01.右手の人差し指

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01.右手の人差し指

「マスターは犬は好きなんですか?」  常連客の丸山さんがマスターにそうたずねた。平日夜のカフェ・レインキャッチャー。今夜も丸山さんは仲の良い大塚さんとともにカウンター席でコーヒーを味わっている。  大塚さんが帰り道で拾った白い子犬の飼い主を探している。そんな話の流れで質問をされたマスターは少し考え、口を開く。 「実は今まで一度も犬を飼ったことないんです。犬に限らずペット全般を飼ったことがないんで……」  マスターのそんな答えに二人は困惑する。けれど、すぐに白い子犬の飼い主探しの話に戻った。二人が店を出たあと、カフェ・レインキャッチャーには白い子犬の飼い主探しのフライヤーが貼られた。  閉店後の店内は静まり返る。アルバイト店員も帰り、ひとりレジの清算に取りかかろうとしたマスターは、さっきのやりとりをふと思い出す。口の中に小さな苦味が広がる。心ならずも常連さんにウソをついたせいで。  たしかに自分は犬を飼ったことはない。それは事実だ。けど、ペット全般を飼ったことがないと言ったのは、厳密に言えば事実ではない。金魚なら一匹、子どもの頃に飼っていたから。  マスターはカウンター奥の壁に飾られた一枚の写真を見つめる。『純喫茶 あまがさ 昭和50年春開店』との説明のある家族写真を。 「お母さん……」  マスターは無意識に自分の人差し指を見つめる。  右手の人差し指、爪の付け根の下あたり。一直線の傷跡は周囲の皮膚と明らかに色も肉付きも異なる。その傷跡をしばらく眺めたマスターは深いため息をつき、レジの清算作業に取りかかる。
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