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『臨時会議』という名前の、開発部長による魂を恐怖に震わせるシャウトを拝聴し終わったのは、あと1時間ほどで日付が変わる頃だった。
まぁ、時間は長くとも抽象的な精神論をリピートしているだけで具体性は何も無いんだがな。
「ふぅ……」
左手首の時計表示を見やる。どうするかな、このまま何もせず帰宅する道を選べば終電の時間を気にしなくてもよさそうではあるが。
しかし、その場合は明日の午後は修羅場だろう。
そうなれば今度は課長が「どうするつもりだ」と怒鳴り込んでくるに違いない。課長だって部長に怒鳴られたくないからな。
ま、どの道この時間では妻も子どもも先に寝ているだろうし。
「あと少しだけ仕事していくか……」
ため息とともに無意味な落書きを連ねたノートを自席の上に乗せる。すると。
「何だお前、まだ仕事していくのか?」
声をかけてきたのは同期の灰沢だった。同じ開発部でも性能試験を担当する僕らとは違い、新規開発の最前線を走るエースだ。頭のできが違うのが少しばかり妬ましい……が。
「明日のために、少し」
眼を伏せて椅子に座る。
「あまり無茶するなよ、俺も人のことを言えた義理じゃないが」
こうして気を遣ってくれるから、憎めないんだよな。だめだぜ、そんなんじゃあ出世はできんぞ。うちの会社ではさ。だからせめてこっちも気を使う。
「……で、可能なのか? 部長の言ってた件は」
いつものことだが、今回もまた随分な無茶振りだったと思うが。
「『できない』っていう選択肢はないんだ。何とかするしかないだろう。……今までだってそうしてきたんだ。だから今回もそうするしかない」
言葉は濁しているが、言いたいことは理解できる。
「そうだな。僕ら試験課もできる限り協力はするよ。ただ……」
「分かっている。うちは国の認定工場で役所からの定期監査が入るから『嘘はつけない』。それは理解しているつもりさ。だから無理は言えないが……」
ちらりとこちらに苦しそうな視線を送ってくる。『多少なりとどうにかならないか』という意味だろう。気持ちは痛いほど分かる。しかし。
「試験側はあと0.2%アップってところだろうな、どれだけ頑張ったとしても」
「いや、そこの0.2は大きい。後の数字はどうにか考えてみるさ」
そう言い残して灰沢がボサボサ頭のまま研究室へと戻った。
猛暑の影響で需要が伸びている、我が家庭用エアコン業界。
今朝、我が社に激震が走った。ライバルのベルティ電気が従来より5%もの省エネを達成する新商品を発表したのだ。
昨今の電気代高騰もあって消費者の眼は厳しい。ライバルの攻勢に本体値引きでしか太刀打ちできなければ経営は厳しくなる。
そこで開発部長が何も裏付けもなく持ち出した指示が『従来比5.2%省エネの新商品を出せ』だったのだ。
それも次のシーズンに間に合わせろという条件だから大幅な仕様変更をする時間はない。
無論、そんな都合のいい話なんてありゃしない。あればとっくにやっているからだ。
だが僕たち雇われ者に『できません』はない。だから。
そう『限りなくブラックに近いグレーな仕事』をするしかない。
そうして、この会社は今日も回っている。
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