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18.ガストラ家
勢いでレナードを訪ねて来たものの、ミレーネがレナードと一緒に居たらどうすれば良いのか。グレイスが一緒に居るから一人で来るよりは不審に思われることはないかもしれないけれど、私の心臓は緊張で爆発しそうだった。
しかし、私たちを案内する使用人によると、今王宮に居るのはレナードとその父、つまり国王であるコーネリウスだけらしい。母フェリスは婦人の集まりで外出していると。
ノックの後に短い返事があった。
私の胸を締め付けるレナードの声。
「イメルダ・ルシフォーン公爵令嬢とグレイス・デ・ランタ伯爵令嬢がいらっしゃいました」
「……イメルダ?」
部屋の中からレナードが驚く声が聞こえる。
恐る恐る足を進めると、扉の向こうで積み上がった書類を前に目を丸くするレナードが居た。ここは彼の執務室なのか、壁を覆う高い本棚にはびっしりと本が詰まっている。
私の後ろでグレイスが「デ・ランタ家も参上いたしましたよ」と茶化すように言うので、私はその腕を少し突いた。ふざけている場合ではない。いや、ふざけてしまって笑い事に変えたい気持ちはあるのだけれど。
「君に会うのは初めてだな。イメルダの友人か?」
紙の束を整えて引き出しに仕舞い込むと、立ち上がったレナードはグレイスに近付いて手を差し出した。
「ええ。あ、殿下…申し訳ないのですが私は心に決めた殿方以外とは触れ合うのを控えておりまして……」
「グレイス!」
「っはは、イメルダの友人は面白いな!」
「申し訳ありません。ところで、殿下の手は大きいですねぇ。この手でイメルダを翻弄したんですか?」
「え?」
「ちょっと!グレイス…!?」
私は彼女の暴走に卒倒しそうになりながら、レナードに断ってグレイスを部屋の隅まで引っ張って行った。
強気な友人の提案でここまで来ることが出来たのは感謝するけれども、さすがに言葉は選んでほしい。レナードを盗み見ると困惑した顔をこちらに向けている。
「ごめんなさい、グレイス…!少し空気を読んで!」
「だって貴女はこうでもしないと、」
「グレイス嬢!」
レナードの声が飛んで来て私たちは振り返る。
「王宮の図書室を見たことがあるか?珍しい本が揃っている」
「本……ですか?」
「一般流通していない、実在した貴族令息を題材に書かれた恋愛小説なんかもあるが……」
「あ、行きます。ご案内くださいませ」
機械的に返事を返してスッとそちらへ寄って行くグレイスは、そのまま廊下へと案内される。部屋を出る直前に私に向けてウィンクを飛ばして来たから笑ってしまった。
「………イメルダ、」
扉を閉めてレナードがこちらを振り返る。
私が三年間ぼんやりとした淡い気持ちを抱いていた相手と、今同じ部屋で二人きり。これから始まる話は決して明るい内容ではないことなど、分かっていた。
勝手に無かったことにして、自分だけが大切にしようと思っていた思い出の夜。それがこんなにも彼のことを苦しめていたのなら、私は自分の口で説明しなければいけない。そしてきっと、心からの謝罪も必要なのだろう。
「レナード…ごめんなさい、連絡もせず突然…」
「いいや。そんなことはない」
「セイハムの別荘で、デリックと話しているのを聞いたわ。貴方に辛い思いをさせてたと知って私……」
「イメルダ、違う……謝らなければいけないのは俺の方なんだ。自分のとった軽はずみな行動を後悔しているよ」
「………っ」
やはり何度聞いても辛い。
私は俯いて爪先についた靴の汚れを見ていた。
グレイスの家に向かう途中にぬかるみに足を取られてしまったから、その時だろうか。服や靴についた泥は洗えば綺麗になる。だけど、自分が犯した過ちの夜は?
「君がマルクスと婚約するまで…俺たち三人は仲の良い友人同士だったね。覚えているか?出会った頃はまだ二十歳だった」
「ええ…覚えているわ」
ドット家とルシフォーン家がまだここまで歪み合う関係ではなかった頃、私にとってマルクスはよく遊ぶ友人の一人だった。そんな彼がある日ランチに連れて来たのが、王太子であるレナードだったのだ。
初めて会った日のことはよく覚えている。
だって私はとても緊張していたから。ルシフォーンも公爵家なので、父の関係である程度の高貴な大人たちとは接する機会があったけれど、王族といえば別格だ。
「貴方は小さな馬を連れていた。マルクスと私にその子を紹介してくれて、皆で餌をやったりしたのよね。名前は…バーニーズだったかしら?」
「ああ。バーニーズは今年、三匹目の子供を産んだよ」
「そう……」
時間が流れたのだ。
私はマルクスと婚約し、破棄された。レナードもまたミレーネ嬢との結婚を控えている。私たちはそれぞれの道を歩んで、もう三人で集まることは無い。
「イメルダ」
「うん、どうしたの?」
「君のことが好きだった」
私は顔を上げた。
エメラルドの瞳が映すのは、目を見開く自分の姿。
「後悔してる。今までずっと抑えてきた気持ちを、あんな形で君に押し付けてしまったことを」
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