あなたの傍らで知る

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 *  そんなこんなで時が進むにつれ、バレンタインまで残すところあと半日となった。その日は少女は現れず、想い人のためにとっておきの生チョコを作って渡すのだろうと私と彼は少女に分けてもらった乙女の恋心で話に花を咲かせていた。今夜は彼が珍しく遅くまで付き合ってくれることになったため、普段弱々しい光もこのときはいくらか明るかったように思う。そうして私は、普段は持ち切りだった少女の話と別にくたびれた足音を待っていた。彼にもこの足音からの千鳥足になる様を見せてあげたいと思ったのだ。  だが彼がその足音を目の当たりにすると、「……おまえもか」と言った。そこに普段のお調子者の姿はなかった。  知り合いかどうか尋ねると彼は「彼奴の父親だ」と答えた。彼は少女が無理無理渡してきた試作品の生チョコを前足で掴み、くたびれた状態でだらしなく伸びた父親の傍に置いた。  そこから何分か、彼と父親の長く疎通の取れているか不安定な会話を聴いた。 「10年見ないうちに随分と頭が薄くなったもんだな。」  カシュ、とプルタブの開ける音が返事する。いくら動物同士だからといって言語が通じぬことに彼はもどかしさを感じていた。だが聞こえぬ方がおれにとって都合が良かったのかもしれない、なんて後になって下手な言い訳をしていた。 「おまえのプロポーズを手伝ったの、憶えているかナア。当時6歳だった女の娘を、おれが遊び相手になってやったりもしたんだぜ? ……今も家族支えるために必死に生きてんだな、あん時と同じくよォ……。」  父親の方はまるでまぼろしでも見ているかのように、こんな立春が過ぎたばかりの夜に何分も佇むカラスを驚きながらも虚ろな視界で捕らえていた。そして―― 「……あの時の世話焼きなカラスみたいだ。」  そのひと言に、彼はと同じく結婚指輪を啄いたのだと思う。父親は「おおっと、」と酔いながら左手薬指にはめてあるそれをサッと背に隠した。彼は「やられちまったぜ」と言わんばかりに首を傾げてみせていた。  父親は彼の頭にすっかり皮の厚くなった右手を置くと、 「……もう少し頑張らなきゃな。」  そう呟いては小綺麗にラッピングされたそれを彼から受け取り、千鳥足にならぬ程度の酔いで足音を消した。  一人になった彼に私はどう声をかければよいか分からなかった。こんなにも神妙な面立ちに、何も知らぬ私が首を突っ込んで良いものか、夜は素知らぬ顔で時ばかり刻んでいく。 「……あんなに汚れちまって。」  彼と父親の思い出を、以降彼は訊いても口を開くことのないまま、バレンタインデーは訪れた。
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