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私と君は――言わばちょっと親密にしすぎた腐れ縁で、とはいえ親友とか、幼馴染みというには色々ありすぎたのだと思う。
けれど少なくとも、田舎でも都会でもない、大きな塔も山もない、ほんとに何があるんだっていうこの町は、私だけでは退屈だ。それを踏まえれば、君と過ごした青い春は価値のあった時間だったと思っている、今も。
私は近いはずの過去のぼやけ具合に嘆きがら、君の隣に近づく。
丸めた雪が、砕ける音がする。
――雪にすっぽり包まれた、町を眺める憩いの居場所。
町唯一の見晴台の錆びた内部の汚れた手すりに体を預けながら、町の宣伝ポスターによく書かれているキャッチフレーズを頭に思い浮かべた。
「やめておけば良いのに」
「そうは言ってもねー…」
君は最近切ったばかりで歪に跳ねる毛先を弄りながら口を尖らせる。
見晴台のドアの上にはめられた、曇ったガラスには町の風景が映り込んだ。これが都会なら、ここよりもっと沢山の照明や信号機がクリスマスのために特別に磨かれたオーナメントのように眩しく写ったのだろう。
「まだ出港はしないじゃない?港までここから遠いとしても、今からなら、まだ」
「いや、もう決めているんだ。あなたの諦め悪いところは好きだよ、でももう、決心をしているから」
やや早口で捲し立てるようにして私を黙らせると、そのまま君はガラスの奥のくすんだ景色を眺めている。時刻は午後七時。雲に隠れていた陽はとっくに暮れていて、気温は温もりなど一度も持ち合わせていないようだ。古すぎて見晴台の暖房は作動しないため、コートの上から体を震わせる。
静かな時間が流れている。
「ねえ」
先に沈黙を破ったのは君の方だった。特別なオイルを使用していそうな艶やかな髪が、緩くかすかに揺れ動く。私がどうしたの、と訊ねれば、自信ありげに口角をゆっくりつり上げた。
「私はね、海は人の瞳の色の数だけあると信じているんだ。司教様の澄んだアップルグリーンとか、その子供の、それよりちょっと暗いあの色とか。私の蒼色もだし、あなたの茶色もさ」
「なにそれ、あるわけないじゃん。理科で習ったでしょ、海は…聖魂草だけが大量に生息しているから、ずっとくすんだ緑色なんだって…あ、船に乗っても掬い上げちゃ駄目よ、皮膚から聖魂草の卵が侵食するんだからね」
何年か前に一度、先生が聖魂草の標本を私達に見せてくれた覚えがある。あの、見るだけで良い気分のしない、おどろおどろしい原始的な緑。あれと常に近くにいるなんて、これからの君の旅路が本当に不安になる。
そしてそれは君も懸念していたことみたいで、整った眉を潜めながら、「あれでだけは死にたくないな」と口にした。
「でも栄養失調になれば食べるかも。この前寄生されない採取方法と調理の仕方をキャプテンが教えてくれた。海上では食べれるもの扱いらしいよ」
「うええ…」
キャプテン。君の大好きな人。私は君がそいつに恋心を抱いているのを私は知っている――それはとても気にくわないことだけれど。
私が露骨に嫌な顔をしてやると、君は「またか」といった呆れた顔をされる。
すると途端に恥ずかしくなって、私はあわてて誤魔化すために両手を打った。
「と・に・か・く!海はそんな、希望に溢れた場所じゃないんだよ、きっと。」
「それは違うわ」
君はきっぱりとした口調で強くそう告げた。そこには確かな意志が感じられて、まるで私の意見など、端から聞き入れるつもりはないのだというようだ。
「何で断言できるの」
「だってほら、黒海もあるし、写真ではフランクフルト?じゃなくて…」
「プランクトン?」
「それ!のせいで赤くなった海もあったらしい。大昔に見られたものが、この現代で見られないなんてあり得ないわ。古代人は億劫だったんでしょ。なにかモノをゼロにする勇気が、古代人にあったと思える?」
「あったから今があるんじゃないの」
「いーや、違うね。絶対にどこかに神秘的な秘境は隠されている。それこそ終わりかけたこの星の生命が求める宝物なんだよ。それはもう、海を知る者なら誰しもが恋い焦がれる秘境。大きな大きな概念だ。それがないだなんて、あり得ない。あり得てはならないのだよ」
君は既に死んだ教授の、曖昧な声色を似せてまで自信満々に言ってのけたが、馬鹿みたいな夢だと思った。それは所詮は願望だよ、とは言わずに飲み込んだけど。…私は思わず口をつぐんでしまったが、『言えばよかった』という後悔があとからじわじわと心を責め立てる。しかし、時間が経てば経つ程言い辛くなっていくのから、私はこの今という時点で永遠の後悔を背負ってしまったのだと悟った。
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