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続いて宮岡は、香世の母に向き直った。彼女は明らかに葛藤している。苦痛に表情を歪めている。
「お母さん、あなたはわかっておいででしょう。どんなにゴミを積んだって、あの子が発する悪臭は誤魔化せない。このままではあなたのみならず、香世ちゃんまで危険になるんですよ」
宮岡は完全に銃を下した。しゃがみ込み、異形となったリクに視線を合わせる。匂いを嗅がせるように手を差し伸べて――あたかもそれは、普通の犬にするのと同じ仕草で。
「死んだものは黄泉の国へ渡ります。だけど、黄泉の国への道は一方通行だ。本来なら、戻ってくることは出来ないんです。それでもなお、無理をして戻ってきてしまった場合、魂が崩壊して怪異へとなり下がります」
「魂が……崩壊……?」
「そうです。崩れた魂は瘴気となって、周囲の人間を害します。あなた方の体に起こっている異変は、すべてリクの瘴気によるものなんです」
「それでリクは……この子は最後はどうなるの?」
母親が縋るように宮岡を見上げる。彼は首を振った。
「心を失い、見境なく人を襲うようになる。そうなってしまっては、もう黄泉の国には行けません。未来永劫ひとりでこの世を彷徨い、人を襲って苦しむことになる」
「そんな!」
彼女は小さく悲鳴を上げる。
「じゃあ、リクはもう……?」
「いいえ。今ならまだ間に合います。この銃には」
宮岡はリボルバーを掲げて見せた。
「特別な清めの塩で作った弾薬が込められています。この弾丸で心臓を打ち抜けば、リクは成仏して無事に死後の世界に行けるでしょう」
香世の母は逡巡していた。心が大きく揺れ動いていることが、潤んだ瞳に現れている。きっと今、彼女は天秤に掛けているのだ。リクとずっと一緒にいたい気持ちと、家族やリク自信を守りたい気持ちと。
そうして、彼女は結論を出した。項垂れたまま、リクの背中に手を置いて。
「……リクを、助けてやってください」
「ママ!」
必死の形相で振り返ったのは香世だ。彼女はリクの首にしがみつき、いやだいやだと駄々を捏ねる。
「ダメだよ。リクを行かせるなんて、絶対に嫌! もう離れないって、ずっと一緒にいるって、決めたんだもん。そのためだったらどんなにつらいことだって、全部耐えてみせるって決めたんだもん!」
「香世ちゃん」
宮岡は優しく言った。
「リクもそうだよ。体が腐り落ちていくというのは、きっととても痛くて苦しんだ。それでもリクは、来てくれた。そこまでしても彼は、香世ちゃんに会いたかったんだよ」
香世が宮岡を見つめる。大粒の涙が頬を滑り落ちていた。
「リクも香世ちゃんのことが大好きなんだ。だから、ね。リクのことを助けてあげよう?」
つらい、つらい選択だった。
それでも、互いのことを大好きだと思うから。
香世は小さく頷いたのだった。
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