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第11章 1月24日 その3
「わざわざご足労頂きましてありがとうございます」
影山の探偵事務所は大井町線の緑が丘駅から数分歩いた場所にある洋館の二階にあった。その洋館は入り口を入るとすぐ右手にらせん階段があった。それを上り、約4分の3周すると踊り場に突き当たった。するとその正面が事務所の玄関になっていた。
「どういうわけかここに行けという指示を受けましてね。な、三日月」
本間が意味ありげにそう言った。
「色々と警察の方からはご援助を頂いています」
本間は影山のその言葉がどういう意味なのか気にはなったが、どうせ三日月と同じようなことなのだろう思い、それを敢えて質すことはしなかった。
「それで私たち二人にどんな用なんですか?」
「お伺いしたかったのです」
「何を?」
「佐伯さくらさんからは、何か有用な話を聴けましたか?」
「そのことですか」
本間は自分たちがそこに呼ばれた理由がわかると一気に肩を落とした。
「無駄足だったということですか?」
すると二人の様子を見た影山はすかさずそう聞いた。
「呆けちゃってました。ですから何も聞けませんでした」
「そうだったんですか」
その答えには影山も残念な気持ちを隠せなかった。
「でも本間さん、そうなるとさくらさんには犯行は無理だということですね?」
「あれじゃとても無理だと思います」
「すると、容疑者は暮地正夫に絞られたわけですか?」
「それがですね。ここへ来る間に捜査本部から連絡があったんですよ」
「どんな?」
「暮地正夫が見つかったんです」
「じゃあ逮捕されたんですね?」
「いいえ」
「え?」
「暮地正夫の遺体が見つかったそうです」
「遺体って、殺されたんですか?」
本間の話に影山と鈴木が動揺した。
「どうやら自殺のようです」
「自殺?」
「誰かと争った跡はなかったようです。そこにはアルカロイド系の毒の入ったビンとそれを注いで飲んだと思われる紙コップが1つだけ残されていたそうです」
「服毒自殺ですか?」
「ええ。そして恐らくその毒で暮地響子さんも殺されたのだと思われます」
「自殺の現場はどこだったんですか?」
「昔、暮地一家が住んでいた所だそうです」
「そうですか」
「きっと暮地正夫は叔母殺しの罪の意識に苛まれて自殺したんでしょうね」
本間がそう結論付けると影山もそんな気がして来た。しかしそうだとしても暮地響子と暮地正夫たち兄弟の関係をもう少し詳しく知りたいと思った。そしてそれを確かめることが暮地響子の遺言執行人としての責務のような気がしたのだった。
「でも影山さん、私はどうしても気になることがあるんですよ」
影山が残された相続人の遺産の配分を考えていると本間が言葉を投げて来た。
「気になることってなんですか?」
「この事件は遺産に関わる事件です。ですから響子を殺して得をする者が犯人だと思うんです」
「ええ」
「するとやっぱりあの暮地修が怪しいということになるんです。暮地正夫の自殺の原因はわかりませんが、暮地響子が亡くなって得をする3人のうち、正気で残っているのは彼一人なのですからね」
本間はその結論に達すると急に落ち着きがなくなった。まるで今すぐにでも暮地修を捕まえに行きたそうな様子だった。そこでその本間の様子を見ていた影山は鈴木に暮地修を事務所まで呼ぶように言った。
「今から暮地修がここに来るんですか?」
鈴木の電話を聞いていた本間が影山に聞いた。
「はい。ですからその時に本間さんが思っていることを彼に聞いたらいいと思いますよ」
「わかりました」
するとそれまで落ち着きのなかった本間が椅子にどっぷり腰を下ろすと目の前のコーヒーに初めて口をつけた。
第12章 1月24日 その4
「鈴木君、来たね」
それから30分もしないで誰かが洋館の階段を上がって来る音が聞こえた。それで鈴木は事務所の玄関まで出て行くとそこに現れた暮地修を出向かえた。
「先生、何かわかったんですか?」
暮地修は事務所に入るなりそう影山に尋ねた。しかし次の瞬間、二人の刑事がそこにいることを知ると急に強張った顔つきになった。
「刑事さんもいらしたんですか?」
「ええ」
本間は低いトーンで一言そう答えた。
「暮地さん、さあこちらに来て座ってください。鈴木君、暮地さんにコーヒーを頼むよ」
影山はそう言って暮地修を自分の隣に座らせ、そして鈴木に飲み物の用意をさせた。
「実はこちらの刑事さんたちが佐伯さくらさんに会いに行ったそうなんです」
「伯母のさくらにですか?」
「ええ」
「無駄だったでしょ」
「え?」
「話を聴けなかったでしょ」
「ご存知でしたか?」
「はい」
影山はいつ暮地修が佐伯さくらの呆けてしまったことを知ったのかと思った。しかし彼は彼女の甥である。彼女が呆けていることを知っていても別に不思議ではないと思った。
「でもそれを知ったのは最近なんですよ」
「最近?」
「ええ、最近と言っても2ヶ月ほど前でしょうか」
「それはどういう経緯だったんですか?」
「町で偶然さくら伯母さんを見かけたんですよ」
「町で?」
「はい。その時、会社の用事で伯母さんのアパートの近くに行ったんです。それで、もしかしたら偶然伯母さんに会ったりしないかなって思ったんです。そうしたら本当に駅前の商店街で伯母さんに出くわしてしまったんですよ。伯母さん会ったのは、父が他界して以来ですから10年ぶりくらいだったでしょうか。そんなに長く会っていなかったんで最初は本当に伯母さんかどうか不安だったんです。でも、伯母さんがお店の人とやり取りをしていた声を聞いて間違いないって思ったんです」
「なるほど」
「それで声を掛けました。伯母さん、ご無沙汰してますって。でもあんた誰だっていう目で僕を見たんです。確かにその日の僕はスーツを着ていて、今まで見せたことがない格好でしたから、それで僕がわからないんだろうと思ったんです。それで、僕です、暮地修ですって名乗りました。でも結果は同じでした」
「つまり暮地さんが自分の名前を言っても、それでもさくらさんは暮地さんのことがわからなかったんですね?」
「はい。それであなたの弟の暮地収の息子ですよって言ったんですが、収ちゃんは元気ですかなんて、とんでもないことを聞いて来たんですよ。結局父はまだ生きていることになって、僕のことは最後まで誰だかわからないままでした」
「そんなことがあったんですか」
「はい。それでそのことを従姉の美紅さんに手紙で知らせたんです」
「その人は、さくらさんの娘さんの美紅さんですね?」
「はい、大森美紅さんです。すると彼女は伯母が老人性痴呆症になってしまって、昔のことは思い出せなくなってしまったって教えてくれたんです」
「するとそれまでは美紅さんから伯母さんのことは聞いていなかったのですね?」
「はい。年賀状のやり取りくらいはしていましたが、頻繁に連絡を取り合っていたわけではないので」
「そうですか」
「そんなことがあったんで何とか伯母さんに僕のことを思い出してもらいたくなって、それでちょくちょく伯母さんのアパートを訪ねたりしていたんですが、段々と諦めというか、そのまま放って置こうと思うようになって、今はもう行くことはやめてしまいました」
「すると、もう記憶は戻りそうにないんですか?」
「突然昔のことを思い出すことがあるみたいですが、それも次第に少なくなって来ているようです」
「そうですか」
「残念ですが仕方がありません。歳も歳ですからね」
「それが老いるということなんでしょうね?」
影山がそう言うと暮地修はそれに黙って頷いた。
「僕を呼んだのは伯母の話を聞きたかったからですか?」
「暮地響子さんを殺害した犯人が相続人の中にいるのではないかとこちらの刑事さんが疑ってましてね」
そう言って影山は本間を見た。すると本間は罰の悪そうな顔をした。
「刑事さんはまさか僕を疑ってますか?」
影山の視線の先を見た暮地修は本間にそう尋ねたが、本間ははっきりとは答えなかった。
「ところで先生、僕が前に話したメールの件ですが」
「あれからまたありましたか?」
「いいえ。僕の方は何もないんですが、もしかしたら先生の方で何か手掛かりが見つかったかなと思いまして」
「それは何の話ですか?」
その時いつ自分の話を切り出そうかとずっと機会を伺っていた本間が突然影山と暮地修との話に割り込んで来た。
「脅迫めいたメールが届いたんです」
「脅迫メール?」
「かぎ回るなという内容でした」
「かぎ回るな?」
「ええ、そしてその後にこんな事件が起こったので、それで心配になって先生に相談していたんです」
「そのメールはありますか?」
「いいえ、即刻削除しました。その時は迷惑メールかと思ったので」
「そうですか。残念ですね」
本間はここで影山たちの話がひと段落したものと判断して、次は私に話をさせてくださいと言い出した。影山は元々そのつもりだったのでどうぞと言ってソファの背にもたれかかった。
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