黄昏時のあなた

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「みゃーちゃん、まってまって!」  公園の中で駆け回るみゃーちゃんを私は追いかける。  やっと近づいたと思ったらまたすぐに遠くに行ってしまって、みゃーちゃんは足が速い。  それでも私は楽しかった。私と一緒に遊んでくれるのは、みゃーちゃんだけだったから。  幼稚園でも私はいつも一人ぼっち。でも寂しくない。だって公園にくれば、みゃーちゃんに会えるから。 「みずほー、そろそろ帰るわよ」  公園の入り口からお母さんの声。もう家に帰らなくちゃ。 「みゃーちゃん、ばいばい!」  大きく手を振って、私はみゃーちゃんに別れを告げた。  お母さんのところに駆け寄ると、お母さんが屈んだ。 「またみゃーちゃんと遊んでたの?」 「うん! いつもたくさんあそんでくれるの!」 「……そう」  お母さんは困ったように笑って、私の頭を撫でた。  ある日お母さんに病院に連れて行かれた。  私はどこも痛くないし、お熱もない。そう言ったけど、ちょっとした健康診断みたいなものだから、と言われた。  お医者さんからいくつか質問されて、よくわからない検査をして、私は隣の部屋で遊んでおいでと言われた。  壁の向こうから、うっすらお母さんと先生の声が聞こえる。 「――イマジナリーフレンドという――」 「――統合失調症では――」 「――幻覚はいつから――」  なんだろう。難しくてよくわからない。  みゃーちゃんが一緒に遊んでくれたらいいのになぁ。  みゃーちゃんはあの公園にしかいないから。 「みずほ、帰ろっか」  暫くして、お母さんが迎えにきた。私は駆け寄って、お母さんと手を繋いだ。  病院からの帰り道、お母さんは優しく笑って私に言った。 「みずほ、暫くあの病院に通おうと思うの。いいかな?」 「どうして? わたし、どこかわるいの?」 「悪い、ってことじゃないんだけどね。みずほがこの先、もっとお友達ができるように。先生と、お母さんと、一緒にがんばろっか」 「おともだちなら、みゃーちゃんがいるよ?」  そう言うと、お母さんは悲しそうな顔をして、私をぎゅっと抱き締めた。 「そうだね。でも、みゃーちゃんだけじゃ、寂しいでしょ?」 「さびしくないよ」 「……これから、きっと、困ることがあるから。お願い」 「……わかった」  お願い、と言ったお母さんが泣きそうだったから。  私はとりあえず、いい子のフリをして頷いた。    それから私は病院に通うことになった。  お薬を飲んだり、先生と一緒に色んなことをしたりした。  公園に行く回数が減って、お母さんにみゃーちゃんと遊びたいと頼んでも、ダメと言われることが増えた。  どうしてって思いながら、勝手に公園に行ったこともあった。すごく怒られた。  そんな風にして、暫くみゃーちゃんと会えない日が続いて。  幼稚園がお休みになったくらいに、お母さんが久しぶりに公園で遊んでいいと言ってくれた。  私は走った。久しぶりにみゃーちゃんに会える!  わくわくして、心臓がどきどきした。まずなんて言おう。会えなくてごめんね? 久しぶりで嬉しい? それから何をしよう。  みゃーちゃん、みゃーちゃん。 「みゃーちゃん!」  大声で叫びながら公園に飛び込むと、中には他の子たちの姿。  きょろきょろと公園の中を見回すけど、どこにもみゃーちゃんの姿がない。 「みゃーちゃん……?」  心細くなって、あっちこっち歩き回る。  いない。どこにも、みゃーちゃんがいない。  泣き出した私に、公園まで連れてきてくれたお母さんが駆け寄ってきた。 「おかあさあん……!」  お母さんにしがみついて泣きじゃくる。  わんわん泣いて、みゃーちゃんがいないことを必死に訴えた。  お母さんは頭を撫でて慰めてくれたけど、なんだかほっとしているようにも見えた。  それからも何度か公園に行ったけど、みゃーちゃんには会えなかった。  お母さんは「引っ越しちゃったのかもね」と言っていた。  そうだとしたら、一言くらい言ってくれても良かったのに。  ううん、私が暫く公園に行かなかったから。だから言えなかったんだ。  私はずっと暗い気持ちだった。    みゃーちゃんに会えないまま、私は幼稚園を卒園して、小学校に入学した。  小学校には同じ幼稚園の子はほとんどいなくて、私はクラスメイトと普通に仲良くなることができた。  放課後は友達と遊んでくる私に、お母さんはにこにこしていた。  今日も私は、友達と一緒に家に帰る途中だった。 「みずほちゃん、ほら早く早く!」 「ま、まって、よ~……!」  たくさんのランドセルを背負って、私は友達を追いかける。  友達は私より遠くのところで、くすくすと笑っている。 「みずほちゃんおそいよ~!」 「だって、おもくって」 「みずほちゃんがじゃんけん負けたからだよ」  笑いながら言う友達は、みんな手ぶら。じゃんけんに負けた人が全員分の荷物を運ぶルールだから。  でもなんでだろう、じゃんけんは、ずっと私の負け。何回やり直しても、ずうっと私の負け。  私、そんなにじゃんけん弱かったかな。 「あっ!」  荷物が重くて、私は途中で転んでしまった。  それを見て友達が声を上げて笑った。 「みずほちゃんとろ~い!」 「あーあ、あたしのランドセル傷ついちゃったぁ」  私は慌てて立ち上がって、友達の分のランドセルを手ではらった。 「ご、ごめんね。よごれちゃって」 「いいよぉ。でも、()()として、明日から一週間はみずほちゃんが荷物持ちね」 「え? で、でも」 「だってランドセル落としたのみずほちゃんのせいだよ。わるいことしたら()()がなくっちゃ」  ねー、と友達は笑い合う。そっか、これはわるいことなんだ。  じゃあ、()()を受けて許してもらわなくっちゃ。 「うん、わかった。ごめんね」  へらりと笑った私に、友達は「いいよ」と笑ってくれた。  そんな風に、小学校の生活は順調だった。  友達はたくさんできたし、遊んでくれるし。給食のおかずも交換してくれる。勉強は苦手だけど、先生ができない子用だって特別に宿題をたくさん出してくれる。体育も苦手で、みんなが走り終わってもまだ走っていた私に、先生が最後まで付き合ってくれて。終わってから、みんなには内緒だよって足が痛くならないマッサージをしてくれた。週に一回だけある放課後のクラブ活動は、美術クラブにした。結構上手に描けた絵を美術の先生に見せたら、「これじゃ駄目よ」って全部上から塗りつぶして、もっと上手にしてくれた。持って帰ってお母さんに見せたら、「素敵な絵ね」って褒めてくれた。  お母さんが「学校は楽しい?」って聞くから、「楽しいよ」って答えた。  楽しい。でも。 「みゃーちゃんに、あいたいなぁ……」  そういえば、もうあの公園にも随分長いこと行っていない。  友達と遊ぶのは別の公園だから。  ずっと会えていないのだし、約束をしているわけでもないし、行ってもみゃーちゃんには会えないだろう。  そうわかってはいたものの、一度考えだしたらどうしてもみゃーちゃんに会いたくなって、私は学校が終わってからこっそりあの公園に行った。  夕日が差し込む公園には、もう誰もいなかった。そういえば、さっき夕方のチャイムが鳴ったっけ。あれでみんな帰ってしまったのだろう。  公園はあの頃となんにも変わっていなかった。周りをぐるっと囲むように生えた木。塗装のはげたベンチ。ちょっとしかない遊具。小さな砂場。入口に置かれた花束。 「なつかしいなぁ」  一歩公園に踏み込むと、ぶわっとあの頃の思い出が蘇ってきた。  あの頃は、あんなに楽しかったのに。 「あれ……?」  違う。今だって楽しいはずだ。毎日楽しいって、思ってる。  だって、お母さんはみゃーちゃんと遊ぶのをあんまりよく思ってなかった。私だってそのくらい気づいてた。  今は違う。お母さんが望む私になれている。友達もいる。うまくできてる。なのに、なんで。  じわりと涙が滲んだその時、誰もいないはずの公園に、ふっと影が落ちた。 「……みゃーちゃん?」  涙声で名前を呼ぶ。辺りは暗くなりはじめて、少しだけ顔が見えづらい。  でも、そうだ。わかる。みゃーちゃんだ。みゃーちゃんだ! 「みゃーちゃん!」  私は大声で叫んで、みゃーちゃんに飛びついた。  わんわん泣く私を、みゃーちゃんは黙って慰めてくれた。  ずっと会いにこれなかったのに。こんな私を、みゃーちゃんは許してくれる。  会えなかった時間を埋めるように、私はみゃーちゃんにたくさんのことを話した。  たくさん、たくさん。話している内に、すっかり日は暮れてしまった。 「ごめんね、みゃーちゃん。私もうかえらなくちゃ」  私は慌てて公園の入り口まで駆けた。  けれど外に出る一歩手前で、ぴたりと止まる。  帰ったら、怒られるかな。みゃーちゃんとのこと、話さなきゃダメかな。 「でも、またあいたいな。……ううん、できたら、みゃーちゃんと。ずっといっしょにいたい」  ずっと一緒にいられたら。寂しくなんてないのに。  もう前みたいに会えなくなることもないのに。  学校であったこと、全部聞いてほしいな。  お母さんには言えないことも、全部。全部。本当の気持ち。 『いいよ』  聞こえた声に、私は大きく目を見開いた。  これは、誰の声だろう。あれ、そういえば、みゃーちゃんの声って、聞いたことあったっけ。  でもこれ、人の声じゃ。  ・  ・  ・   闇に包まれた公園は、しんと静かだった。  そこには何の音もなく、姿もなく。  暗闇の中、入口に置かれた花束だけが、鮮やかな色をしていた。
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