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あれから、約五十年が経った。
大学卒業後、地元に戻った私は、同窓会の運営を任される立場となった。仕事が回ってくるのは、おおよそ十年に一度である。同じく地元で役所勤めをしている者や開業した仲間と共に、会場を準備し、卒業生たちに案内状を出し、出席をまとめて会計をする。面倒くさいが楽しみも多い仕事であった。
同窓会に毎回出席することにより、分かったことがある。それは、三十代から五十代にかけて経済的・社会的に差がついたそれぞれの人生が、六十代からまた平坦にならされて、平等に戻っていくことだ。
二十歳の同窓会は、成人式の二次会である。せいぜい大学に進学したか、新社会人として働いているかの差しかなく、同級生たちの生活はまだ同質であった。
以降、年を重ねるごとに、生活や環境の違いが顕著になってゆく。
三十歳の同窓会では、結婚や転職で差が生まれた。
四十歳の同窓会では、出世や貯金や資産形成のによって、それぞれの生活水準の差が見えてくる。身に着けているものや盛り上がる話題も各グループで異なった。
五十歳の同窓会のころには、人生の決着がつき、勝ち組と負け組の明暗が歴然となった。
ところが、六十歳の同窓会から様子が一変する。
成功した人生にも、思うとおりに行かなかった人生にも、老いは平等にやってくる。
六十歳の同窓会で全員が盛り上がったのは、病気自慢の話だった。
高齢者の抱える病歴は、高血圧とか、コレステロール値が高いとか、そんな程度のことではない。
ステージ4の癌が見つかり胃や腸などの臓器を摘出する大手術を乗り越えたとか、脳梗塞で指先の麻痺が残っているとか、慢性心疾患を煩っておりいつ心臓が止まるか分からないとか、みなが同様にドラマチックな経験をしていた。若い頃は隠匿していた、長年の精神疾患や透析生活の話もオープンになった。自分の病気の話にとどまらず、九十代の親の事例や、嫁・旦那のことまで話すから、病気の事例報告会といった有様である。
それまでは子育てや年収で差がついた人生が、老いによってまた平坦にならされ、学生の頃のように同一分子に戻されるような感覚があった。差が出た個々の人生が、死という同じ着地点に向かう準備を始めたような、不思議な結束力のようにも感じた。
芸名・斉藤睦美、本名・石黒睦実が、七十歳の同窓会に来るという情報が入ったのは、一週間ほど前だろうか。
結婚も、出産も離婚も、産地製法にこだわった健康食も、斉藤睦美の活躍や私生活の情報は、メディアやSNSを通して伝わってくる。
違う世界に住むむっちゃんは、本当に私たちと同じように年を重ねているのかどうかも疑問だ。
芸能人としての斉藤睦美ではなく、七十歳の石黒睦実にどのように接するべきか、私には分からず困惑した。
「こんにちは、久しぶり。覚えてる?睦実だよ」
私の心配をよそに、むっちゃんの方から私を見つけ、声をかけてくれた。
七十歳のむっちゃんは、メディアで見た通りの美しく年を重ねたお上品な老婦人になっていた。
もしむっちゃんに会ったらなんて言おうか、私は事前にシュミレーションをしていた通りの当たり障りの無い返答をする。
「久しぶり、よく参加してくれたね。ありがとう。今日は楽しんでいってね」
「愛ちゃんったら、他人行儀ね。わたし、愛ちゃんに会いたくて、勇気を振り絞って初めて同窓会に参加したのよ」
少しすねた様子のむっちゃんは、テレビで見る愛嬌のある斉藤睦美の姿であり、同時に、高校時代の親友の石黒睦実のままでもあった。
「ありがとう。芸能界で活躍するむっちゃんのこと、ずっと応援してたよ」
私は、長い間むっちゃんに伝えたかった気持ちを、素直に伝えることができた。
「私だって、愛ちゃんのこと、応援していたのよ。私のファンサイトを運営してる書道教室の先生、あれ愛ちゃんでしょ」
憎めないむっちゃんの笑顔が、緊張した私の心を少しずつ溶かしてゆく。
「あ、やっぱりバレてた?」
私はイタズラがバレた子供のような心境になった。
「愛ちゃん書道も得意だったからね。サイトに載ってる直筆文字が上手すぎるのよ」
むっちゃんも、やっと答え合わせができたと、目尻が笑っている。
「よく何十年も、公式からのおとがめ無く、自由に泳がせてもらえたものだと、自分でも思ってるよ」
「それに、私への愛にあふれたサイトだったから」
「愛されてるって、自分で言っちゃう? 」
「だって、芸能人は好感度商売だもん。愛されなくなったらおしまいよ」
お茶目な石黒睦実節は、年を重ねた今でも健在なようだ。
私たちは軽食やドリンクを楽しみながら、約五十年の空白を埋めるようにたくさん話をした。
「ところでむっちゃんは、なんで同窓会に来ようと思ったの? 」
私は一番気になっていたことを聞いてみた。
「うーん。一番の理由は、愛ちゃんにもう一度会いたいと思ったからかな」
私はドキドキしながら、むっちゃんの話の続きを待つ。
「あとは、ひょとしたらこれが最後のチャンスかもしれないと思ったから。私たちもう七十歳でしょ、そろそろみんな寿命じゃない。もし八十歳まで生きてても、健康が維持できなければ、同窓会に出席することもできないでしょ。だから、最初で最後でもいいと思って、出席の返信をしたのよ」
細い指でシャンパングラスを傾けて、のどごしの良い透き通った飲料を飲むむっちゃんの姿は、それだけで気品があり美しかった。
「天上人のむっちゃんにも、やっぱり老いは迫り来るのね」
「天上人って何よ、もう死んだ人みたいじゃない」
「だって、住む世界が違いすぎるのよ。天上人も仏様も、もう会えないって言う点では同じだわ」
「そこはせめて、女神様とかにしてくれない? 」
「だから、なんで自分で女神とか言っちゃうかな」
「好感度商売なもので」
くだらない話の後、むっちゃんが急に神妙な面持ちになる。
「ねえ、愛ちゃん。私たち、また親友に戻れるかしら」
私は一瞬動きを止めて、咥えた箸を紙皿の上に置く。
「どうだろうね。住所教えてくれたら、年賀状ぐらいは出してあげる」
「美術部の時みたいに、手書きの絵が入った年賀状が良いな」
むっちゃんの笑顔は、高校生の時のままだ。
「書道教室の教範だから、手書き文字で勘弁してくれない? 」
「いいよ! うれしい。私も手書き年賀状を目指して、愛ちゃんの書道教室に通おうかしら」
「老後の趣味におすすめよ、私の弟子にしてあげる。ついでに、香典袋や喪中はがきの書き方も覚えなさいよ」
「実用的で夢が無いわね」
「これから、年賀状より必要な機会が多くなるんだから、必要なスキルだと思うよ」
同窓会からしばらくして、斉藤睦美はひっそりと芸能界を引退した。
私たちはその後も交友を深め、健康寿命を維持することに全神経を注ぎ、めでたく八十歳の同窓会にも参加することもできた。
八十歳の同窓会のホットなテーマは、葬式と墓とお寺の話題に変わっていた。むっちゃんは、わたしたちと同じように、老いと健康の話で盛り上がっていた。
相変わらず、凡人離れした気品と美しさを持つむっちゃん。
私には、天上で役割を終えた老いた女神が、私たちと同じ世界に戻ったように見えた。
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