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6
わめいた彼は、身を起こして俺の胸ぐらを乱暴に掴んだ。
俺は呆然として固まってしまい、それを自覚してなんとか無理やり呼吸をする。
「……千渡くん」
「コイツはずっとエロい目であんたのことを見てるんだよ。わかるだろ? 友達なんかじゃない」
その声はまちがいなく千渡くんだった。だが、喋り方や呼称が違う。
彼が演技しているとはとても思えなかった。そもそも、千渡くんは俺に乱暴なことはしない。それなら今、目の前にいるのはーーーー。
「聞いてるのか」
「……性欲があるのは、別におかしくないよ。告白もされたし、恋人になりたいって言われたし、わかってる。退いて」
彼は退かない上に、まだぎゃあぎゃあと喚き立てる。千渡くんに憑依しているっぽい何かが、件の幽霊だとしたら最悪だ。
千渡くんに悪いなと思いながら、彼の肩を拳で思い切り殴った。
ひるんだ隙に、彼の下から抜け出してスマホを掴み取る。そして急いで壁に寄り、今度こそスイッチを押した。
だが電気はつかなかった。
「ここに来たときから、コイツの頭の中はそればっかりだ。あわよくばやってやろうって。執念みたいにうずまいてる」
「………ここの幽霊?」
彼は静かだった。
「今あなたが操ってるその体からは出ていってほしい。彼は俺の付き添いで来てくれただけなんだ」
「そんな事情はオレには関係ない」
「わかった、明日には帰るから」
「それも関係ない。ちっともオレに得がないだろう。自覚を持ってほしいがあんた方が侵入者だ」
「それも謝る。……俺たちはただ、心霊スポットの撮影に来てて……、ここを荒らすつもりはなかったんだ。他の目的はない。諦めて帰るよ」
「心霊スポット?」
「そういう噂があって」
「自殺した元従業員の霊?」
「そ……、そう聴きました。噂レベルだけど」
ふん、と鼻で笑うような声が聞こえた。
沈黙が続く。俺は静けさに耐えられなくなって言った。
「ここは廃墟みたいになってるって聞いたけど、意外と片付づいていて……。廃墟でよく見かけるような、スプレーの落書きもないし」
「落書きしようとした奴は4人いた」
暗闇のなか、彼の声だけが浮かび上がる。
「血の汚れはなかなか落ちない。腐敗臭なんて、周囲のものにこびりついて消えない」
「あ……」
「そういうの始末してるのは全部オレだ。時間がいくらあったって、こんなに広くちゃきりがない。嫌になる」
俺はそのあいだも、照明のスイッチを何度か切り替えた。つかない。焦って頭が真っ白になり、次どうしていいかわからなかった。
「そ……そうだ、ロビーのガラスは? あれは、あなたが壊したのかと思ってた。でも今の話を聞いているとーー」
「ロビーのガラス?」
「入って正面の、長方形の大きな」
「壊した?」
「俺じゃない。今日気付いたら割れてて」
「あの窓を壊したのか?」
「いや、俺たちじゃない。外から何かぶつかったんだ。てっきり霊の仕業なのかと」
「オレがそんなことするって言いたいのか?」
「違うよ。質問しただけ」
「あの窓は………」
彼が立ち上がった気配がした。衣擦れと、畳を裸足が擦る音。
俺は壁沿いに交代し、一段降りる。裸足の足裏が冷たい。後ろ手にドアノブを探した。サムターンの鍵を回す。ゆっくりドアノブをまわしたが、金属音がした。
その瞬間、腕を強く掴まれた、
氷を押し当てられているみたいだ。
俺は抵抗のすえ、なんとか振り払い廊下へ。急いでドアを閉めた。
(外に出たってどうする)
俺の荷物もスマホも室内だ。なにより、このままじゃ千渡くんはどうなってしまうだろう。
なぜ俺じゃなく千渡くんに幽霊が乗り移ったんだろう? 千渡くんは幽霊を信じていないのだから、話しかけられたってきっと同情しなかったはずだ。
バン。
金属製のドアが強く叩かれた。あたりに音が響きわたった。
バン。
俺は覚悟が足りなかった。
本当は幽霊なんていないって思ってた。それを証明したくてここに来たのに。
ドアを叩く音は、間隔が短くなっていく。
こんなに強い力で金属のドアを叩いているんなら、きっと手を痛めてしまう。
俺は必死に考えた。どうすれば千渡くんから幽霊が出ていくんだろう。
息を吸って、吐いて。
俺は自らドアを開いた。無表情の千渡くんがそこにはいた。もう何も確認しない。彼の首に抱きついて、キスをする。
勢い余って千渡くんの足が段差に引っかかり、よろけた。俺はそのまま押しやって彼の上に覆いかぶさる。
さらに唇を重ねる。こんなキスしたことない。様々な映像の記憶をかき集めた。
幽霊が取り憑いているかもしれないけれど、これは千渡くんの肉体のはずだ。性的な事も考えていたって言うなら……。
疲れてくるほど時間が経っても、彼は無反応だった。だが気づけば、彼の二の腕に体温を感じる。もしやと思うと指先も温かい。
俺は顔を離した。
「千渡くん……」
「……礼唯」
ヤツは俺の名前も知っている。まだ警戒は解けなかった。
「千渡くん。恋人って話、いいよ」
「え……?」
「ここで一緒に過ごして気分が変わった。恋人になろう」
「え?」
今度こそはっきり、千渡くんが腹から出した声だった。彼が身を起こすのがわかって、俺も合わせる。
「待って。恋人? ……恋人って僕と礼唯が? とりあえず電気つけないか」
俺は立ち上がって壁際に寄りスイッチを押す。部屋が明るくなる。畳に座る千渡くんと目が合った。
「礼唯。……僕は、夢かなって思っていたんだけど、僕らって今もしかしてキスを」
懐かしい千渡くんの喋り方。俺は、今度はなんの目的もなく、ただ嬉しくて彼に抱きついた。
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