2人が本棚に入れています
本棚に追加
俺に腹違いの弟がいると知ったのは数日前のことだ。いつものように仕事から帰ってきた親父は、母さんの前で土下座をするととんでもない事実を告げた。
昔から付き合っている女性がいる。その女性には小学生になったばかりの男の子がいて、それは俺の子だ。許されるとは思っていないけれど謝りたい。
親父のしどろもどろな言葉をまとめると、こんな感じだった。許されないと思っているのなら、どうして不倫をしたのだろう。そういえば、最近話題になっていたドラマも不倫モノだった。
まあ、親父のクソぶりは昔から変わらない。それよりも重大なことがある。それはこの世に腹違いの弟がいるということだ。
"弟"の文字をノートに書いて、それをぐるぐると丸で囲む。おとうと。弟。俺の弟。
親父が母さんにゲロった日からずっと"弟"のことを考えている。だから、いつもなら居眠りをしてしまう嫌いな古典の授業もずっと起きていられる。すごいぞ、俺の弟パワー。
今日は先週に引き続き、『源氏物語』だ。光源氏。この男もいろんな女に手を出してるから、腹違いがたくさん産まれるんだろうな。
窓の外に目をやると、どこかの組が運動場で野球をしていた。俺の弟も今、どこかの小学校で授業を受けているのだろうか。もしかしたら、体育をしているのかもしれない。弟が野球好きなら嬉しい。俺もそうだから。
青い空の下、広い原っぱでキャッチボールをしたい。そうしたら、俺たちはきっと仲良くなれるに違いない。
俺の弟が住んでいる家は案外近かった。俺ん家から電車で10分の距離だ。よく使う路線ではなかったけれど、そこそこ知っている。浮気をするならもっとどこか遠くでするものだとばかり思っていた。
学校が終わり、家に帰ることなく、弟の家を目指す。父さんから聞き出した住所。そこに俺の弟と知らない女が住んでいる。
電車を降りて、スマホの地図が示すピンを見ながら歩いているとようやく着いた。マンションだと勝手に思っていたけれど、一軒家だった。なんとなく見つかりたくなくて、持ってきた帽子を目深に被る。
家から誰かが出てきた。女と男の子だ。その子は野球のバットの代わりにリュックを背負っていて、眼鏡をかけている。小さくて弱そうだ。知らない女の血が半分混じっている、俺の弟。
女は弟を見送る。その時に少しだけ横顔が見えた。アイドルみたいなかわいい顔じゃなくて、おっぱいも大きくない。そこらへんのスーパーにいそうな普通の女だ。とびきり若いということもなく、母さんと同じくらいの年齢に見える。親父はこの女のどこが良かったのだろう。
弟の後ろ姿を見送っていると、弟が何かを落とした。弟はそれに気づいていないのか、立ち止まることはない。
見なかったふりをして、やりすごそうか。でも、あの男の子は弟だ。俺と血がつながっている、俺の弟。
落ちていたのは鍵だった。それをひっつかみ、弟の前に回りこむ。
「落としたぞ」
弟は俺を見上げるだけで何も言わない。
「ほら」
俺は弟の手を取り、鍵を握らせた。振り払われるかと思ったけれど、弟はまばたきをしただけだった。
「大事なものなんだろ」
弟はうなずくと、目線を合わせないまま、走って行ってしまった。
いっそのこと、古ぼけた家だったら良かった。かわいくて若い女だったら良かった。野球少年だったら良かった。そうだったら、なんとか自分自身を納得させることができるのに。
名前も声も知らない、俺の弟。だけどきっと俺はもう弟に会うことはないだろう。
最初のコメントを投稿しよう!