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36.戦友◆レナード視点
「ご指示いただいた通り、やり遂げました」
連絡もなく訪問して来た公爵家の令嬢はそう言って不機嫌を隠す素振りもなくマシュマロを摘む。
感謝の意を示しながら、そんなに嫌なら手を貸す必要もないのにと内心溢した。白い手には今日も大きな宝石を嵌め込んだ指輪が飾られている。
「それで、ニューショアにはいつ頃発つのですか?」
「……君には隠し事が出来ないな」
「王宮にも何人かファーロングの犬を送り込んでいるので」
「君と結婚していたらと思うと恐ろしいよ、ミレーネ」
「でしょうね。貴方に私は飼い慣らせませんもの」
歯に着せぬ物言いはいつだって変わらない。
男たちの多くは、彼女の可憐な容姿に騙されて「是非とも自分が守りたい」「蝶よ花よとそばで愛でたい」などと夢見るようだが、並大抵の覚悟では痛い目に遭うだろう。
彼女のために用意しておいた美しい正方形の角砂糖は、平坦な四つの面が光の加減によって異なる色を見せる特殊な作りをしている。ミレーネは気に入ったようで、窓から差し込む太陽の光にその塊を透かして楽しんでいた。
「しかし…随分と公爵家も格が落ちたものですね」
「………というと?」
「マルクス・ドットの失言には聞き捨てならないものがありました。イメルダを傷付けるだけではなく、私や貴方の沽券に関わる言動もあった…」
「それは今に始まったことではない。彼はそういう男だ」
「そういう男に、貴方は負かされていたわけですか?」
「………っ!」
自分の投げた言葉が的確に相手の心を抉ったのを確かめて、ミレーネは美しく微笑んだ。
本当に良い性格をしていると思う。
ゾッとするほどに彼女は挑発的だ。
「ドット家が公爵を名乗れるのも時間の問題。ニューショアで適切な証拠が手に入れば、すぐにその責任が問われるだろう」
「ああ、例の薬の件ですね。貴方が直々に行く必要があるのか私は疑問ですけれど、男性ってそういう見栄を張りたがる生き物ですものね」
「見栄?」
「自分の手柄にして、イメルダに示したいんでしょう?」
「……くだらないな。嫉妬で頭が狂ったか」
澄ましていた顔に一瞬、怒りのようなものが滲んだ。
「君が犬を送り込むように、ドット公爵家に内通した人間が身内に居ないとも言い切れない。大事な裏取りは自分の手でした方が良いと思ったまでだよ」
「なるほど。顔は割れていないのですか?他国の王族が自国の犯罪を嗅いで回っていると聞くと、国交に関わると思いますけど…」
「訪問するのは薬物を密造しているニューショアの西部だ。王冠を被って行くわけでもないし、多少の変装はする」
ふぅん、と相槌を打ちながらミレーネはまた数個のマシュマロをポイポイと口へ放り込んだ。
婚約者として接している間よりも、関係を白紙に戻した後の方が彼女は自分らしさを発揮している。ただ花のように微笑んでいるだけだった公爵令嬢が、ここまで噛み付いてくる人間だとは想像もしていなかった。
予定があって出席出来なかったマルクスの婚約祝いに、代わりに参加すると言い出したのはミレーネだった。友人としてイメルダを支えたいと言う彼女の希望を聞いて、何か起こった時は頼むと送り出した。そして、実際に汚名の危機を見事に防いでくれたわけで。
「しかし、不思議なものだな。君と僕とは良い恋人同士にはなれなかったけれど、こうして話す限りでは良き戦友にはなれそうだ」
「ご冗談が過ぎますわ、殿下」
「?」
「私は貴方のように、女の涙に付け入って身体を重ねるなど、卑劣な真似は決してしません」
「………手厳しいな、本当に」
溜め息を吐くと、ミレーネはふあっと欠伸を一つして立ち上がった。もう言いたいことは言い切ったようだ。
「あ、最後に一つよろしいですか?」
「なんだ?」
「これからイメルダに気持ちを伝えるご予定で?」
「いや。すべて片付けてからにしようと思う。それに…僕は一度は振られている身だから」
「あらまぁ、悠長ですね……責任感のあること。でも、早くニューショアから帰って来てくださいね」
「出来るだけ早く終わらせて帰るよ」
「はい。その間は大切な友人として、私が彼女を守って差し上げましょう」
扉の前で振り返ったミレーネは不敵に笑う。
つくづく思うが、結婚しなくて良かった。
本気なのか遊びなのか分からない態度を取る再従兄弟だけに関わらず、攻撃的な態度で威嚇する自分の元婚約者までもがイメルダを狙っている。なんとも厄介な関係に痛む頭を振って、ニューショアへ向かうための準備を始めることにした。
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