5日目

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5日目

 大介は隣で満足そうな笑みを浮かべ、眠りに就いた梓の髪を優しく撫でた。 (やっぱり梓は何も気づいていない。良かった……)  最近尾行されているのは分かっていた。警察かとも思ったが職質をかけられるわけでもなかったので違うようだ。ならば誰だ? 大介は疑心暗鬼になっていた。敵対組織のヒットマンかとも思ったが何も仕掛けて来なかった。ならばスパイかもしれない。そう思い尾行をしていた車を逆に尾行した。相手は素人のようで気づいてはいないようだった。しかしその車を見て大介は驚いた。妻、梓の車だったからだ。  梓が敵対組織のスパイなのだろうか。大介は悩んだ。梓はおっちょこちょいで単純で疑う事を知らない。だから結婚したのだ。一般人として暮らすには最高の相手だった。  一緒に暮らしていて、その抜けている所が可愛く思えてきた。ドジな所が愛おしくなってきた。一生自分が守らなければコイツは1人では生きていけない。そんな感情が芽生えてきた。  しかし組織の掟は非情だ。正体を知られたら相手を消すのみ。それが例え肉親だろうが最愛の妻だろうが関係ない。もしかばったら組織の仲間が自分もろとも消しにくる。さんざん辱めを受け、拷問され、始末される。  それくらいなら自分の手で、なるべく苦しまずに葬ってやりたい。そう思い大介は覚悟を決めて帰宅した。  しかし梓は大介の裏の仕事の事など何も気づいてはいなかった。ただ浮気を疑っていただけだったのだ。愛する妻を始末しなくて済んだ大介は安堵のため息をついた。  梓の寝顔を見て微笑み、ベッドを揺らさないように大介は起き上がった。  梓を始末しなくて良いならと、大介はズボンのポケットから拳銃を取り出しバッグにしまった。  梓が疑う原因となった物も隠さなければとスーツのポケットに手を入れた。梓が口紅だと思った物、それは銃弾だった。だが今は使で穴の開いた薬莢(やっきょう)だった。形も大きさも口紅に酷似している。知らない人が見たら口紅に見えない事もない。  薬莢からほんのりと火薬の匂いがした。匂いが昨日のターゲットを思い起こさせる。しかし顔ははっきりと思い出せない。思い出しても仕方がない。もう会う事もないのだから。もうこの世にはいないのだから。  後ろからリズミカルで心地良い寝息が聞こえてきた。梓の顔なら細部まで再現できる。そんな自信が大介にはあった。 〈終〉
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