35.手元に残る愛

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35.手元に残る愛

「少し抜け出さない?」という誘いに二つ返事をして、私とミレーネはパーティーの場を離れた。これ以上、あの場所に居たら激昂したマルクスが突撃して来る危険性もあったので、私は胸を撫で下ろした。  慣れた様子で車を拾うと、ミレーネは私に屋敷の住所を伝えるように言う。促されるままに述べて、私たちは並んで座席に腰を下ろした。 「ミレーネ様……どうして」  ファーロング家の令嬢は、何も答えを返さずにただ静かに私の目を見ていた。彼女が愛する宝石のような、美しいパープルの瞳が揺れている。 「以前話したことを憶えている?」 「え?」 「私が宝石を愛するのは、そこに変わらない輝きがあるからなの」 「あ…ええ、憶えているわ」 「イメルダ、私は貴女のことを大切な友人だと思っているの。まだ知り合って日が浅いけれど、これからも末長く仲良くしたいわ」 「もちろんよ。私の方こそ…よろこんで」  そこでミレーネは安心したように頬を緩めた。  きつく結んでいた口元が、解かれる。  どうしてミレーネがそこまで私のことを気に入ってくれているのか分からなかったけれど、私は彼女が見せてくれる親しみに寄り添いたいと思っていた。ドット公爵邸における窮地を救ってくれたのは彼女だし、もしもミレーネが現れなかったら私は今頃地獄を見ていただろうから。  隣に座るミレーネの手が、膝の上に置いていた私の手に重ねられる。彼女の付けている花のような香りの香水がふわっと香った。 「ミ…ミレーネ?」 「今日はカミュは?」 「えっと…カミュは、鞄の中に……」  私はしどろもどろでハンドバッグを指差す。  同性であっても、美しい彼女の接近はドキドキした。 「イメルダと図書館で会った日、初めてお茶をしたでしょう?」 「ええ、そうだったわね…」 「私が自分の趣味について語ったら、貴女は嬉しそうにカミュのことを紹介してくれたわ。宝物だと言って」 「ごめんなさい、趣味の紹介になってなかったけれど…」 「いいえ。私はあれが嬉しかったの。貴女が大切にしているものを、私と共有してくれて嬉しかった。良い子だと思ったし、もっと知りたいと興味を持ったわ」  話の流れが分からずに瞬きを繰り返す私をしばらく眺めた後で、ミレーネは困ったように笑った。  私は、彼女がレナードとの結婚を止めると告白した際に見せた悲しそうな表情を思い出す。ドット公爵邸での話を考える限り、ミレーネは私とレナードの間に起こったことをきっと知っている。知った上で庇ってくれたのだ。 「ミレーネ、ごめんなさい。私は貴女に謝ることが…」 「言わないで。べつに良いから」 「でも……!」 「言ったでしょう?私はレナードを愛していない。私も彼も違う人を想っていたの。関心のないことを貴女の口から聞きたくはないわ」  細い指がスッと唇に触れたので私は黙った。 「それより、お願いがあるの。聞いてくれる?」 「お願い…?」 「今日の調子だとおそらく、貴女が一筆書けばマルクス・ドットは大人しく6000万ペルカを支払うはずよ。彼には貴女を貶めるだけの証拠がない」 「………証人を用意して来るかも、」 「ファーロング家はすべての報道機関を掌握しているの。それに、ガストラに仕えていた運転手はもう捕まえたわ」  驚いて顔を上げると、見上げた先でミレーネは「ね?問題ないでしょう」と微笑んだ。  私は頭の中の情報を引っ張り出す。そういえば、ファーロング公爵家は新聞やテレビといったメディア媒体を幅広く手掛けていたはず。  もうマルクスに脅されることはない、と安心すると同時に、いったい彼女は何を対価として求めて来るのかと恐ろしくなった。愛してはいないと言っても、私はミレーネにとってシシー同様の横恋慕女なのだから。 「何を…差し出せば良いの?」 「6000万ペルカを、私にちょうだい」 「へ?」 「言ったでしょう?宝石が好きなの。婚約者の心は手に入らなかったけれど、代わりに私は手元に残る愛を買うわ」 「そうだけど、そんなもので……」 「それで十分よ」  車はすでに我が家の前に停車していた。  ミレーネに急かされて私はドアを開ける。 「イメルダ、何かあったら私に相談して」 「ミレーネ……」 「口だけの男たちよりは信用出来ると思うから」  そう言って、ミレーネ・ファーロングは去って行った。私は遠去かる車が角を曲がるまでその場に立っていた。  ぐるぐると頭は回り続けている。随分と色々なことがあって、理解はとっくに取り残されている。帰って、デリックを置いて帰ったことを詫びる電話を入れる必要がある。マルクスにはミレーネの言うように手紙を書いて。それから、それから……
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