12.床の上で踊るように跳ねる金魚

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12.床の上で踊るように跳ねる金魚

 翔太は唐突な出来事に、なにが起こったのかさえもわからない。混乱した頭のまま自分の家に戻るしかなかった。 「お母さんは?」  翔太の帰りを待っていた祖母がたずねた。  翔太はなにも言えないまま、立ち尽くすばかり。今の隣の部屋では金魚が一匹泳いでいた。祖母は翔太にもう一度たずねる。 「翔太、お母さんはどうしたの?」  言えるわけなかった。知らない男の人の車に乗って行ったなんて。  翔太は黙り込んだまま、隣の部屋に置いてある金魚を見つめる。透明なガラス製の金魚鉢で、孤独に泳ぐ金魚。僕はこんなに小さな金魚鉢から出られない金魚と一緒だと翔太は思った。  僕の力じゃ、お母さんに会いたいときに会うこともできない。家から出て行くお母さんを引き止めることも、家に連れ戻すこともできない。僕にはなにもできない。金魚が金魚鉢から出られないのと同じで。  翔太は衝動的に隣の部屋に入る。翔太の寝室でもある部屋。その部屋の背の低い棚の上にある金魚鉢。翔太は金魚鉢を両手で持ち上げ、思い切り床に投げ落とした。 「翔太!」  祖母の驚きの声と同時に、金魚鉢は床で粉々に砕け散った。派手な音とともに。金魚は砕け散ったガラス片の中で、ぴちぴちと踊るように跳ねていた。 「ごめんなさい……」  我に返った翔太の目からは大粒の涙がポロポロとあふれ、やがて堰を切ったように次々にあふれ出す。翔太は泣きながらガラス片を拾い集めようと床に手を伸ばす。 「痛っ……」  右手人差し指の爪の付け根あたりから真っ赤な血が流れはじめた。床の上で踊るように跳ねる金魚のような赤い色をした血が。 「翔太、危ないからそのまま動かないで」  祖母が雑巾とバケツを持って、床の上を片付けはじめた。 「ごめんなさい、おばあちゃん」  祖母はやさしく同情するような、憐れむような顔で首を振り、翔太の指を手に取る。 「ケガを治さなきゃね。それほど深い傷じゃないから大丈夫」
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