もういなくなった彼へ

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もういなくなった彼へ

 太一が死んでから一ヶ月が経った。  けれど今でも、彼の私物を捨てられないでいる。  まだ同棲を始めてから二ヶ月しか経っていない。もう少ししたら、彼と一緒に過ごした時間より、自分一人で暮らした時間のほうが長くなる。それでも引越しをできずにいた。  2DKのアパートは一人には広すぎた。  もしかしたら玄関のチャイムが鳴るかもしれない。仕事帰りのくたびれた顔に、無理にでも笑顔を浮かべ、リビングに入ってくるかもしれない。彼の手にはコンビニ袋があり、その中にはケーキが入っているかもしれない。  そんな不器用で、些細な優しさを見せる人だった。  太一は交通事故で死んだ。  仕事帰りの彼は、自宅近くの交差点でトラックに跳ねられた。即死だったらしい。苦しまずに亡くなったことは、彼にとって幸せだったと思う。  けれど別れの言葉も言えず私は、今日も台所に一人分の食事を並べている。  キッチンには同棲を始めてすぐに買ったコップが置かれている。それぞれ、太一、久美子と名前が書かれたコップ。太一と書かれた方だけが、埃をかぶっている。  もしかしたら今ごろ、私の名前は加藤久美子から笹原久美子になっていたのかもしれない。けれどその機会は二度とこない。  私が好きだった彼と、会うことはもうできないのだから。  けれどそれでも思う。  また玄関の扉を開けて、彼が現れるのではないか。パスタを炒めている私に、声をかけてくれるのではないか。それともいきなりスマホに電話をかけるのではないか。  なんて。そんなことはあるわけないのに。  一人きりの食卓、ぼんやりと箸を持ち上げる。少し伸びたパスタを口にした時、机の上に置いていたスマホが震えた。  電話だろうか?  手にとって画面を見て、私は息を呑んだ。  笹原太一。彼の名前が表示されていた。  通話ボタンを押してスマホを耳に近づける。 「ごめん。電話するのが遅くなって!」  彼だった。もう絶対に聞くことのできないと思った、彼の声そのものだった。 「久美子? 大丈夫?」 「バカ。待たせすぎだって」  私の声は、少しだけ震えていた。  例えそれが本物ではない、機械の声だとしても、目頭が熱くなった。
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