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告白
中学1年の秋。
『告白しちゃえば』って背中を押された。
そしてその勢いで告白をした。
「好きです」って。
部活のひとつ上。音楽部の2年生で、先輩はバイオリンを弾いていて私もバイオリン。
好きですの答えがすぐに欲しかったけど、下校の時に、って言われた。
世界が明るい。空は晴れて青く、ときどき流れていく雲が刷毛でさっと払ったように見えた。軽やかな気持ちで刷毛を持っている気分。
一緒に帰れる、それだけでスキップしたくなった。
部活が終わっていったん別れ、下駄箱で待ち合わせ。同じ音楽部の子達から何か言われるとイヤだからって言われて。
ドキドキしていた。
先輩と一緒に歩き出して、校門を出る。同じ方向に帰るから随分長く歩ける。嬉しい。
今日はあの曲が少しテンポずれてたね、とか。
バイオリンは慣れてきたかな、とか。
部活の先輩後輩としての、他愛もない話をしながら歩いていた。
合間合間で、空を見上げたり道路脇の民家の庭先の花壇を眺めたり。
後ろから他の生徒が近づいてきても気にせずにゆっくり。
ゆっくりゆっくり10分くらい歩いたころ。
先輩が急に立ち止まった。道が別れる三叉路で。
「今日、告白ありがとう」
言って、先輩は緊張したように唇をぎゅっと結んで頭を深く下げ、私に背を向けた。
「待ってよ、先輩」
弱く呟く。頭が混乱する。
え? どういうこと? 返事は?
その時。
キキキーッッッ!!!
不意に、ブレーキ音が聞こえた。
私の耳に、聞こえた。
**
先輩はどこだろう。
探してさまよう。どうも私と同じところにはいない。
『私と同じところ』
その表現も正しいのかよくわからない。
だって私は私だけれど、心の部分だから。
体はベッドで眠っている。
それに気がついたのは、ふわりふわりと浮いて、私自身の体を見おろしている感覚があったから。
浮遊する私からは、お母さんもお父さんもお医者さんも看護師さんも見えているけれど、彼らから私は見えていないようだった。
あの時のブレーキ音は私達を巻き込んで事故をおこした車の音だった。
はじめこそ体に管がたくさんついていたけれど、三日くらいたって一本ずつ管がとれていった。事故から一週間たった今は、包帯だけがぐるぐるに巻かれている。頭、腕、足。
そしてもちろん意識は戻っていない(だって私がその『意識』で、体に戻れないんだから、しかたない)。
先輩は、どこにいるんだろう。
どうなったんだろう。
姿が、見たい。
きっと私をかばってひどい怪我をしたはず。
だって誰かに背中をかばわれた、そういう感覚が残っているから。
でも。
同じ病院にいない?
もう退院したのだろうか。
病室をひとつずつ、名前を確認しながら浮遊する。
なのに、いない。
あの事故の瞬間の記憶はないのだけれど、もしかしてもしかして、先輩はもう……?
こわくなって頭を横にぶんぶんと振る。まさかまさか。
先輩は、どこにいるんだろう。
居ても立ってもいられなくなって、私は病院をでて探しに行くことを決意した。
なんとなくあんまり体と離れたくないのだけれど。戻れなくなりそうで。
私は私のベッドの横でパイプ椅子に座っているお母さんの前をそおっと素通りして、病室の窓から外へでた。
お母さん、ごめん。すぐに帰ってくるから。
先輩に会いたいだけ。会いたいだけだから。
**
学校へ行ってみる。
空を飛んであっという間についた。
授業中。
まずは自分の教室から確認する。
英語の授業か。
大丈夫かな、私、怪我が治って意識が戻ったら、勉強についていけるかしら。心配。
でも何より、意識が戻るかどうかのほうが心配。体の中にすっと入りたくて何度もチャレンジしたのだけれど、どうにもこうにも押し戻されてしまう。私の体なのに壁があって通過できない。薄い壁じゃなくてそこにあるのは厚い壁。
どうしてだろう。
私の体が私を拒否するなんて。
そんなのおかしい。
先輩を探しているはずなのに、自分のことで納得できなくて私は拳を握りしめた。
なんとしても自分の体にもどって、聞きそびれた告白の返事を聞かなくちゃ。
それには先輩も元気でいてもらわなくちゃ。
とにかく先輩に、会いたい。
すでに理解できない単元に進んでいる自分のクラスの英語の授業をあとにして、先輩のクラスにふわりと飛んでいった。
**
もしかしたら怪我が治ってもう学校へきているのかも。
そんな予感が、まさかのあたりだった。
私は足の感覚もないのに、膝から崩れ落ちるような気がした。
だけどよかった。
先輩が無事でよかった。
でも。
おかしいな。
確かに誰かにかばってもらったはずなのに。
背中をぐいっと押された感覚があるのに。
あれは先輩じゃなかったのか。先輩だと思っていたけれど。先輩だったら怪我は私よりひどいはずだ。
なんとなくがっかりした気分で、聞き耳をたてる。
部活以外の先輩の姿をみられるなんてラッキーだ。
先輩は友達に事故について話していた。
「途中まで一緒だったんだけど俺は先に三叉路で別れたのね。二人と別れたらすぐに事故。佐々木がさ、事故のとき後輩の女子をかばったんだよ。そしたら、代わりに佐々木が事故に遭って。だから佐々木入院してるんだ。後輩女子も怪我しちゃってまだ入院中。俺だけ無事で」
え?
混乱する。
先輩が助けてくれたわけじゃ、一緒に入院していたわけじゃ、なかったってことなの?
先輩が友達に言った言葉。
『佐々木が』?
あれ、もしかして、その佐々木って。
一人の顔が思い浮かんだ。
佐々木寛太。
同じ町内で、小学校まではよく遊んでいた、あの佐々木寛太くん?
え?
寛太くんが、かばってくれたの?
怪我をしてまで?
どうして?
考えろ、私。どうして?
どうして寛太くんが私をかばってくれたの?
考えて考えて、ひとつ、浮かんだこと。
『告白しちゃえば』
告白の切っ掛けはその言葉だった。誰に言われた?
そうだ。それ、寛太くんに言われたんだ。
**
告白しちゃえばって、背中を押してくれた。
それは寛太くんだ。
私はその言葉で告白を決意して、それで。
ああそうだ。
告白の返事はNOだったんだ。
ただの先輩後輩でいようって言われたんだ。
それで道が三叉路になって先輩と別れて。
その後で車が突っ込んできて。
そうだよ、寛太くんもあの時すぐ後ろで帰っていた。
先輩が三叉路でいなくなってから、寛太くんと一緒に歩いていたんだ。
『告白の返事、どうだった?』
『聞かないでよ』
『え、まさか断られたの?』
『う、ん。応援してくれたのになんかごめん』
『いや、いいけど。俺のほうこそごめん。変に傷つけちゃったみたいで。悪いことした。ごめん』
目をそらして頬をぽりぽり掻きながら、寛太くんは私に謝った。何度も。
『謝られると私ばかみたいだからやめて』
だって告白して、一緒に帰ろうって言われて。もうぜったいにOKもらえるって信じていたのに。それでNOだったんだから私の独り相撲で早合点だった。それだけのこと。
だからもういいんだ。
『じゃあさ、振られたんなら俺と。俺と付き合ってよ』
『え? 急だなあ寛太くん。本気?』
私の問に寛太くんは力強く頷いた。
ええ? びっくりだ。でも。
『……考えとく』
『ほんとに? 背中押したくせにこんなずるく隙間に入ってごめん。でも俺さ、小学校のころから好きだった』
まっすぐな目で見つめられた。
恥ずかしくなって思わず頬を押さえてしまう。
きっと真っ赤だと思ったから。
そこで──車に突っ込まれたんだ。
本当は私だけが怪我をするところだったのに、かばってくれた寛太くんまで怪我をさせて。
ごめんなさいは、こっちのセリフ。
それから、ありがとうも。
**
全部思い出した。
だから私は学校をあとにした。
ふわふわとゆっくり、じゃなくて。びゅんっと超特急で病院へ移動する。
会いたい。寛太くんに会って言いたい。ありがとうって。
ひとつひとつ、病室をみていって──。
『佐々木寛太』
ネームプレートを見つけた。どうして気がつかなかったんだろう。自分のぼんやりした性格が嫌になる。
すっと病室のドアをすりぬける。
浮遊する自分ってこんなとき便利だ。
寛太くん。
寛太くんが、眠っていた。
まだ管がつながっている。点滴もまだ続いている。
その姿を見て、思わず大声で寛太くん!と名前を呼んでしまった。
でも、病室には私の声は響かなかった。
やっぱり、体に戻らないと、だめだ。
浮遊しているんじゃ、声もあげられないんだ。
急いで自分の病室に戻る。
眠っている私のからだ。
元に、戻りたい。ちゃんと声を、姿を、寛太くんに見せたい。大丈夫だったよ、ありがとうって。
好きって言ってくれてありがとうって。
体の中に戻ること、今まで何度もチャレンジしたけれどそのたびに跳ね返されてきた。
でも今度こそ。
息を吸う。
大きく大きく。そして、止める。
目をぎゅうっと瞑った。壁を蹴るイメージで勢いをつける。
私の中に、戻りたい!
それで、寛太くんに、ちゃんと会いたい!
大きな声で叫ぶ。
寛太くん、寛太くんに、届きますように。
**
「寛太くん、寛太くん、戻ってきたよ。助けてくれてありがとう。寛太くんに会いたくて戻ってこれたよ、ねえ目をあけてよ」
私の中に戻った私は、私の体ですぐに寛太くんの病室にむかった。
すっかり管のとれた私は、事故前と変わらずに動く。
看護師さん達に怒られてしまうかもしれないけれど、どうしても会いたくて。
寛太くんはまだ管につながれていて、目が開いていなかった。
「ごめんね、ほんとにありがとう」
個室の病室に入って、ベッド脇まで歩み寄る。包帯も点滴も痛々しい。
点滴の刺さった腕をそっと指で撫でる。
ごめんね、助けてくれたのに、寛太くんがこんなことになって。
ぴくり
寛太くんの指先が、ぴくりと動いた。
見間違いかと思った。けれど、またそっと腕を撫でると指先が動いた。
ああ。
ああ、動いてる。
よかった。
目も開けて。
私、あなたに会いたくて、戻ってきたんだから。
ふわふわと漂っていた心許ない状態じゃなくて。
ちゃんと寛太くんに触れる状態で。
私、あなたに会いたくて。
寛太くんの指先に、自分の指を寄せた。
ぴくりと動いて、寛太くんの指が私の指に触れた。
そして、私の名前を小さく呼んで──。
寛太くんの目が開いた。
その目に私の姿がうつってそして。
目を細めて、寛太くんが、笑った。
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