21.報告書◆レナード視点

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21.報告書◆レナード視点

「宜しかったのですか?」  どれぐらいそうしていたのか分からないが、机に手を置き棒のように立ち尽くす自分を見て、部屋に入って来た使用人の男が声を掛けた。子供の頃から世話を焼いてくれた彼だからこそ、見えやしない心の変化まで分かるのかもしれない。 「……どうだろうね。これが答えらしい」 「僭越ながらお伝えすると、私の見たところでは部屋を去るイメルダ様のお顔はとても悲しそうでした」 「それぐらい嫌だったんじゃないか?迷惑だと」 「しかし……」 「ロンダ、下がってくれ。もう良い」  余計なことを言わないのが彼の取り柄なので、それ以上の言葉は続かず、ただ頭を下げて部屋を出て行った。  イメルダ・ルシフォーン。  マルクスの友人として彼女を紹介されたのは、二十歳そこそこのときだった。イメルダは今より髪を伸ばしていて、太陽の光を受けて輝く珍しい銀色の髪を、美しいと思った。  やがて、出会って三年が経過した頃にマルクスとイメルダが婚約したことを知った。  王国でも名の知れた商会を営む両家が手を組むことは、今後の経済にも良い影響を及ぼすだろうし、きっと国王の息子である自分も喜ぶべきこと。  二人は昔から仲が良かったようだから、結婚しても今までと何ら変わらずにやっていくのだと思う。ただ、三人で会う頻度は落ちるのかもしれないけれど。  残酷なことに、このときになってようやく、鈍い頭はイメルダへの想いを自覚した。彼女が永遠に他の男のものになってしまうのが残念で仕方なかった。  どうしようもないと、分かっていても。 「………イメルダ、」  自分が、失意のままにミレーネとの婚約を承諾しなければ、こんなことにはならなかったのだろうか?  マルクスとイメルダの婚約後ほどなくして、公爵家の令嬢であるミレーネ・ファーロングとの縁談が舞い込んだ。老いた両親も自分の結婚を望んでいる。世継ぎが必要だからだ。  ミレーネとはそれまで交流はなかったが、社交界で噂話を耳にすることはあった。可憐な花のような美しい令嬢が居ると男たちは鼻息荒くその容姿を讃えていた。  しかし、実際に会ってみるとなんてことはない。  宝石が好きなようで、色々な店を二人で巡ることはあっても、ただ草原の上でぼんやりするとか、動物を愛でるといったことには興味がないようだった。  べつに良い。  結婚なんて、そういうものだ。  希望はいつしか諦めに変わって、大切にしていた愛馬のことを彼女が「家畜」と呼んでも何も感じなくなった。結婚前から薄らと灰色の靄が降りた自分たちの関係は、とても現実的で虚しい。  そんなとき、マルクスとその義妹の不貞を目にした。  正しくは、不貞の現場を見て固まるイメルダを見つけたのだ。「すぐに戻る」と言って立ち去った彼女が部屋の前で立ち止まって動けなくなっていたので、心配になって駆け寄ったら、部屋の中でキスを交わす男女の姿があった。  気持ちが昂ぶったのを覚えている。  黙ってイメルダをその場から連れ去って車の中で沈黙を貫いている間も、頭がおかしくなるぐらい期待していた。彼女の口から「婚約を取り止める」と出てくるのを、今か今かと待ち構えた。  しかし、そんな言葉は出て来なかった。  代わりにイメルダは涙を流した。  自分の名前を呼んで、謝罪をした。  何に対する謝罪なのか分からなかった。透明な雫がいくつも頬の上を滑り落ちる。嗚咽を堪えるような姿を見て、慰めの言葉も決まっていないのに身を寄せた。  拒絶されたら止めるつもりだったのに、なぜかイメルダはそっとその潤んだ瞳を閉じた。  自分の劣情が漏れ出さないよう、短い口付けを。  名前を呼んだらきっと抑えられなくなってしまうから、気持ちが逸らないように、大切に大切に彼女を抱いた。その行為自体がどうであれ、もう手に入らないと思っていたイメルダと肌を重ねられたことに心は震えた。  そして、同時に深い後悔も。  犯した罪の大きさに気付いたのは、夜が明ける少し前にルシフォーンの屋敷を去ろうと起き上がったときのこと。隣ですやすやと眠るイメルダの寝顔にハッとした。傷心に付け入って一方的に関係を持ってしまった男を、彼女がこれからも友人と呼び続けるとは到底思えなかった。 (拒否されて当然だ…(なじ)られなかっただけ、マシか)  溜め息を吐いて、机の引き出しを開けた。  何枚にもわたる長文の報告書は、今期不自然なほど多くの利益を上げたドット商会に関する報告書だった。  マルクスがイメルダと結婚式を挙げる予定だった日、いくつかの動きがあった。一つ目は、ニューショア帝国とラゴマリア王国の境界で不審な荷馬車が捕まったこと。もう一つは、ラゴマリアの北部の海岸で集団自殺を図ったとみられる男女の遺体が発見されたこと。  前者の荷馬車に御者は乗っておらず、すでに逃げた後だったらしい。大きな荷物の中身はほとんどが空箱だったそうだが、御者が座っていた座席の下からは、ラゴマリアでは流通していない六角形の結晶が見つかった。  そして、指先ほどの小さな塊を検証した結果、その成分は北部の海岸で死んでいた遺体から出てきた薬物と一致した。  御者の行方は分からない。  ただ、荷馬車を引いていた二頭の馬は、ドット公爵家の家紋を耳に付けていたと聞く。
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