あなたはいま、どこにいますか

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証言一:母親 「あの子はそんな、家出なんてするような子じゃないんですよ!」  そう言って、母親は語気に似合わぬやさしいそぶりでそっと目元にハンカチを添えた。  まっさらなハンカチは、きれいに洗濯されてしわひとつない。添えられた先でも、にじみのひとつもなく真っ白なままだ。 「わたしにはわかるんです。あの子を育ててきた母親ですもの。家出なんてするような子には育ててません。世間に迷惑をかけないように、きちんと大切に、大切に育ててきたんですから」  わずかにうつむき悲しげな顔をするものの、きちんと伸びた背筋がゆがむことはない。せいぜい、きれいに結い上げられた髪の毛がふわりと揺れる程度。その身にまとうこぎれいなワンピースも首元にまかれたスカーフも、やり場のない悲しみにしわまみれになったりはしない。 「お友だちですか? 警察のかたも同じことを言われました。でも、あの子のお友だちにそんな、無断外泊に手を貸すようなことをする子はいません。ぜったいにいません」  母親はやけにはっきりと答える。ぴんと伸びた背筋と疑いをみじんも持たないまっすぐなひとみは、まるでわかりきった答えを発言するかのようだ。 「だって、あの子のお友だちは、わたしがきちんと選んであげた子ばかりですから。きちんとしたおうちの子だとわかってる子ばかりです。悪い道に誘うようなおうちの子とは、仲良くしないように言ってあります。あの子もわたしの言うことをきちんと聞く子でしたから、わたしの知ってるお友だち以外に、あの子と親しい子なんていません」  ハンカチをテーブルに置き、毅然とした態度で母親は言う。きれいなハンカチに添えられた手は、指先まで手入れが行き届いて、つやりと光っている。 「それなのに警察のかたときたら、確認したいからお友だちの連絡先を教えてほしい、なんて言うものですから。だったらわたしが直接、電話で確認します、と言ったんです」  当然でしょう、とうなずく母親の顔は室内照明を浴びても白光りしない、ナチュラルなメイクだ。目元口元にしわのひとつも見当たらない。 「え、警察に言う前にお友だちのところに電話しなかったのか、ですって? そんな、みなさんのおうちに電話して聞いてまわるなんて、そんなの外聞がわるいでしょう? だから嫌だったのに、警察のかたがあの子を探すなら、まずお友だちに聞かないと、っていうものだから」  憤慨したように眉を寄せた母親の指先が、こつこつとテーブルをたたく。神経質なその動きは、向かい合って座るものの気持ちをなんとなく落ち着かなくさせる。 「でも電話しても、やっぱりみなさん、知らないって言うんです。学校が終わって教室で別れてからは、知らないって。わたしが言ったとおりに」  どこか得意げに言った母親だったが、すぐに肩を落としてため息をついた。 「おともだちのおうちに電話までしたのに、あの子の行方はわからないまま。警察も探してくれているようですけど、手掛かりもなくて。そのせいであの子が家出しただなんて悪いうわさが広まってしまったみたいで。これじゃあ、あの子が戻ってきても表を歩けないでしょう? 本当に、どこでどうしているのか、心配で心配で……」 証言二:隣人 「ねえ、ちょっと、あなた。あの子のこと、なにかわかったの?」  母親のもとを辞したとき、遠慮がちに声をかけてきたのは、エプロンにサンダルをつっかけた格好で植え込みの陰に隠れるようにして立つ女。女は行方不明になった子どもの隣人を名乗った。 「いなくなってから、もう三か月でしょう? なのに警察は中学生の家出なんてよくあることだからって、真剣に探してくれないし。探そうにも、目撃情報もなにもない、だなんてねえ」  隣人はエプロンのすそをいじりながら、ちらちらと行方不明の子の家に視線を向ける。 「そりゃね、あたしも警察に言ったんだけどね。あの子はきっと家出したんだって、言ったんだけどね」  ますます声をひそめた隣人は、けれど勢いづいて話しだす。 「だってあなた、あそこのおうちすごかったのよ。なにがって、そりゃあれよ。夫婦喧嘩よ。あの子が家出する半年前くらいから、もうほとんど毎晩、奥さんの金切り声と旦那さんの怒鳴り声がうちの家のなかまで聞こえてきて」  言いながら、ケータイを取り出した隣人がひとつの動画を再生した。途端に、機械からあふれてくる罵詈雑言。ごくごくちいさな音量ながらも、殺伐とした空気が流れてくる。 「ね? もう、こんなのがしょっちゅうよ。それでもう、次の日の朝なんてあの子、かわいそうにねえ。どんよりした顔で家から出てくるもんだから、あたしもついつい声かけるでしょ? 大丈夫? って。そしたら言うのよ。「ちょっと頭が痛いだけです、ありがとうございます」って。それでもう、あたしかわいそうで、気になって気になって!」  抑えていながらも、隣人の声に興奮がにじみだす。エプロンをいじっていた手はいつしか体の前で、身振り手振りを加えるべくせわしく動いていた。 「ほら、このごろはやってるでしょう? 親が子どもにひどいことするの。虐待ってやつよ。ここの夫婦喧嘩がそのうちそうなっちゃうんじゃないかって、心配でねえ。だから動画に撮っといたんだけど、まさかねえ。家出しちゃうなんて思わなかったから。あんなおとなしい子が」  いつしか動画の再生を終えていたケータイを丁寧にエプロンのポケットにしまい、隣人は首をふる。 「まあ、あの母親の子だからね。もしかしたら急にキレて暴れだしたりするような子だったのかもしれないけど。人は見た目じゃわからないからねえ。なんにせよ、早くなにかわかるといいわねえ。かわいそうに」  よく回る口はかわいそうに、と言いながら、いびつな笑顔を浮かべている。 「ああ、あそこの父親? さあねえ。ちゃんと話したことはないけど、通りかかればあいさつする、ふつうのひとよ。まあ、そのふつうのひとが突然、暴れだしたりもするものね。子どもにだけ強く当たったり。家出にしたって長いから、もしかしてそういう犯罪に巻き込まれたりしてるのかもしれないわね、あの子」 証言三:父親 「あいつがどこにいるのかって? ……そんなことは、おれが聞きたいよ」  行方不明当時の家族写真と比べると、父親はずいぶんと様子が変わったようだった。 「警察が言うにゃあ、事件性はないってんだろ? だったらあれだよ、家出したに決まってらあ」  くたびれた服以上にがっくりと肩を落とした父親は、店員が置いたグラスをつかんで水をぐっとあおる。 「家出じゃないって? そりゃ、あの女がそう言っただけだろ。あいつの母親さ。あんなのに年がら年中、口出しされてみろよ。いやにもなるさ。友だちのことまでとやかく言われりゃ、逃げ出したくもなるさ。おれだって、小遣いの使いかたやら休みの日の予定にまで口だしされて。友だちが旦那にプレゼントもらったからって、おれの小遣いであの女に何か買う必要ないだろう? おれがひとりで出かけるときの服装なんて、あの女に関係ないだろ? もう、なんにつけてもうるさくてよ。それがあいつの家出にかこつけて、ようやく逃げだせたんだ。情けねえよな」  うなだれた父親の顔に、手入れされていない髪の毛がかかる。そこに、かつて髪を撫でつけ身ぎれいにしていた男の面影はない。 「なんでこうなるまで離婚しなかったかって? そりゃ、あの女が嫌だって言うんだよ。あんたなんて好きでもなんでもないけど、離婚なんて世間体が悪い。そんなことしたらママ友に馬鹿にされる、だってよ。ふざけんな」  吐き捨てた父親は、ぼうっと視線を遠くにやって力なくつぶやいた。  「そうやってあの女に気を取られてるうちに、あいつどこかへ消えちまったんだ。どこにいるのかなあ。こんなことになるなら、せめてあいつにもっと小遣い渡しとけばよかったなあ……なあ、あんた。もしあいつに会えたら、伝えてくれよ。困ったときには連絡くれよ、って。すこしくらいなら金も渡してやれるから、って」  証言四:??? 「……それで、聞きたいことってなんです」  母親のお友だち名簿に載っていない彼女は、行方不明になったあの子の小学校のころのクラスメイトだった。 「あの子の様子に変わったところがなかったか? それはもう、はじめて会ったときから今年までだったら、ずいぶん変わりました。そりゃ親が夜な夜な喧嘩してれば、変わるでしょう。そんなこともう、調べてわかってるでしょう?」  吐き捨てるように彼女は言う。 「夫婦喧嘩は行方不明の半年くらい前から? それ、どこ情報です? すくなくともあの子は、ずっと前から悩んでましたよ。小学校の中学年にあがるころにはもう、両親の仲が悪くなってるってこぼしてましたから」  鼻でわらった彼女は、ふと寄りかかった金網の向こうの流れに目をやった。川と海とが入り混じる汽水域。 「ほかに変わったことと言ったら……」  きらり、光をはじいた水面を見つめて、彼女はつぶやく。 「そう。いなくなる半年くらい前から、きらきらするんだ、って言ってました」  きらり、きらり。水面の輝きが彼女のひとみのなかではねる。 「なんでもない瞬間に、視界に光が落ちてきて。きらきらしながら光が広がっていくんだって、言ってました。まるで水中から見上げた水面みたいに、とてもきれいで、すてきな景色なんだ、って。もしかしたら前世は魚だったのかな、なんて言って。それでもうすぐまた、魚になれるんじゃないかって。魚になって、どこか遠くへ泳いで行けるんじゃないか、なんて。その話をするときだけはあの子、むかしみたいに笑ってた……」  遠くを見つめる彼女の視線は、やがて足元に落ちた。 「あとで調べてみたら、片頭痛の兆候でそんなのが見えるらしいですね。そういえば、いなくなるしばらく前から頭痛いって、言ってました。それなのに、あの子、あたしにもこのきらきらした景色を見せてあげたい、いっしょに水のなかの世界に行けたらいいな、なんて……」  自嘲するように笑った彼女は、ふと我に返ったように振り向いた。 「ああ、そうだ。あの子に、もらったものがあったんだ。警察にも見せたけど、関係ないだろうって返されて、それからたしか、ポーチに入れたはず」  彼女が取り出したのは、手のひらに乗る大きさのチャック付きポリ袋。袋のなかにぽつりと入っていたのは、透き通ったちいさな板。細い彼女の指の腹に乗る程度の大きさのそれは、魚のうろこだった。 「同じ景色を見たくなったときのために、あげるね、って。それからしばらくして、あの子、何も言わずにいなくなっちゃったから」  彼女はもろくちっぽけなちいさなうろこを壊さないようにそっと、包んだ手を胸に抱いてつぶやいた。 「どこに泳いで行っちゃったんだろう。どんな魚になるかくらい、教えてくれればいいのに。これじゃ、あの子を見つけることもできないじゃない。あたしもう一生、魚食べられなくなっちゃったじゃない……」  うつむいた彼女の向こうの流れのどこかで、ぱしゃり、と水の跳ねる音がした。
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