40.キャンディー◆デリック視点

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40.キャンディー◆デリック視点

 強い焦りを感じていた。  手に入れたいと思っていたイメルダは一向に自分に振り向かない。彼女が欲しいであろう言葉を掛けて、必要としているはずの優しさを見せた。こうした対応は経験に基づいているから、失敗などないはず。  イメルダ・ルシフォーンという公爵家の令嬢に関する情報は、この冬に王都へ遊びに来る前から再従兄弟(はとこ)の口から何度も聞いていた。  次期国王になる予定のレナードは、情に流されやすい現国王を見て育ったせいか、必要以上に自分の気持ちを消しているようなところがあった。表面上は笑顔を見せて親しみを示していても、ふとした瞬間に見せる堅い表情は、彼自身が背負っている責任を理解しているようで。  こういうのを、(わきま)えてると言うんだろうか。 「デリック様……申し訳ありませんが、夜間の外出は控えるようにとレナード様より申し付けられております」 「せっかく南部から出て来ているんだ。じきに去ることになるんだから、好きに遊ばせてくれ!」  レナードから監視を頼まれたのか、初老の使用人は困ったようにオロオロとしている。  父からも何度か、早急に南部へ帰るようにという連絡が入っていた。電話や手紙とあらゆる手段を使ってコンタクトを試みてくるが、そんなに連れ帰りたければ手足を縛ってでも引っ張って行けば良かったのだ。  甘やかされて育った、と言えるかもしれない。  だがそんな両親には感謝している。  感情を押し殺し、せっせと机に向かって仕事をこなすレナードの姿はひどく不気味だった。あんなに熱く語っていた令嬢をあっさりと友人に差し出して、自分もそこそこの相手を見つけて婚約。面白みのない人生だと思った。  しかし、イメルダと話してみたら、レナードが心を隠してまで彼女を想い続ける理由が少し理解出来た。  貴族女性が持ちがちな高慢な態度と尊大なプライドが彼女にはない。自分の知っている令嬢たちが派手に色付いた大輪の花であるならば、イメルダ・ルシフォーンは野原に咲く小さな花だった。  よほど注意深く見ていないと見落としてしまう。  だけど、よくよく見ると、繊細で愛らしい。  いつもどこか堅く構えた彼女が時折見せる笑顔は、そんな貴重性があった。レナードもきっと、そうした面を見つけて心惹かれたのではないか。 「あらぁ?……こんな場所でお会いするなんて」  王都で贔屓にしている飲み屋のカウンターでダラダラと飲んでいたら、耳に残る作った声が聞こえた。振り返らなくてもこんな声音で話しかけて来るのは一人だけ。 「あまり気軽に近寄らないでくれないか?僕が君と一緒に居るところを人に見られたくない」 「随分と突き放すのですね。寂しいですわ」 「どうして此処に?君の大好きな兄はどこへ行った?」 「お友達の家に行くと言って出て来たんです。お兄様は心配性だから、飲みに行くなんて言えないわ」  シシー・ドットはそう言って煙草の煙を吐いた。 「その髪色は…?」  見知ったピンク色の髪ではなく、真っ黒な長い髪を背中に垂らしたシシーは「カツラを被っただけ」とこともなげに言う。義理の妹に盲目的な愛を注ぐドット家の小公爵が、こうした事実を知らないのは少し可哀想に思えた。 「その様子じゃあ、まだイメルダを落とせていないのね」 「君に貰った魅了の薬はまったく効かなかったぞ!あれはやっぱり偽物なんじゃないのか?」 「そんなことはないわ」  そう言ってシシーは鞄から小さなアルミ缶を取り出す。  蓋を開けると中から六角形の透明な結晶が覗いた。  自分の誕生パーティーで、初めて彼女からその存在を聞いた時は驚いた。ニューショアでは一般的に出回っているものらしいが、恐ろしくて自分で試してはいない。シシーの話を信じて、一度だけ別荘でイメルダに飲ませてみたが、ジャムに混ぜた薬剤を口にした後、彼女はすぐに眠りに落ちてしまった。 「……正直、信じがたいな。騙されてる気がする」 「数が足りないんだと思うわ。水に溶けるから、少し量を増やして与えてみてちょうだい」 「これは本当に合法なのか?」 「ええ、ニューショアでは普通だもの」  疑いの目を向けていたら、プカプカと煙をふかすシシーが、やけにゆったりとした服を着ていることに気付いた。気のせいか、肉付きが良くなったような気もする。 「シシー、君…もしかして……」 「ふふっ。バレちゃった?お兄様には言わないでね。結婚式で驚かせようと思っているの」 「でも、イメルダとの婚約破棄からまだ一月ほどしか経ってないじゃないか!君たちはいつから、」 「大丈夫よ。お兄様はあの女の要求を飲んで代償を支払ったわ。これ以上は何も言って来ないでしょう」  もう行かないと、と席を立ったシシーは身を屈めて耳元に顔を寄せる。強い香水の匂いがした。 「デリック、堅物のお義姉様には少しのお砂糖が必要なの。キャンディーを与えてあげて。理性を失くすぐらい貴方に夢中になるはずだから」  歩き去るハイヒールの音を聞きながら、押し付けられた缶を握り込む。  こうしたものを利用してでも手に入れたいのは、彼女の心なのか、それとも王太子である再従兄弟を打ち負かす勝利の喜びなのか分からなかった。
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