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Ep.3 遭遇
重たい音を立てて、扉を押し開ける。
「う”っ・・・」
俺は思わず咳き込んだ。先ほどよりも濃い血の香りが漂っている。腐臭も心なしか増している。
せり上がる吐き気をぐっと堪え、部屋を見渡した。幸い、照明がまだ生きているようで、懐中電灯がなくても周囲の様子がわかる。
どうやらここは待合室のようだ。本来なら整然と並んでいるだろう長椅子はひっくり返ったり、中の綿がはみ出したりとぐちゃぐちゃになっている。受け付けブースの棚からはカルテが大量に流れ落ちているし、パソコンのケーブルが引きちぎられ、バチバチと火花を散らしている。受付カウンターの横には扉があり、どうやら先に繋がっているようだ。
厳重そうな扉の奥に現れた待合室に違和感を覚えたが、問題はそれだけじゃなかった。
「だよな・・・」
臭いの元があちこちに転がっていた。つまり、酷く損傷した死体たちだ。
ある者は床にうつ伏せで倒れているし、ある者は椅子に腰掛けたまま事切れている。受付のカウンターからは、血にまみれた人間の腕が引っかかるようにして覗いている。
どれも、腐敗が進んでいるようだ。試しに、側にいた腰掛けている死体に近づくと、俺と同じ病院服が乾いた血液でどす黒く汚れていた。手首には青いリストバンドが巻かれているが、汚れていてよくわからない。
自分の手首を確認してみたが、何も巻き付いてはいない。ただ、手首に擦れたような跡があるから、もしかしたら付けていたのを無理やり取ったのだろうか?心当たりはなかった。
今度は倒れている死体に近づく。腹の辺りから血が広がっていて、背中も血だらけだ。
この死体も、手首にバンドを着けている。色は黄色。色の違いは何かを意味しているのだろうか?
死体にはできるだけ触りたくないが、もっとよく確認した方がいいかもしれない。
そう思って、バンドに手を伸ばしたとき
”ガチャン!”
俺は飛び上がった。
辺りを見回す。一見すると、どこも変わった様子はない。
いや、違う。
受付カウンターにあった腕
それが、今は見えなくなっている
咄嗟に、側にあった長椅子の後ろにしゃがみ込む。もちろん、ただ自然に物が落ちた可能性だってある。腕も、死後硬直が解けたとかなんとかで、ずり落ちた可能性だってあるのだ。それに、これはただの夢だと思えばそんなに恐れることはないのかもしれない。
しかし、俺は反射的に、身を隠すという行動をとった。
これは直感だった。なんだかすごく嫌な予感がした。
俺は耳をそばだてた。
”ず・・・ず・・・”
布が擦れる音
何かが床を這っているような音
心臓の鼓動にかき消されそうな微かな音は、ゆっくりと一定のリズムで
近づいて、きている?
まさかそんな
ホラゲのし過ぎだろ、俺。
なぜか笑いが込み上げてくる。
落ち着け、そうだよ、音が聞こえる、なんてのは思い込みかもしれないし、幻聴かもしれない。異常な空間のプレッシャーに飲まれたとか。
”ずる・・・ずる・・・”
俺はぶんぶんと頭を振った。そんなことはない。音は確かにこちらへ近づいてきている!
震えながら深呼吸をした。空気は淀んでいるはずだが、鼻が麻痺したのか匂いはしない。
意を決して、椅子の影から受付の方を覗いた。
「……ひッッ!?!?」
喉からせり上る悲鳴を押し殺す。
這っているのは、人間に見えた。
でも、本来ならもう動くはずのない人間。
「ゾンビ……だ……っ…」
服装までは見れていない。ただ、血だらけの顔面をこちらに向け、奇妙な方向に曲がった腕を地面に擦り付けるようにして、こちらへずるずると近づいてくる姿は、まさに生きた屍、ゾンビだった。
もう、ここにいることはバレている。
俺は考えた。ただのゲームでの知識だが、ゾンビには2種類いる。1つは、動きがのろいタイプ。もうひとつは走れるタイプ。
あれは、果たしてどちらだろうか?
ただ、這っているから、そもそも走ることが出来ない状態かもしれない。足が折れているとか。
俺は、その考えに賭けることにした。
もう一度、ゾンビの方を覗く。
先程より、やはり俺の方へ進んできている。崩れた顔がより鮮明になり、空いた口から垂れる粘液のようなものが床に垂れる様に、足が震えた。
どうにかしなければ。
ここで隠れていても始まらない。
俺は受付横の扉へ目をやった。黒いペンの線がそこへ続いていることから、開いている確率は高いだろう。
しかし、扉の先は、もっと酷い有様かもしれない。
なら、あのゾンビを斃す方法を考えるか?
武器になりそうなものはあるだろうか。
辺りを見回す。
部屋の隅に、消化器が倒れていた。
あれくらいしか、今直ぐに手にとれそうなものはない。
三度単語椅子から後ろを覗く。もうあまり時間は無い。あと少しで、手の届くところにゾンビが来てしまう。
俺は歯を食いしばり、鼓舞するように足を強く叩いた。震えは止まらないが、思い切って立ち上がると、一目散に消火器へと走った。
背後で唸り声がした。
消化器を引っつかんで振り返る。
ゾンビが、ゆっくりと立ち上がろうとしているところだった。
これを逃したら、負ける。
「おらぁッ!!!!」
俺は、その頭に思い切り消化器を叩きつけた。
ゴッ、という鈍い音がして、腐った体がよろめく。
「このッ!!!」
もう一度、背中に消火器を振り下ろす。
メキ、という音がしてゾンビは勢いよく床に倒れる。うつ伏せになったそこに、追い打ちをかけるように消火器を振り上げ、頭や首を狙う。ゾンビを倒すときに狙うのは頭だと、「エンドレス・ゾンビ」で共に戦ったキャラクター、サンドラから幾度となく叩き込まれていた。
何度目かで、轢かれたカエルのように広がった手足
が動かなくなった。俺は凹んで傷だらけになった消火器から手を離すと、その場で座り込んだ。
「はぁ……はぁ……これで…大丈夫…か?」
火事場の馬鹿力というやつだろうか。自分がやったとは思えないが、腕のだるさが何よりの証だった。
このゾンビは、看護師だったらしい。よくよく見れば、ズボンタイプの看護服を着ている。曲がった腕に巻かれた包帯がほどけ、歯型のようなものが見えた。
ゾンビに噛まれ、感染したのだろうか。
「ちょっと待てよ…!」
俺は他に転がっている2つの死体にさっと目を向ける。動く気配はないが、もし彼らも噛まれていたとすれば、ゾンビ化して襲ってくるかもしれない。
俺は消火器を持ち上げ、床に倒れている死体へと消火器を振りかぶり、頭を何度か打ち据えた。
死体は特に動き出すこともなく、脳の破片をぶち撒けただけだった。
俺はふと、この倒れている死体の背中にいくつか穴が空いたようになっていることに気がついた。
この死体は、背中からも腹からも出血している。
「もしかして…撃たれて死んだ…のか?」
俺は吐き気をこらえて、死体の背中をよく眺めた。そこには、確かに凹みがあり、照明の光を反射して肉に埋まった弾が残されていた。
「噛まれてから撃たれたのか、噛まれる前に撃たれたのか…?」
噛まれた人間をゾンビ化する前に撃ち殺したと考えるのが妥当だろうが、よく分からない。一見して噛み跡は見当たらないので、もしかすると噛まれていないけれど撃たれたのかもしれない。
「というか、銃持った奴がいるかもしれないんだな」
もちろん、銃を扱った経験は無い。しかし、銃があるのとないのでは安心感が違うし、一応、ゲーム内では何万発と発砲してきた。夢の中なら、多分その記憶で上手く扱える…ということになるんじゃないだろうかという淡い期待がある。
それに、こちらの方が現実的だが、銃を扱える人間が生きていれば、力を借りて脱出することが出来るかもしれない。
見通しは少し明るくなった。
俺は、もうひとつの死体も同じように頭を潰し、もう完全に使い物にならなくなった消火器を放った。酷く疲れているはずだが、アドレナリンが出ているのかあまりそれを感じない。
少し休んでから、そういえば、と受付の奥を覗いて見た。案の定、ぐちゃぐちゃになったカルテやパソコンの破片などが散らばっていて、足の踏み場がない。
と、半開きの棚に目が止まる。
「……これ、なんだろう…」
見たことの無いパッケージだった。しかし、なんとなくそれが食べ物であるとわかる。巷に出回っている固形エネルギー食品に似た雰囲気を感じた。
紙箱を開けると、小分けされたキューブタイプのクッキーが4つ入っている。試しにひとつ開けてみると、シナモンの甘い香りが広がった。間にはジャムのようなものも挟まっている。
「うっっっま……」
口の中で解れるシナモンクッキーの食感と、ストロベリージャムの甘さが体内にしみ渡る。甘さのダブルパンチは、通常ならくどいかもしれないが、今は非常にありがたい。
「エンドレス・ゾンビ」にも、ビスケットがあり、小回復アイテムとしてこまめに食べていた。あれは、確かプレーンとチョコの味があって、製品化されていたよなと思い出す。味は普通のビスケットなのだが、入れ物の缶が限定特別仕様で、小遣いをはたいて2缶買って一時期延々と食べていた。
正直、あれよりも美味い。
などと、舌づつみをうっているとすべて食べてしまっていた。まぁ、持ち運びが難しいから見つけたものをこの場で消費するのは仕方がない。
なんとなく回復した俺は、そばにある扉へと近づいた。耳を澄ます。特に何も聞こえてはこない。
俺は、生存者の可能性を信じながら、ゆっくりと扉を開いた。
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