あなたの傍らで知る

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 喩えばあなたが春を仰ぐとき、数種の地に咲く離弁花に黒の御簾を垂らし俯くさまを、私はあなたの奇を衒うことなく静かに見据えている。  あなたが夏木立に肌をさらし漏れる陽の忌々しい眩しさに蕩けるときは、大樹に焼跡が心配される背をご自慢の深緑で覆ってもらい。また悠々と過ごし、秋・冬とこれまた同様にあなたがこの錆びた電灯の目下短い生命をてらてらと光らせて戻ると、私は密かにあなたの背景を六感で吸い。宵の口から蛾の群がる白熱のヴェールを、年々伸びていくその心根に射すのである。  それが私の使命であり、また宿命であった。だから私に出来ることと言ったら、やはりそれだけなのである。 「随分と寂れた電灯サンだナア。いつにも増して冴えない顔してやがる。」  舗装された人間用の砂利道に小柄な濡羽が顔を出す。すんなりとした顔つきで、図々しく空気を割って入ってくる。 「ご自慢の嘴で老婆心を啄くのはやめとくれ。劣化が進むジャアないか。」 「脆いこと言うナア。冬になると電灯ってのは心まで錆れるものなのかね」 「そうとも。静物ってのは直ぐに廃れてしまうものなのさ。」  いつどの季節が過ぎようと、私の自我が芽生えた――約10年前、白熱電球を嵌められたときから――このカラスは私という現象をさも珍しそうに柔い首を傾げ、ナアナアと気安く話しかけ。気付けばずっと私の傍らを徘徊し、心根に触れては調子好くカアカアと鳴いていた。つい手前、おまえは何年生きているんだと質したものの、(レディでもないくせして)「レディに年齢を訊くだなんて失礼ね!」と調子好く返されてしまった。声高らかに笑っていたのが今思い返しても腹立たしい。  当の本人である私の誕生(人間で言うところの製造年である)は、自我を交換されてからというもの、おおよその見当でのらりくらりと生きてきた。  気にならない訳ではなかったが、だからといってどうこうできる訳もないのだから。寧ろ生まれたての気持ちを何度も味わえる(であろう)ことから、マアなかなか面白い代物に生まれたもんだと思う限りであった。  ただフィクションと違い、思うように首を曲げて景色を取り込めないのが難点ではあるが。  だから私は、「喩えば」の加護を受ける真後ろの大樹の存在を、素肌越しにしか感じられぬ。それを気に病み、またそっぽを向いたまま何年も視界に入る位置にいることがどれだけの失礼にあたるのか――ここ数年、そんなお調子者に訊ねては「もう勘弁。」と返されるのがオチであった。 「何年も見てるんだから、ようく分かるじゃないか。  私が極度の心配性ということは、その利口な頭に仕舞い忘れてしまったのかい?」 「ナアニ、よく憶えている。おまえの隣に何年いると思ってんだ。  それで? 今度はどの人間に世話焼いてんのかしらん?」  私は踏まれてぼやけた褐色の石畳をペタペタと音立てる相棒に少しの沈黙を預けた後、「もうすぐバレンタインだろう?」と返す。ペタペタは傍聴の合図に歩く動作を緩めると、「フゥン。」と鼻で相槌のビートを刻んだ。大して聞いていない素振りを見せながら、此奴というやつはようく話を聞いてくれる。  その態度に安心しながら、私は続けた。 「春、制服に身長を置かれた少女を憶えているかい? 花咲く地面に、紺青の映えた雫のようだと話した子さ。最近、私の手前で俯いてはやたらと溜息を吐いてね。  前髪脇の御簾がまたも横顔を直ぐに閉じてしまったのだけれど……、隙間から艶めいた瞳と頬が誰かを想うでね――。」 「ホォン。あのメスが、どこかのオスに求愛していると」  私は飲んだこともない茶をブッと噴き出した。 「ばッ、あなたはネエッ! 言い方をもうちょっとオブラートにできないかしらんッ!?」 「おおっと、失敬。つい癖で、ナア」  此方を見上げてニヤつくペタペタは褐色の上で愉しげにステップを鳴らす。こういうところが嫌いだ。 「ンデ? なんでおまえがその女の恋路を気にしてるのさ。……というか、前にもなかったか、こういうのは?」 「初々しさが残る姿が印象的だったからさ。それに、私が目にした人は一人残らず幸せになってほしいのだよ。」「究極のお人好しだな。……」  直に17時になる。蜘蛛の巣の影と年季ですっかり弱った光を点けると、続いて呟いたカラスの声は周囲の寂れた(くう)に余韻ばかり残して消えてしまった。彼が何を言ったか質してみたが、此方が顔を覗き込もうとすると途端に目を逸らし「何でも。」と答えたっきり口を開かず、街の冷気を目蓋で掴んでは離す遊びをし始めたので、私は「あいわかった。」とだけ返した。こういうときの彼は意地でも答えようとしてくれないのを私は知っている。 「話を戻そうか。それで、少女のことなのだけれど。どんなチョコレートを作ろうか迷っているらしくって。手助けしてやってくれないかな。」 「ハア? おれに分け前があるなら兎も角、チョコジャア話にならないわ。おまえこそ、おれがチョコ食ったらどうなるかちゃあんと覚えているのか?」 「勿論? それに、あなたにお零れがあるなんて私はたったのひとことも言っていないが。」 「だったらなおのこと――」  と彼が発言したところで例の少女が黒の御簾を揺らし、白い息を吐きながら製菓のレシピ本を両手に抱え向かってきた。   「ホラ、あの子さ。今日は機嫌がよさそうだ。」 「……あの時の?」 「そうだよ。あの日も同じように艶やかな髪を靡かせていたじゃないか。」 「……アア、『跳ねさせていた』な。……ヘェ、だいぶ大きくなったもんだ」  少女の姿かたちは私たちが目にしてから差程変わっていないように見えるのだが、注視しているうちに小さな変化を見落としているのかもしれないと、私は彼の言葉を黙って呑んだ。 「マア彼女は優しい性格をしているから、クッキーなんかも試作して食べさせてくれるんジャアないの?」 「――イヤ、今回は(よしみ)で動いてやることにしよう。かなり懐かしい顔が出てきたもんだからな」 「ホォ? 珍しいね。ジャア、よろしくお願いするよ」  少女が私の灯に照る場所まで歩いてくると、どこか夢うつつに俯いて口角を上げる横顔が綺麗に見えた。恋する乙女の眼差しが見つめる先は今にほんの少しの勇気を希望を透かした美しい世界なのだろう。現実を忘れまいと悴んだ鼻さえも愛おしく、両腕に抱かれたレシピ本のキットとともに弾む心根が聴こえた。 「カア。」  そんな意識が反射して、不意に現れたカラスに少女は持っていたレシピ本を石畳へ落としてしまった。少女の話す言語は分からないが、恐らくカラスに驚いて、怯えているように見えた。  彼はこんなことは慣れっこだとでも言うかのように構わず本の頁を捲る。遠目からではよく見えないが、造形の複雑なものばかりが載っているのではないだろうか。彼の態度からしてが見えた。少女が料理上手かどうか分からずとも「少女は料理下手だ」と感じ取ったのだろうか?  しばらくして彼が嘴である頁をトントンと啄いた。少女は彼の指示した頁を眺め、彼に確認をとる。すると彼は分かりやすくウンウン頷くので、少女も気が緩み、彼の真似をして見せた。  カア。  彼は私の頭上へ飛んでみせると、横顔までしか見れなかった少女が此方を正面に微笑んでみせた――。無論、相手はな訳だが、こんなにも満ち足りた気持ちはだいぶ久しかった。 「ありがとう。」  彼に素直な気持ちを伝えると、「いい仕事をしてやったぜ」と、顔の調子を見ずとも分かるくらいの声の機嫌で返してきた。 「何を選んでくれたんだい?」 「石畳みてェなやつさ。作り方もシンプルで、且つこの路みたいで気に入った」 「石畳……生チョコか。本命にもよく使われるみたいだし、いいんじゃないだろうか?」 「フフン、流石オレサマだろう? センスがいいんだよな、センスが」 「ハイハイ、直ぐ調子に乗る。  ……アア、そういえば、他のレシピを見ていた際に首を振っていたのは何か理由があったのかい?」  そう言うと彼は「それはな、」と続けた。   「彼奴、いつぞやの春に泥団子食わせようとしてきてな。子どものイタズラだと思ってそっぽを向いたら泣き出しちまって。仕方なくそこに貼っ付いた花弁だけ掻い摘んで食ってやった思い出があるんだよ。  食えなさそうな料理を本気で出す奴なんて料理下手しかいねェだろ?」 「……そんなに幼い少女だったかな。いくら年端も行かぬ子どもだからといって、そこまでだっただろうか?」 「『そんなに幼い少女』だったさ。おれたちが老いていくように、彼奴だってグングン成長していくんだ。」  さて、と彼が口に出したところで、私は心の中で頷いた。 「そろそろねぐらに戻るとするか。当日がお楽しみだな」 「アア。気を付けて」  空は私の周りを除き深い青紫へ染まっていた。彼は大樹たちの不気味な葉音の鳴る方へ、私の頭上を軽く蹴って飛び去っていく。一人になった私は、直に手前のベンチで麦酒を煽る彼を待ちながら、いつまで持つか分からぬ弱々しい灯を点して過ごすことにした。
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