親父のお話

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 激しい雨に打たれ、結局たどりついたのは、あの堤防だ。行く場所なんてないんだよ。俺には、どこにも、もう行く場所なんて。  海へと降り注ぐ激しい雨をじっと見ていた。  どれぐらいの時間が経ったのかも分からなかった。  ただ、体が震えてどうしようもなかったが、それでも、どこにも行こうとは思わなかった。  白い雨脚が世界を遮断するかのように降りそそぐ。  そして、激しい雨音の中、かすかに「和馬」と親父に呼ばれた気がしたのだ。   「和馬」 「……親父」  雨に濡れた、歪んだ顔の親父がそこに立っていた。 「どこにいた? 和馬。大丈夫か?」  俺は、その一瞬。小さな子供の頃の瞳で親父を見上げた。  親父の手がそっと体を包み込む。 「こんなに濡れて」 「親父、……ごめんよ」 「いいんだ」 「ごめん」 「……うん」  その一言と共に、抱きしめられた温もりが胸に落ちた。  不意にボタボタボタと傘に当たる雨粒の音がした。 「おじさんも迷い込んだ?」  膝をついていた俺が顔をあげると、そこには、もう誰もいなかった。  代わりに、後ろに傘をさした和菜ちゃんがいた。 「はい傘。タオルも必要だったね」 「ありがとう」  俺は開いて差し出された傘を受け取った。 「おじさん。じいじと一緒だね。何か見つかった? じいじは必死に何かを探してた」 「……そう」 「『いいんだ』って笑ってた」 「うん」  白い雨脚の向こうに、まだ親父が不恰好に笑って立っていてくれてる気がした。  いや、確かにいるんだ。 「帰ろう、おじさん」 「ありがとう連れ戻してくれて」 「じいじと同じ事言ってる」 「なあ『たまごのマーゴ』はその後、ヒヨコになれたのかな?」 「さあ。そのお話はおじさんが作ってよ」 「俺が」 「うん……じいじと、お話作ってる時楽しかった。……でしょ」 「ああ、そうだな。そして演じるのが楽しかった。おじさん、もう一度。演じてみようかな」 「うん。それがいいよ。私も、たいした絵じゃないけど描こうかな」 「バカ。おじさん、あの絵を見たからここまできたんだぞ。マーゴの絵がここまで運んできてくれたんだ。和菜ちゃんの絵はすごい」 「へへ、じゃ私もまた絵を描く。……本当は、じいじがいなくなってから描いてなかったんだ」 「そうか」 「うん。描くよ、私」和菜ちゃんはそう言って微笑んだ。 「一緒に帰ろう」 「うん」  俺は白い雨脚の先に向かって呟いた。 「ありがとう、親父」  二人の傘に降りそそぐ雨の音が続く。 Fin
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