いつかまた会える

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いつかまた会える

「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」 崇徳院 小学生の頃、冬休みが近づいたある日、担任が百人一首カルタを持ち込み、国語の授業時間に、そのやり方を教えてくれたことがあった。 仕事帰りに寄ったコンビニでおでんを買い、それを晩ご飯代わりに食べようとして、静かな部屋にテレビをつけた。 そこで流れたのは、百人一首カルタのことだった。 それで唐突に,小学校の頃にこのカルタをしていたことを思い出した。 確かあの日、みんなが盛り上がったため、放課後に、希望者が残ってカルタ大会が開かれた。それからクラス内で、百人一首カルタがちょっとしたブームになった。 百人一首の下の句だけを読み、木札に書かれた下の句を見て競い合う「下の句板カルタ」は、北海道だけの文化なんだと、そのテレビで初めて知った。 あの頃は、そんなことは知らなかったな。 上の句の存在も和歌の意味にも興味がなかったから、記号のように下の句を聞き、独特のタッチで書かれた木札の下の句の文字だけを見て、遊んでいた。 そうか、あれは、和歌だったんだ。 「乙女の姿、暫しとどめん」 この下の句はもう鉄板で。誰もが最初に覚えて取る札だ。だから、絶対に置かれた場所は把握する。 「乙女の」と大きく書かれた札を、読み手が「おとめ」と言い終わらないうちに、お、の段階で一斉に手を伸ばし、そこに群がる。 その歌の解説をしてくれた。 「天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」 これが正式な歌らしい。 そしてその意味は、 「儀式で舞を舞う巫女たちの姿がとても美しく、まるで天女のようだ。ずっと見ていたいから、天へ帰れないよう,天への道を閉めておくれ」 ならしい。 え? 思わず箸で摘んでいたゆで卵をつるんと落とした。 天女を帰したくないから、帰り道をふさごうとか歌っているの? さらにその和歌をお坊さんが詠んだと知り、つい、キモっと思ってしまった。 いや、きっともっと風情があることで。それくらい綺麗ですねーといった褒め言葉なんだとはわかるけど。 ああ、でもキモいなんて言ったら、和歌の先生が聞いたらめちゃくちゃ怒るだろうな。 和歌の先生ってよくわかんないけど。 テレビによると、北海道では「下の句板カルタ」が主流で、それはもともと会津藩で行われていたものを、開拓使が持ち込んだらしい。 ちなみに木札の方がお高い気がするが,当時は木札より紙のほうが高価だったそうだ。 勉強は好きじゃなかったし、物知りじゃないから、知らないことだらけで。 まあ、そんなことを知ったところで、明日の仕事で役に立つわけでもない。 私は箸で四分の一にまで割った大根を口に運ぶ。 北海道の文化の紹介は一瞬だけで、その後もいくつか歌の解説をしていたけど、知らないことばかりだったので興味が薄れてしまった。テーブルの上に置いたスマートフォンでSNSをスクロールして、面白い一瞬の動画に意識が移っていた。 そもそもテレビはあくまでBGMであり、情報収集はもっぱらSNSが私の常なのだ。 だけど、そんなテレビを見たせいで、おかしな夢を見た。 荒波が岩場に打ち付けていた。 私は小船に乗っている。小船は波に翻弄され、アップダウンが激しくて。こんな船ではどこにもたどり着けない気がしていた。 夢の中の自分は、もうここで死んでもいいと思っていた。 だけど、小舟は岩だらけの小さな浜辺に着いた。 裸足のまま岩場を歩いている。 夢なので、冷たいとか痛いとか、そんな感覚はなかったが、絶望感でいっぱいだった。 次のシーンで私は、洞穴の中にいた。 洞窟にぽっかり空いた出入り口の向こうは、やはり荒れ狂った海だ。唯一の出口と思われるその穴は、まるで牢屋のように、頑丈な鉄格子のようなものがはめられていた。 どういう状況なのかはわからないが、自分はこの場所から永遠に出ることができないと感じていた。 小船はどこかに持ち去られてしまったようで、荒れ狂った海を自力で泳いで渡ることはきっとできない。私はこの先閉じ込められた空間に、死ぬまでいなくてはならない。 そんな閉塞感と絶望感。 夢の中で私は、愛する人に一目会いたいと泣いていた。 「死ぬまでここから出ることは叶わぬゆえ、生まれ変わって必ずそなたに会いに行く」 そう、海に叫んでいた。 目が覚めると、実際に私は泣いていた。 むくっとベッドの上で置き上がり、薄暗い部屋の隅を見ながら、愛する人って誰のことだろうと考える。 実際の私に恋人はいない。 片思いの人もいない。 東北の田舎の高校を卒業して、県庁所在地のある町まで出てきて、今の職場に勤めた。もうすぐ三年が過ぎようとしている。 学生時代も社会に出てからも、特定の男の人に気持ちが動いた事は無い。 だって、男の人なんて好きになっても、きっと幸せになんかなれないから。 いつも泣いていた母のことを思い出す。 父は小さな印刷屋を営んでいた。私が生まれたのは北海道の小さな町だった。父は、大した甲斐性もないくせに、母以外に女の人がいたらしい。 そのことで、母は父と揉めていた。父がいない夜に母は時々、お父さんは今頃よその女の人とよろしくやっているのよ,と言いながらビールを飲んでいた。そのうち結構酔ってきて何度も同じことを愚痴り、いつも最後は泣いていた。 ごめんね、こんなお母さんでごめんね,といつも私に謝っていた。それを、なぜ私に謝るんだろうと不思議に思っていた。 自営業の印刷屋は、もともと経営が良くなくて、やがて借金が嵩むようになってきたらしい。借金の取り立てが厳しくなっていることは,まだ小学生だった私にも理解できた。 そんなある秋の終わりの真夜中に、突然母に起こされた。起きると薄暗い部屋の中で、父も母も暗い顔をしていた。電気をつけることもせず薄暗い部屋の中で着替えると、私は両親に連れらて外に出た。そこには知らない人がいて、その人の運転するワゴン車に乗った。まさかそれきり故郷に戻ることがないなんて,思いもしないで。 借金でどうにもならなくなり,夜逃げをしたのだと後から聞かされた。 父とはその時に別れた。 東京に出稼ぎに行くのだと聞かされたが、実は両親は離婚していた。 私と母は途中で車を降りて列車に乗り、そのまま津軽海峡を超えて北海道を離れた。 その後、母の苗字に戻り、知らない人ばかりの小さな町で新しい生活を始めた。 父は一度も手紙すらよこさなかった。誕生日もクリスマスも、カードの一枚もなかった。 それが、夜逃げしたせいで連絡を取れないのか、それとも他に理由があるのか、正直わからない。だけどあの人にとって、私はどうでもいい存在なのだろうと思って生きてきた。 私にしたってあの人はどうでもいい存在だから、それはいい。 私は真夜中のベッドの上でため息をつく。 だから私は誰も頼らない。自分一人の力で生きて行く。そう決めた。 高校を卒業してすぐに母が亡くなった。文字通り,天涯孤独。 でもいい。もともと一人で生きていたようなものだから。 私はただ、逃げも隠れもしない人生を、平凡でもいいから、安心して明日も平穏に生きていられる人生を、ただそれだけを望む。 そのために、恋人や、ましてや配偶者がいる人生なんて、むしろ私には恐怖でしかなかった。 自分でコントロールできない存在に、人生を左右されるなんて、真平ごめんだ。 なのに、何を泣くんだろう。 夜にテレビで百人一首カルタを見て、北海道を思い出してしまったせいかもしれない。 小学生の頃、淡い想いを寄せていた男の子がいた。 名前も忘れてしまったけれど、入学してすぐに初めて見た時から、なぜか心が騒いで。 優しくて頭が良くて、足が早くて。 そこまでかっこよくなかったから、クラスではそこまでもててはいなかったけれど。どんな時も私に優しくしてくれていた覚えがある。 百人一首カルタで対戦した時、目の前にその子がいた。そして、同じ札を取り合い、手が重なった。 あの時取り合いしたのは確か「己れ」の札。 「なんでこれで、われって読むんだ」 私もそう思っていたから、同じことを彼が言っていたのがとても嬉しかった。 そして彼は、そう言いながら私に「己れ」と書かれた木札を渡してくれた。 そうだ。あの時同時に手をついたはずなのに、彼はなぜか私に札を渡してくれたのだ。 「われ」の下の句は「われてもすえに」だったはず。 上の句はなんだろう。 昨日のテレビで解説していた気がしたが、ちゃんと見ていたわけでもなく,なんとなく耳に入っていた程度では覚えているはずもなく。 枕元にあったスマートフォンで検索する。 「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」 流れの早い川の水が、岩で堰き止められて,一旦滝のように早い流れとなり、別れ別れになるけれど、その先でまた一つになるように、あなたといつかまた会いたいですね。 そう書いてある。 なんだよ、それ。 「別れ別れになるけれど、またその先で一つになれる」 その言葉で今度は本当の涙が溢れた。 あの子だけじゃない。 突然の別れで、友達にも誰にも何も言えなかった。 ある日突然消えた私のことは、きっとクラスで話題になったはずだ。何かの噂になったはずだ。 そして、長い時間がたつうち、いつしかみんなの記憶からそっと抜け落ちていったはずだ。 あの頃とまるっきり別人になったわけじゃないけれど。 苗字が変わり、環境が変わり、自分が悪いわけじゃないのに、どこか後ろめたい気持ちで生きてきた。 なのに、なんだよ、それ。 またその先で一つになれるって。 なんだよ、それ。 両手で顔を覆い、私は泣いた。 なんでこんなに涙が出るの。 会いたいなんて思っていないはずなのに。 寂しくなんてなかったはずなのに。 「お父さん」 その単語が口から出て、父に対する悔しさと,母に対する罪悪感と、同時にとてつもない寂しさに打ちのめされそうになる。 「あーーー!」 真夜中の部屋で叫んだ。 くっそう、泣くもんか! 手のひらで涙を拭いて、スマートフォンの画面を開く。 さっき調べたサイトの文字が目に入る。 この歌を詠んだ人は、政治的な争いに負けて、田舎の島に流されて失意の中に亡くなった、とあった。 思考が少しだけ止まる。 夢で見た人と思いが重なって行く。 「別れ別れになるけれど、またその先で一つになれる」 その人は二度と会えずに終わってしまったことだろう。 私はまだ生きている。牢に閉じ込められているわけでもない。 島流しに近いものはあるけれど,私はきっと、もと住んでいた場所に行くことはきっとできる。 なのに人生を諦めちゃダメな気がした。 んー、人生を諦める。 そうか。私は人生を諦めていたのかもしれないのか。 よくわからないけど、ふとそう思った。 その人が、この歌を詠んだ時、どんな思いがあったのだろう。 たった数文字で、深い思いを伝えるのってシンプルにすごいな。 私は、 「ごーしちごー、しちしち」と声に出しながら、指で数を数える。 「たった三十一文字なんだ」 たったそれだけの文字数が、千年以上も時間を超えて、私の胸に届くなんて。 天女を閉じ込めたいって歌ったことをキモいって思ってごめんなさい。 いや、やっぱりキモいけど。 でももっと勉強したら、ああ,趣があるって思えるんじゃないかな。 趣があるの意味はわからないけれど。 もし今北海道に帰ったら、あの男の子にも会えるかな。 顔も名前も覚えていないから、無理かな。 それに勇気が出ないから、やっぱりやめておこう。 うん。でも、いつか、帰ってみたいなぁ。 改めて画面を見つめる。 やっばり、会いたいな。 意味がないかもしれないけれど。 短歌の勉強をしてみようかな。 二十年ちよっとしか生きていないけれど、初めて趣味を持ってみたいと思ったな。 思いを言葉にして、こうして形にしていくうちに、自分が無くしてきた何かを、今は何をなくしたかもよくわからないけれど、それを見つけられそうな気がした。
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