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二回目のCMが明け、エンディングに入った。軽く今回の感想を話してからインフォメーションである。芦谷アナウンサーが話し出す。
『この番組ではリスナーさんからのお便りを募集しています。アドレスは○○@○○.jp、○○@○○.jp。どんな内容でも構いません。みなさまからの応募をお待ちしております』
『僕もとても楽しみにしているのでどしどしご応募ください! それでは今週はこのあたりで。お相手は俳優の紀美野相良と』
『アシスタントの芦谷睦実でした』
『『また来週!』』
エンディングテーマがかかり、徐々に音量が上がっていく。
そして、しばらく音楽が流れ、放送開始からきっかり三十分。音楽がフェードアウトし、今日の放送が終わった。
僕は今時懐かしい携帯ラジオの電源を切ると、愛用のビジネスバッグにしまった。さて、そろそろ彼も楽屋に戻ってくるころだ。僕は迎えのため、廊下に出た。彼はいまや人気俳優だ。スケジュールも詰まっている。
「志藤さん!」
廊下に出た瞬間、声をかけられた。それはさっきまで携帯ラジオで聴いていた声だった。
「芦谷アナウンサー! お疲れ様です」
「お疲れ様です。紀美野くん、スタッフの方とお話があるって、まだ残ってます」
「そうでしたか」
僕は手許のスマートフォンでスケジュールを確認する。遅くとも三十分後にはこの局を出ないと次の現場に間に合わない、と頭の中に入れておいた。
「志藤さん、今日の放送どうでした? 聴いてましたよね」
「とても良かったですよ。まあ、もう少し紀美野が喋れるようになれたら良いんだけどね」
「仕事熱心なのは良いですけど、誤魔化さないでください。難攻不落さん」
「ちょ、ちょ、ちょっと芦谷アナウンサー!」
僕は慌てて芦谷アナウンサーに詰め寄った。
「すみません、意地悪が過ぎました」
芦谷アナウンサーはくすくす笑った。
「それにしても、志藤さん、紀美野くんに何言ったんですか。本番前、とても落ち込んでましたよ。本番中だって……」
「ラジオの打ち切りを伝えただけですよ。僕も芝居の仕事をもっと取ってくるって言ったんですけどね」
「志藤さんって仕事仲間としてってなると本当に厳しいですよね」
「そりゃあね、仕方ないですよ」
「だからってわざわざラジオメールで出さなくても。直接言えばいいのに。紀美野くんにラジオ、続けてほしいんですよね」
「まあそうなんですけど、無理です。何たって僕は会社員ですから。どれだけ担当タレントを売るかが仕事なので、人気の落ちた媒体からは撤退しないと」
「じゃあ、紀美野くんからやめたくないって言わせれば打ち切りの話もなくなると?」
「やめてくださいよ、分析するの。恥ずかしいですから」
「不器用ですね。仕事はできるのに」
「方法がそれしかなかっただけですよ。それに……」
僕は紀美野くんの一番のファンなので、と言いかけてやめた。周りでも「自分がタレントの一番のファンだから」と胸を張って言う人はいるが、ファンと仕事は両立しちゃいけないというのが僕の美学だ。ごちゃ混ぜにしたら、売れるビジネスは成り立たない。
「何でもないです。とりあえず、僕は紀美野くんを売らなきゃいけないので。あー、紀美野くんが本当に『ラジオ続けたい』って言い出したら困っちゃうな。ハハハ」
僕は誤魔化して鼻の頭を掻いた。
「そうだ、芦谷アナウンサー。今度、新しい番組のレギュラーが決まったって聞きました」
「流石、情報が早いですね」
「放送が始まる前にプロデューサーから聞きました。おめでとうございます」
「実は、その話、まだ打診の段階だったんです」
「そうだったんですか。でも、受けるんでしょ?」
僕がそう訊くと、芦谷アナウンサーは首を横に振った。
「さっき断ってきました」
「え、どうしてですか?」
「難攻不落さんのラジオメールを読んだからです。もう、言わせないでくださいよ、恥ずかしいですから」
「すみません」
紀美野くん、良かったね。君のファンは周りにいっぱいいる。僕は嬉しくてたまらなかった。マネージャーとしても、古参ファンとしても。
廊下が少しずつ慌ただしくなってきた。スタッフたちがスタジオから出てきたのだ。
「もうすぐ紀美野くんも来ますよね」
芦谷アナウンサーは廊下の奥を眺めながら呟いた。来てもらわないと困る。うちのタレントは売れっ子で、次の現場が彼を待っているのだ。
「わたしもそろそろ失礼します。次の打ち合わせがあるので」
「はい。お疲れ様でした」
「あ」
芦谷アナウンサーは廊下の向こうに行こうとして立ち止まる。
「志藤さん、一つだけ訊いていいですか」
「はい。何でしょうか」
「どうして、ラジオメールが『難攻不落』なんですか?」
「それは、紀美野くんの前に担当していたタレントに言われたんです。『自分のやりたいことを全然やらせてくれない。やりたいことをやるにはまず、志藤結城という難攻不落の城を落とさないとダメだ』って」
「言い得て妙ですね」
「まあタレントのやりたいことで売れたら万々歳だけど、そんな簡単じゃないですから。でも、紀美野くんのおかげでその考えが変わるかもしれない」
「そうですか。落とされる日が来ると良いですね、難攻不落さん」
「はい。今後もうちのタレントをよろしくお願いします」
「こちらこそ。じゃあ、失礼します」
芦谷アナウンサーは爽やかに笑って頭を下げると、廊下の向こうに歩いていった。
紀美野くんはタレントとしての力はまだまだだけど、人を惹きつける力がある。それは彼の努力の賜物、というだけではない。芝居やタレントの仕事だけではなく、ファンのことが大好きなのだ。彼の場合、それはただの仕事ではない。生まれ持った使命みたいなもので、ビジネスとかそんなものは超越したところにある。しかも、彼自身はとても純粋で、それを無意識で行動に移す。
売るとかお金とかそういうことを考えてしまう僕とは次元が違う。こんな売りづらいタレントを受け持ってしまうなんて、僕は不運だなあ。まあ、逆に僕の手腕がなければここまで売ることは無理だったとも言える。
「志藤さん!」
スタジオの方から紀美野くんが走ってきた。焦っている感じもするが、嬉しそうだった。あの顔だと「ラジオ続けたいって事務所に言ってください!」とでも訴えてくるつもりだろう。
構わない。僕はあくまで会社員だから会社には逆らえない。だけど、ただの所属タレントなら多少のわがままは許される。それにそれを言い出すのは売れっ子の紀美野相良だ。事務所もノーとは言い切れないだろう。そして、僕は担当タレントと事務所の板挟み。この立場なら紀美野くんの肩を持てる。確かに不器用な作戦だ。
僕は思わず自分で笑った。
紀美野くんは僕の前で立ち止まり、「何か面白いことでもありましたか?」と顔を覗いてきた。
「いや、何でもないよ。さあ、急いで着替えて。次のスケジュールが詰まってる」
「分かりました。あ、あの、ちょっとラジオの件で話が」
「分かった、移動中の車で聞くから早く」
「はい!」
紀美野くんはそう返事をすると、飛び込むように楽屋に戻っていった。
まったく、元気なタレントだ。結構、結構。彼に振り回されるのなら、僕は難攻不落と言われようと彼を売り続ける。何たって僕はハードリスナー難攻不落だ。
楽屋の扉の向こうで慌ただしく彼の着替える音がする。急げ、人気俳優。
僕は二、三回ドアを叩き、「先に車で待ってるよ」と伝えると、廊下を速足で歩き出した。
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