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「あんたじゃない。鉄雄だ。保村鉄雄」
その言葉に新菜がふふっと笑みを浮かべる。何かおかしなことでも言っただろうか。
「そうだったね。ずっと吹けば飛びそうな紙みたいだったから、すっかり忘れてたよ。鉄雄」
「紙みたいで悪かったな」
「ほんと、悪かったっていうか、見てるこっちまで暗い気持ちになるからもう最悪。でも、今はちゃんと鉄雄って顔してる。ちょっと薄めの鉄板みたいな顔」
新菜は悪い奴ではないけど、少し蓮っ葉なところがあると思った。それにしても、まだちょっと薄めの鉄板か。
「それってどんな顔だよ」
「あ、ほら。今度はちゃんと笑えた」
言われてはじめて気がついた。ほんの少しだけ頬が緩んでいた。
「べつに、笑えないわけじゃないし、それに、なんか少しだけ力が抜けただけだ」
「ところで夕飯、何食べたいか決まった?」
そういえば、そういう話だった。食べたいものはとっくに決まっていた。
「じゃあ、作れたらでいいけど……。豚汁」
「オーケー、豚汁ね。……ってちょっと、豚汁なんてそこらへんのお店でも食べられるじゃない! もっと特別なものとかないの?」
「べつにいいだろ。好きなんだよ、豚汁」
それから鉄雄と新菜は軍のトラックから飲み水を分けてもらい、新菜の両親が待つ広場まで戻った。それを三往復した頃にはすっかり日が暮れていて、自動車の運転免許があればいいという話になった。
実を言うと、普段は新菜の父親、レイモンドが軽トラックで一度に飲み水を運んでくれているらしい。わざわざこんな手間をかけさせたのは、鉄雄には何も考えずに歩く時間が必要だと、新菜が世話を焼いてくれたみたいで、ここに来てから本当に、新菜には世話になりっぱなしだ。
「人間って、歩いてるときは不思議と嫌なことを考えないんだって」
「なんで?」
「だって、ちゃんと前を見て歩かないと危ないじゃない」
「物理的な話かよ」
「違う違う。歩いてるうちに、いつの間にか気持ちも前を向いてるって話」
その日の晩の豚汁は、具が多くて食べごたえこそあったものの、少し味つけが甘く感じて、まるでポタージュみたいだった。
鉄雄の母が作る豚汁はもう少し醤油と出汁の味が利いていた気がする。だけど、この甘口な豚汁もそれはそれで悪くはないと思った。
このリトルトーキョーを第二の故郷として根っこを下ろしてもいいかもしれない。そんなことを思いながら鉄雄はアパートの自室へと戻り、ベッドに横になった。
もう毛布にくるまらなくても大丈夫だった。
あいつがロサンゼルスに現れるまでは――。
――第一話『地球意思』
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