99人が本棚に入れています
本棚に追加
7
電気のついた部屋。乱れた布団の上で、向かい合っていた。
「……ということがあったんだ。急にこんな話、信じられないかも知れないけど」
千渡くんは膝をたて、そこに額をつけるようにしてうなだれている。
「許さない」
そう短く聴こえた。彼は顔を上げる。
「そいつが許せないよ。……どこか痛めたりしなかった?」
「俺は平気だけど……、千渡くんの肩を殴っちゃった。ごめん。明日あざになったり痛みがでるかも」
「殴った?」
「ちょっとパンチしたっていうか、強く叩いたっていうか」
「そうか……。今はなんともないよ」
千渡くんはさらにため息を吐いた。
「だいたい、侵入者っていうならそいつのほうがタチが悪い。人が所有してる建物に、勝手に何年も住み着いてるんだろ? 立場的には僕らと対等なはずだ。なんなら僕らなんてまだ2日目だし、番組が所有者に許可をとって使用料まで払ってる」
「千渡くん」
「そのうえ、きみを追い詰めてキスまでさせて!」
「……千渡くんが元に戻ってよかったよ」
「きみとの初めてのキスなのに、よく覚えていない。相手が幽霊だとしても一生恨んでやる」
千渡くんはそう嘆いて盛大なため息をつく。手で顔を覆った。
これじゃ太腿を撫で回されていた件や、俺が夢だと勘違いしていた件は、とても口にできない。
「千渡くん。本当に今夜の記憶ってないの? 意識はあるけど体だけが言うことをきかない、とかじゃなくて……?」
「気づいたら、暗いなか礼唯が僕に乗っている状態だった。寝起きみたいな感じ」
「そっか……」
「あれ……、いや違う。途中で一度トイレに起きたんだ。色々あったし眠りも浅かったのかな。トイレに起きるなんて滅多にないんだけど……。用を済ませて、廊下を歩いているときに呼び止められた」
「え……」
「この番組にヤラセ要素が含まれているって事情は知っていたから、スタッフが幽霊役をやってるんだろうと思ったんだ。だから少し話した。20代か30代ぐらいの男性だったよ」
「千渡くん……!!」
俺は思わず声を上げていた。彼を凝視する。
「……まさか、あれが幽霊ってこと? 普通に会話できたよ。別に顔色も悪くなかったし、足もあった。靴も履いてた……いや、スリッパだったかな」
「どういう話したの?」
「…ちょっとそこまでは思い出せない。でも感じのいい人だった。人当たりがいいというか。だから余計にスタッフなんだろうと思って」
「千渡くんがいつトイレに起きるかもわからないのに、ずっとこの近くの部屋に張り込んでたってこと? スタッフさんもそんなに暇じゃないよ。それに、そこまでやったなら千渡くんを驚かせて動画撮らないと意味ないじゃん」
「確かに……。それもそうだな」
千渡くんは幽霊を信じていないが、だからこそ相手を人間だと思うのか。俺はその考えに至らなかった。
千渡くんは言う。
「ターゲットにされるから幽霊と対話しちゃいけないって、礼唯が事前に言っていたね」
「……うん」
「ごめん。僕のせいだったなんて」
「ううん、俺だって人間だと思い込めるような場面だったら、普通に会話しちゃうと思う。責められないよ」
「どういう話をしたんだっけな。印象ははっきり覚えてるのに、会話だけは夢の内容みたいにぼんやりしてて、思い出せないんだ」
千渡くんはそう言いながら眉間にしわを寄せ、腕組みをした。
会話するうち、徐々に気持ちが落ち着いてきた。
ようやく肩の力が抜けた気がする。寒さを感じていたのもあって、熱い風呂にでも浸かりたかった。サウナとか、岩盤浴でもいいな……。
この建物を出るまでは「千渡くん」なのか「幽霊」なのかを常に気にしていないとならない。これは結構つらい。
俺も大きく息を吐き出した。
「とりあえず、何か飲んで休憩しよう」
夜わざわざ給湯室に行かなくても済むようにと、ヤカン2つに水をくんで、部屋角の座卓に置いてあった。電気ケトルも発見し、この部屋に持ち込んでいる。
ロビーでガラスが割れた一件があったから、念のための準備だったけれど功を奏した。いま廊下にでるのは絶対に嫌だ。
俺が座卓に向かい電気ケトルをセットしていると、千渡くんは言う。
「礼唯、さっきの恋人になるって話は撤回していいよ」
俺は振り返る。
「キスと同じで、そうやって僕に刺激を与えることで、正気にもどそうっていう苦肉の策だったのはわかる。本心じゃないってことも」
「そ……、そうかな」
「いまは恋人候補でいい。卑怯で下劣で低俗で粗野な幽霊に振り回された結果じゃなくて、僕との関係のなかで気持ちが動いたことへの発言であってほしい。取り憑かれたことへの、同情もいらないよ」
「……千渡くん」
彼と目が合う。
あの幽霊は千渡くんがエロいことばっかり考えてるとか、体目的だなんて責めて侮辱していたけど、そんなものマイナス要素にならなかった。俺は湧き上がる自分の情動に驚いていた。
千渡くんと抱き合ってみたい。
千渡くんが求めていて、俺も興味があるのなら、何も問題ないんじゃないか? さっきは無我夢中だったから出来た。でも千渡くんのことを思いやる余裕なんてなかった。相手が誰でも、方法として有効ならキスをしたかもしれない。
だからこそ互いに意識のはっきりした状態で、もう一度試してみたかった。
初日の行為だって……。
実際の千渡くんだったら、俺に対してどんなふうに触るんだろうって、ものすごく興味がある。確かめてみたい。
そうやって湧いた感情を全てを、俺は一度心に納めた。
せっかく千渡くんが、線引きをしてくれたのだ。
俺が困らないように。
その気遣いが嬉しいなと思いながら、お湯を沸かし茶を入れて、彼にもカップを渡した。ティーバックの緑茶。
二人で本当にどうでもいいような雑談をして、そろそろ寝直すかという雰囲気になった。
だが俺の脳内では、千渡くんとのキスが繰り返されている。
彼は、畳のラインにあわせてまっすぐ布団を引き直し、もみ合いの末に乱れた小物などを正当な位置に戻して、満足そうだ。
先に布団へ入ろうとした彼の手を掴み、引き止める。
「何?」
「……千渡くん」
「どうしたの」
彼は目を合わせると、ゆっくり微笑んだ。出会った頃は、まさかこんな優しい笑顔をする人だとは思っていない。
俺だって、うまくいけば友達になれるんじゃないかって下心はあったけど、それはただの好奇心で、それ以上でもそれ以下でもない。単なる遊びみたいな気持ちだったはずなのに。
「……同情でもないし、幽霊のせいでもないよ。俺、千渡くんとエッチなことしてみたい」
最初のコメントを投稿しよう!