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七歳年上の兄、真琴のことが昔から大好きだった。父も母も研究で忙しく家を空けることが多かったが体が弱かった兄は病院へ行く以外はほとんど家にいた。
「見て見て!またテストで100点とったよ!」
「真紘はすごいなぁ。よく頑張ってるね」
両親の代わりに兄がいつも褒めてくれた。
優しい手で頭を撫でられるのがたまらなく好きで兄がベッドに寝ていてもお構いなしに抱きついた。小さい頃は特に兄に認めてもらえることが嬉しくて嬉しくて何事もがむしゃらに頑張った。
「きっと真紘は立派なアルファになるね」
「あるふぁ?」
たまに大人たちがそんな単語を話しているのを聞いたことはあったが当時はまだその意味はまだ知らなかった。
「この世界には男女の性の他にアルファ、ベータ、オメガの性があるんだ。特にオメガの人は体調が悪くなったりするから大変なんだよ。でも性別を理由に嫌ったりいじめたりしたらいけないんだよ」
「僕は友達をいじめたりはしないよ」
「そうだね。真紘みたいな優しいアルファが増えれば世の中はもっとよくなるよ」
「兄さんは、あるふぁ…なの?」
「うん。父さんも母さんもみんなそうだよ」
「僕も兄さんと同じあるふぁがいい!」
折を見てその後も兄は第二次性について教えてくれた。オメガには発情期があること。アルファにもラットと呼ばれる発情状態が存在すること。両者とも薬をきちんと服用すれば症状を抑えられること。自分はずいぶん薬に助けられてきた。だからこれからは自らが開発する側になり多くの人を助けたいこと。
真紘は幼いながらなんと素晴らしい兄を持ったのだろうと感動した。
「薬の開発が進めばもっとみんなが暮らしやすくなると思うんだ。僕はこんな体だからさ、真紘も一緒に手伝ってくれる?」
それから真紘の夢は変わっていない。
兄と一緒に研究者になることが目標だ。
でも優秀な兄でも話の通じないアルファとの接し方については教えてくれなかった。
真紘は今日だけで何度目かわからないため息をついた。目の前には鈴原が座っている。今は昼休みで多くの生徒の視線を集めながら、なぜか一緒に食堂でランチを食べている。
油断していた。昨日あんな風に頭を下げられたから朝から突撃でもされるのではないかとビクついていたが昼休みまで何もなかったので完全に気が抜けてしまった。食堂へ向かおうと教室を出たところで待ち伏せされていた鈴原に捕まった。
もちろん逃げようとした。しかしアルファの特進クラスの者はネクタイの色が普通クラスとは違う。濃紺のネクタイの中に真紅のタイ、そしてあの長身だ。普通科の廊下で目立つなというほうが無理だった。
「で、鈴原くんは何しにきたのかな?」
一通り食べ終わった頃、教育テレビのお兄さんのような笑顔を浮かべて言った。先ほどから周りの視線が痛い。学校では優等生で通している。変な態度はとれない。
「何って、篠原くんのことを学びにきたんだよ」
まるでこちらがおかしいかのような、聞いてなかったの?大丈夫?みたいな顔をしている。
「鈴原くんは第二の性は変えられないことはわかっているよね?」
気が緩むと態度に出そうだったのでお兄さんスマイルを崩さずに言ってみた。
「わかってるよ。でもオメガになりたいんだ。できるだけオメガに近づきたいんだ。この前も言ったけど篠原くんが俺の理想なんだよ。見た目も綺麗だし頭もいい。完璧なんだ」
突然、褒め倒されて思わずにやけそうになるのを必死にこらえた。言っていることは相変わらず破茶滅茶だがそこまで褒められて悪い気はしない。
「だから篠原くんのこと全部知りたいんだ」
この部分だけを切り取ればきっといわゆる胸キュン台詞なのだろう。でも意味不明なのことに変わりない。しかし鈴原は実に必死だった。
淡々と話しているが目の奥に焦りのような、縋りつくような強い意志が見える。頭のいい鈴原がどうしてそこまで訳の分からないことに固執するのか興味が湧いた。
「お願いします」
更に念を押すように鈴原が頭を下げる。その様子を見て周りがあからさまにざわめき出した。
アルファがオメガに向かって頭を垂れているのだ。考えてみれば当たり前だった。
そしてその状況は真紘の優越感を急上昇させた。
「わかった。でも一つだけ忠告しておく。僕はアルファと仲良くする気なんてさらさらない。だから間違っても番になりたいとか言わないでね?」
鈴原は一瞬嬉しそうな顔をした後、すぐにいつもの無表情に戻りきょとんとした。
「当たり前だよ。俺にもそんな気は全くない。だから安心して」
自分から振っておいたのに完全に否定されてムッとした。
礼儀として少しくらい落ち込め!残念がれ!と真紘は心の中で悪態をついた。
自分のことを褒めちぎっておきながら恋愛対象では全くありませんとは一体どういうことだ。
やはり鈴原という男はよくわからない。
たった数十分で気分をここまで乱高下させられる男は今のところ多分コイツしかいない。
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