僕のかわいいテディ

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   汗臭い。とまではいかないが、8年過ごした自宅にはトレーニンググッズが各種整理された状態で並び、本棚には空きスペースがほとんどなくぎっしりとスポーツ雑誌が並んでいる。今朝集中し過ぎて家を出る時間まで追い込んでいたのもあってタオルが床に放置されている点だけはだらしないと言えよう。  その白地のタオルも洗濯籠に放って証拠隠滅するも、なんとなく罪悪感があり部屋の一角を見ることができない。ついでに自分の身も清めることにし、スーツを脱ぎハンガーにかける。社会人になってから染みついた習慣ではあるが、どうにもギクシャクする。自宅でこんなにソワソワするのは一人暮らしを始めた数週間くらいのものだった。今日1日共にしたワイシャツのボタンを外す手さえ絡まってうまくいかないのだ。  まるで恋人を連れ込んだときのような、自分の家だと言うのに何か粗があるか不安になる時のような、何とも言えない神経質さに可笑しくなる。  誰もいないというのに。  そう独りごちるが、正確には違う。  今もダイニングの椅子に座らせている来客。彼(彼女かもしれない)がいるから普段は消していく電気も点けっぱなしにした。特に予定もないのに同僚からの飲みの誘いを断った。そして今、自宅だというのに他人の家にでもいるような気分を味わいながらシャワーで雑念を洗い流している真っ只中だ。  浴室を出る時の冷気だって、自分よりも彼(彼女なのかもしれない)が寒がっていたのではないかと危惧したがそんな訳がない。酒気も浴びていないのに、もしかしたら自分は居心地が悪いのではなく、浮かれているのではという結論に至った。  彼及び彼女が、恋人からの贈り物だったからだ。長期出張で海外に旅立って行った恋人は、すぐにある物を贈ってきた。物よりも無事に現地のホテルに着いたかどうかの連絡が欲しかったが、自分の恋人は「こうだ!」と決めたら他のことが頭に掠めなくなる。念願の海外出張中に自分のことを思い出しただけ喜んでおくのが良いだろう。    おろしたてのバスタオルで水気を念入りに拭き取り、髪を乾かし終えるとようやくダイニングの彼(仮)の元に参上した。  家を出る前と変わらないふさふさの巻き毛、柔らかそうな丸耳、距離の近いチャーミングな量の目、高い鼻、向こうの言葉だろうか、何かアルファベットで書いてあるが読み解けない言葉が刺繍されたシャツ。頭にポンと手を置くと、恋人の嬉しそうな表情を思い起こさせた。 「ただいま」  同僚や友人に見られたら抱腹絶倒ものの一言だっただろう、小さな子どもよりも更に大きな熊のぬいぐるみに向かって話しかける筋骨隆々な青年は大真面目だった。  自分の代わりとでも言わんばかりに大きな箱で届いた彼(仮)が昨晩届いた時の心情はスマートフォンの恋人へのメッセージに綴られている。ちなみにそのメッセージには既読だけがついた状態で終わった。  恋人は確かに可愛いものが好きだし、無骨な自分とは対照的に鮮やかな服を好んで着てはいるがそれはあくまで自分の好みの範疇だ。自分にそれを勧めて来たことはないし、小さなものが好きな恋人にこの熊は好みとは離れている気がする。  一体どういうことなのだと改めてゆっくり抱き上げると何かが落ちた。  フローリングを滑り落ちるピンクの紙、いや便箋に何故かたくさんの切手を貼られていて主張が強い。よく今まで気づかなかったものだと自分に苦言を入れる。  しっかり封蝋までされて凝った手紙を開封するとまず初めに目に入る自分の名前が、声と共に再生される。それに思わず溢れた笑みをそのままに、しげしげと可愛らしい便箋を眺める。今の時代、恋人であってもあまり字を見る機会は少ない。意外と達筆な字が並んでいると恋人の顔を横に並べて見比べたくなる。  なんだか切ない気分になり内容に目を通す。  この熊はホテルに着く前に見かけた店で衝動買いしてその場でこの手紙まで書いて送ったものらしい。大きくて可愛いところが自分に似ていると感じたらしい。  そこまで読んだところで熊に視線をやる。大人しく椅子に座り撫でられるのを待っているようなふてぶてしさが、今までスポーツや筋トレばかりのめり込んでいた自分に似ていると?  改めて恋人の理解が及ばない側面に気が遠くなったが、なんとか続きを読むため手紙に視線を戻す。  確かに急いで書いたらしい手紙の文面は少ない。その少ない文章も、短い単語で締めくくられていた。  向こうの時差はどうだっただろうかとか、仕事中だとしたら邪魔になるだろうかという考えもかけてから過ったが、切るよりも前に向こうが出た。メッセージは既読で済ませたくせに、どうやら電話をかけて来いという意味だったらしい。 「郵便局に出さないなら封筒に切手を貼らなくても良かったんじゃないか?」 「初手それ!?」  “あなたに会いたい”  
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