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「んー」と、新菜が唇に人差し指をあてながら天を仰ぐ。「やっぱ男子だし、飲み水の配給とか? ジェリ缶って見たまんま水を入れるとかなり重たいし」
勘弁してほしい。こちらは半年も部屋にこもっていて体がなまっている。今の状態だと下手をすれば新菜より体力が無いかもしれないのに。いや、体力を取り戻す機会ととらえるべきかもしれない。
「わかった。任せてくれ」
「あ、でも、飲み水は軍のトラックからもらわなきゃだから……軍の人が日本語話せなかったら困るだろうし……どっちにしろあたしも一緒に行くことになるのか」そう言って新菜は二十リットル容量の空のジェリ缶をふたつ台車に載せた。「せっかくだから、ついでに街の案内もするね」
鉄雄は台車を押しながら新菜のあとに続く。道中、新菜はこの街や周辺のいろんなことを教えてくれた。
当たり前だが、いくらリトルトーキョーと呼ばれているとはいえ、ここはアメリカのロサンゼルス。水道水は飲用として使えないため、生活用水とは別に飲み水の供給が追いついていないという。そのため、足りない飲み水はアメリカ軍や各地のボランティアが届けてくれているということ。
あの地獄の夜、日本から生きて救助された被災者は人口の三分の一程度で、日本だけではなく朝鮮半島にも深い傷跡を残したとのこと。
無事に救助された日本人は各地に散り散りになり、その多くをアメリカ合衆国が受け入れてくれて、ここリトルトーキョーのほかにもビバリーヒルズ近郊のリトルオオサカとも呼ばれるソーテルという街や、トーランス市などで多くの日本人が保護されているということ。
リトルトーキョーのすぐ南にはスキッドロウと呼ばれる、全米でもっともホームレスの多い危険地域があるため、あまり南には近づかないほうがいいということ。
ほかにも、ここリトルトーキョーには日本でもおなじみの、見なれたチェーン店が多く軒を連ねていることに驚いた。
新菜の母親である菜津子さんの旧姓は福野といい、実家は京都で割烹料理屋を営んでいて、日本の料理や文化に興味があった父親のレイモンドとは日本で出会い、結婚してからアメリカに移住して、夫婦で福野屋という名前の日本料理屋をはじめて、今も新菜が手伝っているのだという。
京都にいた菜津子さんの両親はどうなったのかと訊ねると、新菜は少し暗い表情になって首を横に振った。もっと話題を選ぶべきだったと、鉄雄も少し暗い気持ちになる。
「そういえばあんた、何か食べたいものとかある? やっと外に出てきてくれたんだから、夕飯は好きなものを作ってあげる。って言っても……作れる範囲でだけど」
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