38.チャンス

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38.チャンス

「え?レナードが訪ねて来た?」 「うん…そうなの」  私はデリックの隣でソフトクリームを(つつ)きながら、出来るだけなんでもない風に伝えたつもりだった。  デリック・セイハムという南部の男は、王都に住んでいないにも関わらず、やけに王都の遊び場に詳しい。今日だって、新しく出来たカフェのアイスが美味しいという誘いに私はまんまと乗せられて出て来たのだ。  今日こそ、デリックに伝えるつもりだった。  私の心にはまだレナードが居て、そんな気持ちのままでデリックと偽りの恋人ごっこを続けることは出来ないと。私はレナードとの話し合いに臨む前に、一度この関係をクリアにしておく必要があると思っていた。 「あのね、デリック」 「うん。どうしたの?」 「私…レナードに気持ちを伝えようと思うの」  少しの沈黙の後で、渇いた笑い声が聞こえた。 「ふはっ、なんで今更?」 「レナードが言ってたの。ゆっくり話がしたいって」 「それで君は今まで黙っていた自分の気持ちをアイツに明かすってわけかい?レナードも晴れてフリーになったから、もう何も君たちを邪魔するものは無いって?」 「………っ」 「婚約破棄された君と、公爵令嬢との関係を解消してすぐのレナードが接近してみろ。きっと周りは怪しむさ」  デリックの言いたいことは分かった。  マルクスが婚約パーティーで口走った内容は、ミレーネがその場で否定したにせよ、居合わせた人々の記憶には刻まれたはずだ。  つまり、今はまだ疑惑が残っている状態。  そんな状態の私たちがお互いの距離を縮めることは、せっかくのミレーネの助太刀を無に帰すようなもの。  でも、じゃあいつになれば私はレナードに気持ちを伝えることが出来るのか。どれだけ待てば、愛していると言っても良いのか。自分勝手だと理解しいても、ポロポロと溢れる想いはもう誤魔化せないことが分かっていた。 「君の瞳には、本当にレナードしか映っていないんだね」 「………?」  私は考え事を止めてデリックを見つめる。  静かに揺れる青い目はただ地面を眺めていた。 「一週間だけ僕にもチャンスをくれないか?」 「チャンス……?」 「少しぐらい、君に僕を見てもらいたい。それでも無理って言うなら潔く諦めるとするよ」 「でも、そんなの…!」 「君だって自分の意思で僕の提案に乗ったんだ。不要になったからサヨナラじゃなくて、付き合ってほしいな」  そう言ってデリックは私の顔を覗き込む。  私は黙ってその視線を受け止めた。  たしかに「恋人のフリ」をしようというデリックの誘いに乗ったのは私だ。周囲から可哀想な令嬢扱いをされないため、マルクスとシシーにこれ以上レナードのことを揶揄われないため、そしてそのレナード本人にも私を傷付けたなんて思わせないため。  私は小さく頷いて承諾を示した。 「ありがとう。好きになってもらえるように頑張るよ」 「デリック…貴方はどうして私を好いてくれるの?」 「え?」  好奇心から飛び出した質問に、デリックは目を丸くする。  適当に合わせてぬるい会話を楽しんでいた私たちの間に、恋焦がれるような何かがあるとは思えなかった。それに私は、彼と話すうちに、彼は私など見ていないのではないかと感じていた。  デリックの言葉は気持ちが良い。  深く考えなくて良いけど、適度に甘くて優しい。  新しいドレスを着れば可愛いと言ってくれるし、転びそうになったら支えてくれる。女の扱いに慣れた彼は、きっとキスもその先も相応のものを与えてくれるだろう。  望めばいくらだって、愛していると言ってくれるはずだ。  それは、お互いの関係にがんじがらめになって本音を隠し続けた私やレナードとは異なる。言いたいことは言わず、手を伸ばして探り探りでその形を確かめていた私たちとは、違う。 「参ったね。僕の気持ちが伝わってないのかな?」 「……そういうわけでは、」 「この一週間で分かってもらえるように努めるよ。君に必要なのはレナードじゃなくて、僕のような人間だってね」  私は何も言葉を返せなかった。  私が必要なもの、それはいったい何なのだろう。レナードへの気持ちに向き合う勇気?デリックの好意に応える誠意?或いはマルクスやシシーを許さない怒り?  思い出の中だけで生きていくつもりだったのに、身体が生きている以上は、そうもいかないらしい。
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