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「先生の新作のアイデアは盗まれた。余程面白い話だったのだろうな」
コタロウが呆然としながらも状況を説明すると、小六郎は顎に手を当てて二、三度頷いた。
「こういうことはたまにある。漫画家の先生たちの知らない間に、原稿の中の見えないところでは実は様々なことが起こっているんだ。前のコマではあったはずの花瓶が消えたり、いつの間にか登場人物の服の柄が変わっていたり、私はそういう『事件』をひとつひとつ解決している。どの漫画家にも私のような存在がひとりはいるんだよ」
コタロウは「はあ」と曖昧な相槌を打ってうなずいた。確かに知らないうちに細かな部分が修正されていて、アシスタントに聞いても誰がしたわけでもない、ということがたまにある。おそらくそれが小六郎の仕事なのだろう。
「今回はずいぶん大きな事件だ。これは先生の力を借りた方がいいと判断して出てきた。それに先生も困っているだろう、締切まであまり時間がない」
そうだ、とコタロウは思った。締め切りまであと三日。一刻も早く新作のアイデアを取り戻さなくてはならない。
「でも、小六郎さんーー」
「小六郎でいい」
「小六郎、どうやってアイデアを取り戻すんだ?」
すると小六郎は唇の片端を上げて笑った。
「犯人の目星はついている。彼がいるのは原稿の中だ。一緒に追いかけよう」
小六郎はそう言うと紙の指でコタロウのデスクに放り出されたタブレットを指さした。
「私と一緒に原稿に入ってくれ」
「どうやって?」
「私と一緒なら先生も入れる。だが、先生は生身の人間だから原稿の世界にいられるのは一時間だ。それを過ぎるとーー」
「過ぎるとーー?」
小六郎の黒インクの目がコタロウを見つめた。
「先生は原稿の世界に閉じ込められて、漫画になってしまう。二度とこの世界に戻ってくることはできず、漫画を描くこともできない」
コタロウは唇を震わせ、ぶんぶんと首を横に振った。
「それは絶対やだ! まだまだ漫画を描きたいし、新作のアイデアも取り戻したい!」
小六郎はそれを聞いてわずかに微笑むと、紙の手でコタロウの手を取った。
「では、行こうか。先生の原稿の世界へ」
小六郎はコタロウの手を取ったまま、逆の手を真っ白い原稿画面のままのタブレットに伸ばした。その手がずぶずぶとタブレットに吸い込まれていく。まるで真っ白な底なし沼に沈んでいくように。
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