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第22章 2月4日 その3
「そんなことを探偵さんが話したんだな」
「はい」
「林悟が暮地響子を殺害したという話は出て来なかったのか?」
「いいえ」
「林悟は財産が欲しくて自分の祖父を殺したのかもしれないんだぞ。そしてその罪の意識に苛まれてそれで殺害に使った毒で自殺してしまったのかもしれないんだぞ」
「考えられなくはないですね」
「だろ?」
本間にそう言われて三日月は少し考え込んでしまった。
「しかし、林悟は死んでしまった」
「はい」
「仮にだ。もし仮に林が自殺したとすると、暮地響子を殺した犯人が暮地正夫にしろ、林悟にしろ、これまでの事件はこれで終わりになってしまうな」
「ええ」
「しかしもしこれが他殺だとしたら」
「他殺だったら?」
「一連の事件の犯人は別にいるということになる」
「するとあの暮地修ですか?」
「ああ、彼しか残っていないことになる」
「しかしどう見てもあの男が犯人には思えないのですが」
「人を外見だけで判断してはいかんよ」
「いいえ、外見だけではなく、中身も犯人ぽくないのですが」
「中身も?」
「はい」
「三日月、人の中身なんてそうやすやすとわかるもんじゃないぞ」
「確かにそうですが」
「じゃあもし暮地修が犯人じゃないと言うと、いったい誰が犯人だというんだ」
「残った関係者は佐伯さくら、大森賢治、大森美紅、大森亜季、暮地修の五人です」
「その中に真犯人がいるということか?」
「それが、なんだかよくわからなくなって来たんです」
「情けないことを言うなよ」
「済みません」
「そういえば大森賢治はどんな人物なんだ?」
「全くわかりません」
「なんだ。調べてないのか?」
「はい。そういう指示もありませんでしたし」
「人に言われてから初めて動くような人間でどうする。気が利かないやつだな。とっとと調べて来い!」
三日月は本間に怒鳴られて大森美紅の夫であり、大森亜季の父である大森賢治を調べることになった。しかし三日月の足が向かった先はあの影山探偵事務所だった。
「ごめんください!」
「あら、三日月さん、今日は二度目のお越しですが今度はどんな御用ですか?」
探偵事務所で三日月を迎えたのは助手の鈴木だった。彼女は度の強いメガネを掛けていて、それがためか普段からその素顔はよくわからなかった。しかしそれを外したらきっと美人なのだろうと三日月は予想していた。髪は前髪を揃えたボブで、いつもマークジェイコブスルックのブラックデニムのスーツで決めていた。
「影山さんは不在ですか?」
「先生はちょっと所用で出掛けていますが、直に戻ると思います」
「それでしたら中で待たせてもらってもいいですか?」
「どうぞ」
三日月は事務所の中で影山を待たせてもらうことになった。そこのカッシーナというブランドのソファは最高の座り心地だった。それで三日月はそのソファにもたれかかるといつしか眠り込んでしまったようだった。
「おはよう、三日月さん」
三日月が人の気配を感じて慌てて目を開けるとそこにコーヒーカップを口に運んだ影山が座っていた。
「あ、すみません、ついウトウトとしてしまったみたいで」
「それは構いませんが、今度はどんな用で来られたんですか?」
「あ、実は大森賢治のことで何か知っていたら伺いたいと思いまして」
「大森賢治さんは大森美紅さんのご主人で、大森亜紀さんのお父さんの大森賢治さんですよね?」
「はい」
三日月は他に誰がいるのだろうかと思った。それでしばし影山と目が合った。そしてそれが三十秒も続いたろうか。いきなり影山が笑い出した。
「いや、失礼。三日月さんの頭がまだ働いていないようだったので」
「頭の体操ですか? 酷いですね、影山さんは」
三日月は影山につられて笑った。そして笑いながらようやく背もたれから身体を起こした。
第23章 2月4日 その4
「つまり、本間さんが三日月さんに大森賢治さんのことを調べて来いとおっしゃったわけなんですね」
「はい」
「すると本間さんは大森賢治さんも容疑者の一人と考えているのですね?」
「それはどうかはわかりませんが、とにかく僕に調べて来いと」
「そうですか」
「確かに林悟の名前を出して、容疑者の範囲を広げたのは僕ですが、そこに大森賢治まで加えるとなるとなんだか頭がこんがらがって来てしまったんです。それでついこちらに足が向いてしまったんですが」
「そうですね。確かにややこしくなって来るのは確かですね。では少しこの事件を整理してみましょうか」
「すみません。宜しくお願いします」
「先ず、最初の事件の暮地響子さんは他殺だということです。これは間違いないわけですね?」
「はい。アルカロイド系の毒による他殺です」
「そしてこの容疑者に暮地正夫さんが上げられています」
「はい」
「しかし、暮地正夫さんは自殺をしてしまった。それはどう考えたらいいのでしょうか?」
「殺した後で罪の意識に苛まれたとか……」
「なるほど。仮にそうだとして、ではそもそも殺害の動機は何でしょうか?」
「それは暮地響子の財産を狙ったのではないでしょうか」
「暮地響子さんの財産を狙って暮地正夫さんは彼女を殺したということですね?」
「はい」
「しかしそれは物取りではなかった。つまり、自分の叔母が亡くなれば、他に当然相続によって自分に財産が入るという計算だったということですね?」
「まあ、そうなりますね」
「しかし、甥である暮地正夫はそんなことをしなくても叔母の財産が入ったのではないですか?」
「そうですね」
「すると、その財産を早く欲しかったということでしょうか?」
「そうかもしれません」
「しかし暮地正夫が緊急にお金が必要だったということはどこからも出て来ないんですよ」
「それは警察の調べでも同じです」
「すると財産目当ての殺害は無理があるような気がするんです」
「うーん。そうですか……」
「はい」
「すると林悟が暮地響子を殺害したという線はどうでしょうか?」
「動機は何ですか?」
「やはり財産狙いです。それで孫の林悟の犯行を知って、祖父の暮地正夫が衝動的に自殺をしたのではないかと考えられませんか?」
「衝動的ですか?」
「衝動的ではなくても、罪の意識だとか」
「罪の意識ですか?」
「孫の犯行にショックを受けたんです。そしてそれは孫を養子に出してしまったという罪の意識を感じてしまったからとか……」
「でも、自分で殺害をしたのならまだしも、遠くに養子に出してしまってそれから全く会ったこともなかった孫のことで自殺なんてするでしょうか。そこにどれだけの思いがあったのか、僕はちょっと想像が出来ないんですが。暮地正夫さんはそういった遺書を残していないんですよね?」
「はい」
「それに、暮地響子さんの殺害の犯人が林悟さんだという場合ですが、どうしてそんな犯行に至ったのでしょう?」
「やっぱり財産狙いではないでしょうか?」
「林悟さんに暮地響子さんの財産が行くには、祖父の暮地正夫さんの死亡が前提になります。そこまで計算してたのでしょうか。僕にはそれはちょっと難しいと思うんですが」
「では、大森亜季との婚約破棄で自暴自棄になっていたとか」
「林悟さんと大森亜季さんが婚約破棄したのは、暮地響子さんが殺された後の話ですよね?」
「あ、そうでした。じゃあ、何だろう」
「結果として暮地正夫さんが亡くなり、林悟さんに財産が行くことになりましたが、暮地正夫さんは他殺ではなく自殺でしたから、その自殺を予想することはかなり難しいと思うんです」
「じゃあその自殺は林悟が仕組んだものだったとか」
「何か証拠が?」
「うーん」
そこで三日月は困ってしまった。
「林悟はまだ自殺か他殺かはわからないんでしたね?」
「はい。まだ報告が来てません」
「もしかすると本間さんはそこまで考えて、それで大森賢治さんが怪しいと思ったのではないでしょうか?」
三日月は影山にそう言われて、あの本間がそのような思考を巡らせられるはずがないと思ったが、その場では黙って頷いた。
「わかりました。ではお二人に協力しましょう」
すると影山は笑顔で三日月にそう言った。それを受けて三日月は心の中で思わず歓声を上げていた。
「ありがとうございます。影山さんにご協力頂けるなんて本当に助かります。それで早速なんですが」
「大森賢治さんのことですね?」
「はい。影山さんの方で何かつかんでいらっしゃいますか?」
「大森賢治さんは普通の民間企業にお勤めになっていたようですね。最近部長職に昇進したようですが」
「部長というとやっぱり偉いんでしょうね」
「詳しいことはわかりませんが、そうだと思います」
「他には何か」
「愛妻家、子煩悩、勤勉、人付き合いが良い、そんなところです」
「じゃあ、いわゆる優等生タイプなんですね」
「優等生タイプ?」
「はい。まあ特徴がなくて詰まらないタイプということなんですが」
「はあ」
「奥さんとの馴れ初めなどはわかりますか?」
「お見合いだったと聞きます」
「やっぱり」
「やっぱりとは?」
「なんとなくそんな感じがしました。そういうタイプの人は自分では相手を見つけられないんじゃないかなと思って」
「そうですか」
三日月は結局大森賢治についてはこれと言った情報を影山から得られなかった。それで今後も捜査協力をしてくれるよう影山に再度確約を取ると、そそくさその事務所を後にした。
しかし三日月は、このまま手ぶらで帰ってはまた本間に怒鳴られると思った。そこで仕方なく大森賢治に直接会いに行くことにした。影山の事務所がある緑が丘から大森賢治の自宅までは結構距離があったが仕方がないと思った。それから三日月は3回ほど電車を乗り換えてようやく下井草の駅に着いた。そこは閑静な住宅街だった。しかも夜の9時を回っていたので、余計に周りが静かに感じられた。しかしその大森宅に三日月が到着すると何やら慌しかったのである。よく見るとパトカーが一台家の前に止まっていた。
「どうかしたんですか?」
三日月は警察手帳をかざしてそこにいた警官に尋ねた。
「ここのおばあちゃんがスーパーで暴れてまして、ここまで連れて来たんです」
「おばあちゃん?」
「はい。佐伯さくらさんといって、ここのおばあちゃんだそうです」
三日月はあの呆けてしまったおばあちゃんがとうとうスーパーで暴れてしまったのだと思った。
「怪我人は?」
「いいえ。店員が取り押さえて、それで警察に連絡をして来ました。店内におばあちゃんを知る人がいたので、それでこちらの大森さんに連絡をして、それでスーパーまで来てもらったんです」
「スーパーは被害届を出したんですか?」
「いいえ。物損もありませんでしたし、いつも買い物に来てくれていた人だったので穏便にことを済まそうとなりました」
「なるほど。それで、このうちのどなたがスーパーまで来られたんですか?」
「娘さんの大森美紅さんです」
「そうですか。ありがとう」
「は!」
三日月はパトカーの警官にお礼を言うと、それから大森宅にお邪魔することにした。しかし、いくら玄関で声を出しても誰も出て来なかったので仕方なくそのまま上がることにした。
「ごめんください」
玄関から続く廊下をゆっくり進むとやがて人の声が聞こえてきたので、三日月はそう言いながら、その声のする方に進んだ。するとやがてリビングに行き着いた。そこには何人かの人が集まっていた。
「ごめんください」
それで三日月がもう一度声を発すると、ようやく彼の存在に気がついた一人が彼の方を向いた。
「すみません。勝手に上がって来ちゃいました」
「あ、警察の・・・・・・」
「三日月です」
それは奥さんの大森美紅だった。そこには他に主人の大森賢治、そして母親の佐伯さくら、それから従弟の暮地修までいた。
「皆さんお揃いのようですね」
「はい。おばあちゃんがとんでもないことになってしまって」
「それは外のパトカーの警官から聞きました」
「僕が悪いんですよ」
すると大森美紅に続いて暮地修がそう言った。
「暮地さん、あなたが悪いって?」
「美紅さんから伯母さんをあまり刺激してくれるなと言われてたんです。ですが、どうしても伯母さんに思い出して欲しくなって、それでまた伯母さんのアパートに行ってしまったんです」
「さくらさんのアパートに?」
「ええ。だって大叔母さん、伯父さん、そして悟君まで亡くなってしまったでしょう。これって暮地家に対する恨みか何かだと思うんですよ。ですからきっと伯母さんが何かを知ってると思ったんです。それで伯母さんに過去のことを思い出して欲しくなって、夢中になり過ぎたんです。僕が伯母さんのアパートに行くと、いきなり大声を出したかと思ったら、すごい力で僕を突き飛ばして、それで外へ出て行ってしまったんです。僕は慌ててすぐ後を追い掛けたんですが見失ってしまって、そうしたらスーパーで伯母さんが保護されたって美紅さんから連絡があったんです」
三日月は暮地修の話を聞いて、彼は一連の事件の犯人は身内にはいないと思っているのだと思った。
「だから僕の責任なんです」
佐伯さくらはずっと放心したようにその場にうずくまっていた。自分のしたことをわかっていないのだろうと思った。
「結局さくらさんの記憶は取り戻せたんですか?」
「いいえ」
「そうですか」
「無駄でした」
そう言うと暮地修はまるで大森美紅に頭を下げるようにして、その場にうな垂れてしまった。その後はただ沈黙が流れた。三日月は何かを切り出そうとしたが、とてもそんな雰囲気ではなかったので頃合を見てそこをお暇した。
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