平行する白線上のAとY

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 三月の夜は、思っていたよりも寒かった。  玄関を出てすぐ、うちの前には一本の小さな横断歩道がある。  その上を歩くと、向かいの家の前につながっている。 「なに?話って」  横断歩道の反対側に立っている明美姉ちゃんが声をかけてきた。  明美姉ちゃんは、向かいの家に住んでいる二つ歳上の幼馴染だ。 「ずっと好きでした。付き合ってください」  明日から、明美姉ちゃんは東京の大学へ行ってしまう。  もう会えない気がする。  そう思って、ずっと心に秘めていたことを伝えた。 「な・る・ほ・ど~。裕二は私のことをそういう目で見てたのか~」  間の抜けた言葉が返ってきた。いつもの明美姉ちゃんだ。  道路に出ているのは、俺と明美姉ちゃんしかいない。  この時間、めったなことで車や人は通らない。  ふたりの間にある横断歩道だけが、妙な存在感を示している。 「じゃあ、こうしよう。お互い、横断歩道の白線の上を一歩ずつ歩いて、同じ白線の上に立てたら、付き合ってあげる」  付き合ってあげる。明美姉ちゃんは軽々しく、そう言った。  俺は耳まで熱くして告白したのに。 「そんな言い方するんなら、絶対に成功させて、付き合わせてやるから」 「やってみ~。はい、一歩目」  声につられて、慌てて一歩目を出す。 「うんうん、裕二は素直だね。はい、二歩目」 「ほい、三歩目」  言われるたび、明美姉ちゃんの姿が近づいてくる。  当たり前だ。  等間隔に描かれた白線の上、ふたりは今、同じ歩幅、同じ歩数で近づいている。  俺と明美姉ちゃんは一心同体で、同じ動きをしながら、同じ目的地に向かって歩いているんだ。  鼓動が大きくなり、無性にいやらしい気持ちになる。  このまま進めば、胸の中に明美姉ちゃんが飛び込んでくる。  俺は、そのまま強く抱きしめればいいんだ。 「四歩目」  目の前に明美姉ちゃんの姿が来た。顔を見つめるには近く、触れようとするには遠い。  俺だけの距離だった。 「こんばんは」  明美姉ちゃんは、にこにこ笑いながらお辞儀をして、白線の端へと動いた。 「五歩目。折り返しだね」  俺たちはお互いに一歩を踏み出し、すれ違った。  ああ、俺はなんて馬鹿なんだろう。  言われるがまま進んでいれば、いつか同じ場所に立てると思っていた。  でも、それは叶わない。 「裕二は昔から、数学が苦手だったね」  何度も勉強の面倒を見てもらったことを思い出した。 「動く点Pの問題とかね。はい、六歩目」  懐かしい。中学の数学の問題。  あれから三年が経った。  今ならわかる。  横断歩道に描かれている白線の数は八本。偶数では、同じ白線の上には立てない。 「最初っから、分かってたんだ?」 「……うん。七歩目」  分かっていながら、俺は次の白線の上に足を置いた。  背中から聞こえるせいか、明美姉ちゃんの声は妙に小さい。 「はぁ~。やられた~」  泣きたいのを我慢して、唇を震わせながら、やっと出た言葉だった。  明美姉ちゃんとゲームをして負けたとき、俺はいつもそう言って悔しさをごまかしていたことを思い出した。 「受験まで一年ないんだから、もうちょっと勉強しなきゃだね。はい、最後。八歩目」  俺と明美姉ちゃんは、別々の方向を見ている。  視線も、考えていることも。  ふたりとも、最後の一歩を踏み出し、お互いの家の前に着いた。  そこで、振り返る。  なんだか、明美姉ちゃんの姿が、とても遠くに感じられた。 「終わり終わり。明日早いから、もう寝るね。どこの大学に行くかは知らないけど、勉強がんばってね」  そう言って、白線などないかのように、自分勝手な歩幅で明美姉ちゃんが歩いてくる。 「おやすみ」  俺のわきを通り、家の中へと入っていってしまう。  この夜、俺は失恋を経験した。  ひとり残された三月の夜は、思っていたよりも、ずっと寒かった。
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