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10.昔のことだからね
ヒロムが引っ越してから、どんなに待っても手紙も電話もまったく来なかった。翔太は小学校を卒業し、中学、高校、そして東京の大学へ進み、そのまま東京の会社に就職した。
やがて翔太は地元に戻り、祖父の経営していた喫茶店を継いでカフェへとリニューアルし、マスターと呼ばれるようになった。
「そうかあ、あの店新しくなったんだ。行ってみたいな」
テーブルの向こうで大人になったヒロムがマスターに言った。
「いつでも来ればいいよ。あのときに借りっぱなしのマンガも、たしか二階の押入れの中に入ってるはずだから。たぶん」
「ありがとう。まだあのマンガ持ってるんだ」
「うーん、捨ててはないと思うんだよね。自信はないけど」
翔太が苦笑すると、ヒロムも笑った。昨日、展示会で再会し、二人は急遽、食事することになった。ヒロムの会社が在庫管理システムを納めている洋食屋で。
落ち着いた雰囲気のこぢんまりとした洋食店。自分が洋食屋をするのなら、こんな感じの店にしたい。そんなふうにマスターも思える雰囲気の洋食屋だった。お客さんたちは静かに食事と会話を楽しんでいる。
「本当に心配したんだ。心配というか、混乱というかわからないことばかりだった。急にヒロムが引っ越すなんて。ひと言もなく」
「オレも悪かったと思ってる。でも、そのときはしょうがなかったんだ。オレは子どもだったしさ」
ヒロムが弁解するように言った。マスターは首を振る。
「それでいったい、どうして急に引っ越すことになったんだ?」
マスターの言葉にヒロムは一瞬だけ暗い顔を浮かべた。けれど、すぐにマスターに視線をしっかりと向けた。
「昔のことだからね。もう話してもいいだろう。父親も死んだことだし。もうとっくに終わったことだから」
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