10.心に何度も鋭い刃物が

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10.心に何度も鋭い刃物が

「千夏、その前に運動会に行けなくてごめんって翔太に謝るのが先だろう。翔太はずっと気にしてたんだ、お母さんは来るのかって」  母親は気まずい表情で言葉に詰まる。 「そっか、ごめんね。翔太。運動会に行けなくて」  本当に悪いと思っているのか、口先だけで謝っているのか、翔太にはわからない母親の言葉。 「だいたい、千夏がいつも家に帰ってこないで遊び歩いてるから、息子の運動会がいつなのかもわからないんだ。そうだろう?」  祖父がいらだった声を上げた。 「別に遊び歩いてるわけじゃないの。こう見えても……」 「言い訳なんか聞きたくないんだ。今すぐそんなチャラチャラした生活なんかやめて、そろそろ翔太の面倒をちゃんと見てもいい頃だろう。翔太とお前の将来だって考えなきゃ。家に戻ってきて地道に働く、それでいいじゃないか。なにが不満なんだ」  祖父がそんなふうに怒りをぶつけると、祖母も加わって激しい口論がはじまった。いつものことだった。翔太はどうしていいのかわからないまま、じっと三人の激しい感情的なやりとりが収まるのを待つばかり。心に何度も鋭い刃物が突き立てられるような気分で。 「お父さん、そろそろお店の時間が……」  うんざりした顔の祖母が時計に目を向けて言った。 「とにかく、千夏もそろそろこれから先のことを真剣に考えろよ」  祖父は夕方の開店準備に一階へ降りていく。部屋に静寂が戻る。 「お父さんは千夏と翔太のことを心配してるから、あんなふうに厳しく言うのよ。千夏もわかってあげなきゃ」  静寂の中で祖母が母親に告げた。行き場のない静寂に耐えきれなかったみたいに。翔太は隣の部屋の金魚鉢を見つめるばかり。自分の力では金魚鉢の外に行けない金魚。けど、みんなにいじめられることもない金魚。 「それはわかってる。けど、そういうわけにもいかないの」 「そういうわけにもいかないって……」  今度は祖母と母親とのあいだで口論が始まりそうな雰囲気が満ちる。母親はそんな雰囲気から逃げようと、祖母に告げる。
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