365人が本棚に入れています
本棚に追加
/68ページ
37.カーテンと本音
ミレーネの予想通り、マルクスは私が手紙を出すや否やすぐに6000万ペルカを振り込んできた。手紙の返事はなかったけれど、入金があったので彼は誠意を示したと私は受け取った。
受け取った6000万ペルカはそのままミレーネの持つファーロング公爵家の口座へ流し、私は念のため彼女に電話でそれを伝えた。すべて彼女のお陰であり、とても感謝していると思いを添えて。
そうして今まで通りにグレイスやミレーネと会ったり、父の仕事を少し手伝ったりして過ごした。
デリックは相変わらずで、気まぐれに映画や買い物に誘ってくれるので、私は特に気にせずに予定が合う時だけ一緒に出掛けていた。明るいデリックは、掴みどころはないけれど、その分無駄に考えずに話すことが出来る。どんな話を振っても適当に合わせて返してくれるし、変に気を遣う必要もない。
偽の恋人契約を結んだことを、彼自身忘れているのではないかと思うほどに、私たちは至って健全な関係だった。
「………え?レナードが?」
ぬるくて柔らかな自分の人間関係に満足しかけていた頃、いつものように本を読んでいたらメイドの一人が扉をノックした。聞くと、レナードが訪れて来たと言う。
「はい。お嬢様とお話があると…」
「話……?」
休んでいた心臓がうるさく鳴り始める。
レナードがわざわざ私の元へ来た。
何をしに?或いは何かを伝えに?
「ごめんなさい。少し準備したいから客室へ通してもらっても良い?すぐに向かうと伝えて」
「分かりました、そのようにお伝えいたします」
メイドが下がって扉を閉める音がした。
私は急いでカーテンを潜って窓から外を見る。たしかに門の前には大きな黒塗りの車が止まっている。あれはレナードを送迎するガストラ家の車だ。
突然の来訪だったから居留守を使うことも考えたけれど、さすがに王族の人間を相手にそんな真似をすることは失礼だと思うし、メイドたちに変な噂を立てられても困る。
不安な気持ちでポケットに手をやった。
白くてふわふわの友人を取り出してみる。
「カミュ……どうしよう、レナードが来たみたい」
当たり前だけど、うさぎは言葉を返さない。
ただ、つぶらな瞳で私を見つめ返すだけ。
ミレーネとの婚約について何か声を掛けるべきだろうか。「聞いた話だけど残念だったわね」と?でも、レナードの言い分では彼は私に想いを寄せてくれていたようだ。その場合、私はどういう風に話を切り出せば良いのか。
ぼんやりぼんやりと、考えることを放棄して、周りにあるものの心地良さに浸っていた。考えなければいけない課題からは目を逸らして。
「……先ずは謝るべきよね。ミレーネとの結婚の件はごめんなさいって。それで、私はデリックとのことを…」
その時、部屋の扉が開く音がした。
私は慌てて大きな声を出す。
「ごめんなさい!もう少し客室で待つように伝えてくれない?まだ心の準備が出来ていないの。あと少しだから!」
「そのままで良いから、聞いてくれないか?」
「え……?」
少し低い声は、レナードのものだった。
私がメイドだと思って話し掛けたのは彼だったのだ。
カーテンにくるまった状態で私は目を泳がせる。
この布の向こうにはレナードが居る。本当に暫くぶりに見る彼の姿がある。最後に会ったのはたぶん、グレイスの妹が通う私立学園のバザーの日。
あの時の状況説明がまだ出来ていないけれど、デリックはレナードに何か伝えたのだろうか?私たちが本当に付き合っていると思っている?
「イメルダ、君に話したいことがある」
「…………、」
「今は難しいんだけど…その時が来たら聞いてくれる?」
「……分かったわ」
「デリックと付き合ってるって聞いたよ。困らせるつもりは無いんだ。ただ、ちょっと…驚いた」
「違うの、あれは…!」
振り返った身体はカーテンごと抱き締められた。
私はびっくりして言葉を失う。
「本当にごめん。未練がましいって分かってるけど、最後にゆっくり話をさせてほしい。また俺から連絡する」
そう言ってパッと離れたレナードは、私が言葉を探しているうちに部屋から出て行ってしまった。太陽が去った後の部屋はもうひっそりとした闇が空間を満たしていた。
カーテンを被っていて良かった。
私は今、きっと見せられる顔じゃないから。
最初のコメントを投稿しよう!