親父のお話

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 コンコンとノックがして扉が開いた。 「おじさん。暇?」  顔を出したのは、小学4年生の姪だった。 「和菜ちゃん」 「暇でしょ。お母さんが暇だって言ってた。ねえ、この絵本見て〜」  そう言って、抱えていた手作り絵本をバスっと床に置く。 「これは和菜ちゃんが作った絵本?」 「そう。全部絵描いたの」  俺はカバンから、卵のマーゴの絵本を取り出した。 「俺のとこに、この卵の絵本送ってくれたの和菜ちゃん?」 「うん、そう。あのー、見てほしいって」 「ああ、良く描けてるもんな」 「ううん違う。私じゃない。卵のマーゴがどうしても見てほしいって、そう言ってる気がして。それでお母さんの手帳見て勝手に送ったの。ごめん」 「謝る事ないさ」  なんか分かる気がした。俺もその卵の屈托ない笑顔に惹かれてここまで来たのだ。 「卵のマーゴ。おじさんが作ったんでしょ。わたし好きだよ。だから力入れて描いたの、じいじとね。ねえ、おじさんも何か他にお話作ってよ」 「俺は、話は作れないな」 「でもこの話はおじさんが作ったんでしょ」 「まあ、親父と二人で」 「だったらできるよ」 「いや」 「……あ、そうそう。最後のページ知らない? この絵本、本当はもう一枚あるの」 「え?」 「最後のページがないの」  俺は、本棚を見渡した。几帳面な親父らしくビシッと本が並んでいる。ここにはありそうにないな。するとあるとすれば机の引き出しか。ちょっとためらったが、いずれ誰かが開けるのだと思い、中を探った。 「引き出し開けていいの? 勝手にじいじの場所さわったらダメって。お母さんが……」 「大丈夫。一緒に探そ」  引き出しの奥には、親父に似つかわしくない、乱雑に積まれた便箋の山があった。  俺はその便箋を全て取り出した。目を通すと、そのどれもが、書きかけては止まっている。なかには字が震えているものもある、歪んでいるものもある。何度も何度も、同じ事が書かれていた。何度も何度も何度も、その同じ言葉を見ているうちに、親父の声が頭の中をグルグルと駆け回る。 「和馬、反省したか? ならすぐに戻ってこい! 和馬元気か? 和馬どこにいる? 和馬、旅はいつ終わる? 和馬、和馬、和馬―」 「おじさん。最後のページあったよ」  和菜ちゃんの声でハッと我に返った。  彼女が見せてくれたページには、雌鳥の下で卵のマーゴが眠っていた。旅から帰ってきたのか、全ては夢だったのか。……そして、絵の下に落書きのように、震えた文字が書き連ねられていた」 「どこまで旅しにいった? どこにいる? 教えてくれ。助けに行けないじゃないか」   机に座り、震える手にペンを握った親父の姿が頭に浮かんだ。 「雨」と和菜ちゃんが呟いた。  同時に、降り出した雨が窓にぶつかり激しい音を立てた。 「ねえ、おじさん。じいじ、やっぱりいないの? どっか迎えにいったらいないかな? また、お話の世界に迷い込んでるだけじゃない?」 「お話の世界?」 「じいじ。雨が降ったら、いっつも堤防のとこに行って何か探してた。お話の世界に迷い込んでた」 「迷い込む?」 「そう、だから私が連れ戻すんだよ」  知らなかった。親父の認知症がそんなにひどかったとは……  激しい雨音が脳裏に響く。
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