわかれば両親の名前もすぐにわかるだろうと思った。
「養子だとわかれば、ここから先は簡単じゃないですか?」
「それがわからないようにするのがこの制度なんです。ですからこれから先はこの戸籍を突きつけて、その事実があったことを知っている人に問い質すしかないのです」
「それでは誰に突きつければいいのですか?」
それには暮地修が影山に質問した。
「父親と目される暮地徹さんは既に亡くなっています。そしてその父親の暮地正夫さんも他界しています。それから暮地正夫さんの奥さんもずっと前に離婚をしていて、今はどこにいるのかわかりませんでした」
「徹さんの奥さんは?」
「ご結婚されていないことになっています」
「すると悟さんは誰と徹さんの子どもですか?」
「婚外子だったのでしょう。それで養子に出されたんだと思います」
「なるほど」
「もしかしたらその養子の件は佐伯さくらさんや、暮地さんのお父さん、収さんもご存知だったのかもしれません。でも佐伯さくらさんはあのように過去の記憶をなくされていますし、暮地さんのお父さんは亡くなっています」
「では美紅さんはどうして悟さんのお父さんが徹さんだということを知ったのでしょうか?」
「以前にいずれかの方にお聞きになっていたのではないでしょうか」
「亡くなられた正夫伯父さんか、或いは記憶が定かだった頃のさくら伯母さんにですか?」
「恐らく」
「でもそれだったら初めて亜季ちゃんが悟さんを家に連れて来た時に気がつかなかったのかなあ」
「林さんのことは話を聞いていただけで実際に本人に会ったことはないのでしょう」
「でもそれでどうして彼がその悟さんだとわかったのでしょうか」
「そこですね。これは大森美紅さんが警察で証言したことですが、ブレスレットでわかったと言ったそうです。ですよね? 三日月さん」
「はい」
三日月は急に影山に話を振られてどきっとした。
「ブレスレットでわかったって具体的にはどんな経緯だったんですか?」
「林さんと亜季さんが婚約をして、新居を借りて、家具やら電化製品を入れるという段になって、まず新居の掃除をしようということになったそうなんです。その時大森美紅さんも掃除の手伝いでその新居に初めて行ったらしいんです」
「そこで何かあったんですか?」
「林さんが珍しくブレスレットをしていたそうです。きっと普段着の時にしかつけていなかったのでしょう」
「そのブレスレットがどうかしたんですか?」
「美紅さんはそれに見覚えがあったそうです。そのブレスレットのデザインが美紅さんの知っているそれと酷似していたそうなんです」
「どんなブレスレットだったんですか?」
「蝶のデザインが刻まれていたそうです」
「蝶?」
「ええ、アゲハチョウが左を向いた、いわゆる平家の家紋のようなデザインです」
「平家の家紋がどういうのかは知りませんが、美紅さんにはそれに見覚えがあったのですね?」
「ええ、それでそのブレスレットを外して見せてもらったそうです。するとその内側にROAD・Kと刻まれていたそうです」
「ROAD・Kですか?」
「ROADは道です。道は通るもの。通るは徹です」
「あ、そうか」
「なんでも暮地徹さんは自分の愛称をそのROADとしていたようなんです」
「するとそのブレスレットは暮地徹さんのものだったというわけですか?」
「元々暮地正夫さんの物だったものを徹さんにあげたものらしいんです。ROAD・Kは暮地徹さんが父親から譲られた後に彫ったものなんでしょう」
「でも何故それを美紅さんが知っていたんですか?」
「暮地正夫さんに昔聞いたことがあると言っていました」
「そうなんですね」
「但し、その時はそのことを林さんには何も聞かなかったそうです。ブレスレットを見せてもらっただけで、黙って返したそうです」
「黙っていたのはどうしてでしょう?」
「特にたいしたことではないと思ったのではないですか?」
「そうですか」
「でもその後でとても重大なことを思い出してしまったらしいんですよ」
「その重大なことって何ですか?」
「それは警察にも話をされたそうです。ね、三日月さん」
「はい」
「それはどんなことですか?」
「それは暮地家に伝わる遺伝病のことです」
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