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第14章 林悟
林悟は養子だった。それを知ったのは林が成人した後だった。何故彼はそのことを知らなかったのか。それは彼が両親に実子として育てられたからだ。そして戸籍にも両親の実子として表示されていたからだ。
それは「特別養子縁組」と言うものだった。彼は生まれて間もない頃に本当の親から引き離されて今の親にもらわれて来たのだった。それがどういう経緯かはわからなかったが、養子だと知った後も彼は本当の親を意識することはなかった。
第一、その親の記憶がなかった。そしてもらわれた先での生活は決して悲惨なものではなかった。寧ろ彼はその親から大事にされた。だから本当の親などどうでもいい話だったからだ。
その彼が就職先で気になる子を見つけた。それはまさに運命の出会いだった。彼女と初めて目が合った瞬間、彼は雷に打たれたような衝撃が身体に走った。その時彼は生涯を共にする伴侶はこの人しかいないと思ったのである。
しかし彼には彼女にアタックする勇気がなかった。それは2つの理由があった。1つは彼女が同性からも異性からもとても人気があったからだ。つまり生まれ持った人気者だったからだ。そしてもう1つの理由は彼のコンプレックスだった。それは彼が女性にも劣らないくらい色白だということだった。そのために変なあだ名をつけられていた。それで仲間はずれにもあった。つまりいつもみんなの中心にいた彼女とその輪の外に追いやられていた彼が釣り合うはずがないと思っていたからだ。
しかし運命の女神は彼に微笑んだ。彼はその日、彼女からデートに誘われたのだった。
「悟さん、初めて私たちが会った日のことを覚えてる?」
彼と大森亜季は乃木坂にある国立新美術館3階のレストランに腰を落ち着かせていた。
「うん。あの会社に入って1ヶ月の研修を終えて、そして亜季さんのいた課に僕が配属された日だよね」
「うん」
「朝礼で課長からみんなに紹介されて、その時亜季さんを初めて見た」
「私のことどう思った?」
「どうって?」
「私のことをじっと見ていたでしょ?」
「うん」
「あの時、私のことを見透かされたような気持ちになった。だって私が目を逸らしてもそれでも悟さんは私をずっと見ていたでしょ?」
「そうだったね」
「私ね、悟さんが好きなことを見透かされた気になった」
「そんなことないよ」
「でもね、悟さんと会ったのはあの時が初めてじゃないの」
「え?」
「私ね、ずっと前から悟さんのこと知ってたんだ」
「いつから?」
「高校3年の時から」
「高校って、亜季さんはどこの高校だったの?」
「小平」
「小平高校?」
「うん」
「そうなんだ。じゃあ、あの西武新宿線に乗ってたんだ」
「うん。悟さんはいつも萩山から乗って来てたね」
「じゃあそこで僕を見たんだ」
「悟さんは国分寺から来る多摩湖線から乗り換えて来てた」
「そこまで知ってたんだ」
「だって1年間毎日同じドアから乗ってたんだよ」
「ほんと?」
「うん。でも私のこと気づかなかったね」
「あの電車、満員だったから」
「うん」
「それに萩山から小平までたった一駅でしょ?」
「うん」
「気づけって言う方が難しくない?」
「うん」
「でも、あの時亜季さんがあの電車に乗ってたんだ。それはびっくりした」
「1年間ずっと近くに乗ってたんだよ。でもその翌年の3月には2人とも高校を卒業しちゃったしね。それであの電車には乗らなくなったから」
「僕は4月から地元の大学に入った」
「私はその春から今の会社に入ったの」
「そうだったんだね」
「あの日、課長から新人の男性が来るって言われて、課の中が盛り上がったの。どんな人が来るのかなって。そうしたら、その来た人を見たら、私本当に息が止まりそうになったの。だって一目見てそれがあの悟さんだってわかったから」
「そうだったんだ」
「うん。4年経っても悟さん、やっぱり格好良かった」
僕はその時、この人を絶対に離すものかと心に誓った。
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