神隠し(影山飛鳥シリーズ12)

1/19
前へ
/19ページ
次へ
第1部 神隠し 序章 福島県の三春町には桜の巨木がそびえ立っている。その木にはある言い伝えがあった。それはその木の下に1組の男女が埋葬されているというのだ。その男女はある掟を破った咎で、そこに埋められていた。そして2人の肉体から育った芽が成長し、枝が絡み合い、そしてその桜になったというのだ。  そこでは不思議なことが起こった。それは過ぎ越しの年と呼ばれ、13年に1度、梅と桃と桜が同時に咲くというのだ。それはまるで3つの春が一緒にやって来たような豪華な景色だった。そしてそのことが集落の名前をやがて三春にした。 「おじいちゃんの生れた所には、過ぎ越しの年という掟があったんだよ」 「掟?」 「うん。破ってはいけない決まりだよ」 「どんな決まりなの?」 「男の人と女の人が好きになってはいけないんだ」 「それを破るとどうなるの?」 「不幸になるんだよ」 「不幸?」 「悲しいことが起きるんだよ」 「ふうん」 「おじいちゃんはそれで大事な人を失ったんだよ」 「じゃあ、おじいちゃんもその掟を破ったんだね」  祖父が三春から東京に出て来て以来、飛鳥の一族は東京に住んでいた。 第1章 その日  その日、私の人生を大きく変えてしまうことが起こった。そうだ。あれが全ての始まりだったのだ。 「早苗ちゃん、ほら!」  静まり返った部屋に、突然健ちゃんの声が響いた。 「またあのレコードの音がしてるよ」  それは私の部屋に敷かれた3つの布団に、健ちゃんと健ちゃんの妹の絵美留ちゃん、そして私の3人が潜りこんでしばらく経った頃だった。耳を澄ますと一階の居間の方からいつもの曲が聴こえて来た。 「行ってみようよ!」  健ちゃんはまだ眠くないのだろう。それですぐにでも布団から飛び出して、その部屋から出て行きたそうだった。私の隣に寝ていた絵美留ちゃんは、眠りに落ちる寸前だった。それで健ちゃんから声を掛けられても、どうでもいいと言いたげに頭から布団を被った。  健ちゃんと絵美留ちゃんは私の親戚だった。彼らの父親と私の母が、はとこ同士だったのだ。彼ら3人は月に1、2度、土曜の夜から日曜の夕方にかけて私の家に遊びに来ていた。健ちゃんと絵美留ちゃんの母親は既に亡くなっていたし、私の父もずっと前に他界していた。そこでどちらかの連れ合いの法事の席で再会したことがきっかけになって、このような関係になったらしい。 子供たち3人は夜の10時になると、私の部屋で寝るように言われた。その後親たちは一階の居間でレコードを聴きながらお酒を飲むのが決まりだった。 「きっと今日は2人がキスするぞ」  健ちゃんは小学校2年生だったが、ませていた。それでいつもそんなことを言って私に嫌な思いをさせた。 それは初めて親たちの様子を覗き見した時だった。母はとても幸せそうな顔をして、お酒の入ったグラスを傾けていた。私は母のとてもくつろいだ様子に驚いた。父が亡くなって以来、そんな母を1度も見たことがなかったからだ。 その時母の視線の先には健ちゃんたちのお父さんの姿があった。私はそのことに気がつくと、初めて母に対して嫌悪に似た感情を持った。父が他界した後、母の愛情が向けられるのは私だけだと思っていた。それがそうではなかった。私ではない人間にも向けられていたのだ。私はその時のショックから、覗き見はニ度としまいと思ったのだ。 ところがその次に彼らが泊まりに来た時だった。1階からレコードの音がすると無視する私を残して、自分の妹を連れた健ちゃんが1階に下りて行った。そして戻って来るなり親たちがキスをしていたとか、抱き合っていたとか言って私をからかい始めた。私は涙が出そうになった。すると私のその様子を見て、絵美留ちゃんがそれは嘘だと言ってくれたのだ。それで私は救われた。 そしてその次に彼らが泊まりに来たのがその日だった。絵美留ちゃんは既に寝てしまっていた。そこで私は嫌々ながら健ちゃんに着いて行くしかなかった。そして自分の目で2人の様子を確かめなくてはならなくなったのだ。 私の住んでいた家はとても古かった。それで1階に続く階段はよく軋んだ。どんなに静かに歩いても、特に夜中には大きく響いた。ただレコードの音とほろ酔いのせいだろうか、その時は親たちが私たちの気配に気づくことはなかった。 忍び足の私たちがようやく1階に辿り着くと、次に長い廊下を玄関とは反対方向に進んだ。そしてやっと居間の前に到着すると、健ちゃんがドアノブに手を掛けた。 「いいかい。開けるよ」  健ちゃんは蚊の鳴くような小さな声でそう言うと、それをゆっくりと回した。 (あ!) その時私の目に飛び込んで来た光景はとても信じられないものだった。私の母が健ちゃんたちのお父さんに抱きかかえられていたのだ。私は声が出そうになるくらい驚いた。そして見てはいけないものを見てしまった気持ちになった。それで急いで自分の部屋に戻ってしまったのだ。 部屋では絵美留ちゃんが静かに寝息を立てていた。私は布団を頭から被ると目をつぶった。しかしなかなか寝付けなかった。しばらくすると健ちゃんが忍び足で戻って来た。彼は布団に潜りこむなり、あれから凄いのを見たと私が聞いているのを知っててしゃべり出した。私はそれを無視した。やがて健ちゃんも寝息を立てて眠ってしまったが、私はずっと起きていた。そしてあのレコードの音が聴こえなくなっても、私の目は冴えていた。 (あ、起きなくちゃ)   ところが私もいつの間にか眠ってしまったらしい。そしてその日もいつもの時間に目を覚ましてしまったのだ。それは幼稚園に行く時間だった。 (あれ) その時私の隣に布団が敷いてあることに気がついた。それは絵美留ちゃんが寝ていた布団だった。それでその日は幼稚園に行かなくていいことを思い出したのだ。ただそこには絵美留ちゃんの姿はなかった。それでトイレにでも行っているのだろうと思うと、そのまま二度寝をした。 第2章  それは真夜中の電話だった。實澤健がベッドの脇に置いてある時計を見ると真夜中の2時を指していた。 (こんな時間に誰だ?) そこでディスプレイの着信番号を確認したが、そこには何も表示されていなかった。きっと公衆電話からだろう。實澤が受話器を取らずにいると、やがてコールが止んだ。 次に電話が鳴ったのはその翌日だった。時間はやはり深夜の2時。彼は同じ時間の電話が2日も続いたので、仕方なく受話器を取ることにした。 「もしもし」  彼は恐る恐る受話器に語り掛けた。しかし相手は無言だった。 「どちら様ですか?」  それでそう尋ねたが、それでも相手は黙ったままだった。そこでこちらから名乗ってみようと思った。もしかしたら間違い電話かもしれないからだ。でも、もし悪戯電話だったらどうだろう。悪意ある相手にこちらの名前を知られてしまうことになる。それで迷った。しかしその2度目の電話も間もなく切れた。そしてそれ以降、その時間に電話が掛かって来ることはなくなった。 第3章 「先生、ご相談というのは、このハガキのことなんです」  影山が依頼人の正面に座ると、その實澤健という30過ぎの男は茶色のレザー製のバッグから1枚のハガキを取り出した。 「そのハガキがどうされましたか?」 それは至って普通のハガキだった。消印は仙台、送り主は實澤絵美留、恐らく依頼人の身内だろう。影山はそれを受け取ると裏返した。しかしそこには定型のあいさつ文が書かれているだけだった。 「實澤絵美留というのは私の妹なんです」 「妹さんですか」  しかしそれにしては硬い文章だと影山は感じた。だがそういう兄妹も世間にはいるのだろう。 「実は妹は26年前に神隠しに遭った切り、行方知れずなんです」 (え) 「それでその差出人の住所に飛んで行ったのですが、そこに妹はいませんでした。その住所には会社があって、妹とは全く無関係でした」 影山はその依頼人が事務所に来た時から気になっていたことがあった。それは依頼人の名字だ。 「付かぬ事をお尋ねしますが、實澤という名字を初めて聞きました。それは仙台では多い名字なんですか?」 「いいえ。親戚は全て福島に住んでいます」 「福島ですか」 「はい。国見という町があるんですが、そこに實澤という家が集まっています」 「すると實澤さんはその国見からいらしたのですか?」 「はい」  影山は依頼人がわざわざ福島から東京のこの事務所まで訪ねて来た理由が気になった。 「實澤という名字は、今でこそ国見町に集中していますが、元々は福島県の三春という町が発祥らしいのです」 「三春ですか」 三春というのは福島県のほぼ中央に位置していて、旧幕時代の城下を偲ばせる小さな町である。その名前の由来は梅、桃、桜の花が1度に咲き、三つの春が同時に来るからそう呼ばれるようになったと言われていた。 「先生は三春をご存知ですか。日本一の桜がある町です」 「滝桜ですね」 「やはりご存知でしたか」 「やはり、ですか」 影山はその当たりに自分を訪ねて来た理由がありそうだと思った。 「実は、妹が神隠しに遭ったのがその三春町なんです。親類の家から突然いなくなったんです」 「そうだったんですね」 「それでこのハガキが届いたことをその親類にも知らせたんです。その方は早苗さんというのですが、彼女が東京に影山先生という有名な探偵さんがいると紹介してくれたんです。しかもその探偵さんは三春に造詣が深いと言うんです」 「深いかと言われると困ってしまいますが先祖が三春に住んでいました」 「そうだったんですね。でも早苗さんから紹介されてこの一件をご相談するのは影山先生以外にはいないと思ったのです」 「すると私が三春と繋がりがあるから、私を訪ねていらしたということですか?」 「はい」 「どうしてそこまでこだわるのでしょうか?」 「それは妹の神隠しが三春に伝わる言い伝えに関係しているからなんです」 「過ぎ越しの年ですね」  影山はその時祖父から聞いた話を思い出していた。 「そうです。やはり先生はそのことをご存知でしたね」 「しかし、あれは男女の恋に関係した言い伝えではなかったですか?」 「私たち家族が泊まりに行った三春の家は父の、はとこの家だったんです。その時私たちの母は既に他界していました。そして父の、はとこもご主人を亡くされていて、どうやら2人は愛し合っていたようなんです」 「なるほど」 「しかし2人とも幼い子を抱えていたし、周りからは強い反対があったそうです。結局2人は一緒にはならずに時々そうやって会っていたようなんです」 「實澤さんのご兄弟はその妹さんだけですか?」 「はい」 「そのお父様の親戚の方にお子さんは?」 「早苗さん1人だけです」 「するとその親戚は、母親と娘さんの2人住まいだったのですね?」 「はい。ただ母親の方は他界しています。それでハガキのことは早苗さんに知らせたんです」 「實澤さんは妹さんの失踪が、親同士が過ぎ越しの年の言い伝えを破ったからだと思われるのですか?」 「はい。当時妹は4歳でした。すると今は30歳になっています。もしこのハガキをくれたのが本当に妹だとしたら、この26年間どこでどうしていたのか、それを知りたいと思ったのです」 「わかりました。妹さんを捜すご依頼をお受けします。早速明日三春へ行ってみます」 「宜しくお願いします」 「ところで妹さんの写真はお持ちですか?」 「一応持って来たのですが、なんせ26年前のものなので、今とはだいぶ様子が変わっていると思います」 「それで結構です」 「これは妹がいなくなった前日にその親戚の家で撮ったものです」  そう言って實澤は子供たち3人が笑っている写真を取り出した。 「妹さんはどの子ですか?」 「右端が妹です。それから真ん中に写っているのが早苗さんです」 「なんとなく2人は似ていますね」 「そうですね。親戚だからでしょうか」  それから實澤は今日は東京に泊まり、明日国見に戻ると告げると影山の事務所を後にした。
/19ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加