26人が本棚に入れています
本棚に追加
「凌太、大丈夫?」
私は、慌てて駆け寄っていく。
スニーカーを押さえてしゃがみ込む凌太の「あー!」という大きな声に、私はビクリと体を震わせた。
「な、何?」
凌太は私の顔を見ると、目を細めて「あははー!」と笑ってみせた。
「えっ?」
「わーマジかー」
凌太はデニムの砂をパンパンと叩きながら立ち上がると、右ポケットの中を裏返してみせた。
ちょうど角のところに穴が開いてしまっている。
「ポケットに手入れてみたら入ってないから、マジ焦った」
「どういうこと?」
「ヤベー、今来た道探しに戻んなきゃって思ってたんだけど……」
こちらに向けられたのは強く握った凌太の右手。
そしてそれがゆっくりと開かれる。
凌太の大きな手のひらに載っていたのは、銀色の小さなリングだった。
「うまい具合に足を伝って靴ん中に落ちたみたい」
「えっ……」
「絵梨がお守りくれたら、お礼に、って言って渡そうと思ってた」
凌太の真剣な眼差しがこちらに向けられる。
「……初めてのプレゼントで、指輪とか重いかな?」
「そ、そんなことない」
私は首をぶんぶんと振ってみせる。
「いかにも、って感じだとウザいかなって思ってカジュアルな感じにしてみたんだけど」
幾何学模様が彫られたシルバーのリングは全体にちょっと太めで、真ん中にはブルーの石が配置されている。
確かに、遠距離になってしまう彼女にプレゼントするような感じではないかな。
「あ……」
私はアジアン雑貨が好きで、よくデートの時にもショップを覗いてた。
そう言えば、夏に雑貨屋に行った時、凌太はアクセサリーコーナーを真剣に見ていたっけ。
あの頃から考えてくれてた、ってことなのかな……。
思いつきじゃなくて色々考えてくれてたんだ、って思うと心の中がなんだかジワリと温かくなる。
「こんなん渡して、もう1年こっちにいたりしたらなんか間抜け」
胸の奥がドクリと鳴った。
怨念のこもったお守りをぎゅっと握りしめる。
「けどさ、そしたら絵梨ともう1年一緒にいられるだとか、いっそのことこっちの国立受ければ絵梨とずっと一緒にいられるだとか、なんか頭の中ぐるぐるしちゃって……」
「えっ……」
凌太の視線がシルバーのリングに向けられる。
「そういった俺の邪な思いが石の中に宿っていくような気がして……。ほら、天然石ってスピリチュアルなイメージがあるだろ?」
凌太はそう言って手のひらの上にあるリングを転がしてみせる。
ラピスラズリだろうか、真ん中に付けられたその石は鮮やかな青で、私の作ったお守りの色と似ているように思えた。
「それで渡すタイミング逃しちゃってて……。絵梨がお守りくれたら渡そうかとも思ったんだけど、絵梨なかなかくれないし……」
「……同じなの」
「えっ?」
私の言葉に、優しく日の光を返す二つの瞳がこちらに向けられる。
「私も東京の大学受けようかな、とか、凌太がもう1年こっちで、とか私の邪な気持ちが詰まっているからこれは渡せない」
私はポケットからラピスラズリ色のお守りを取り出した。
「なんだー」
凌太はホッとした声を出す。
「ごめん」
「でも、指輪と交換なら大丈夫じゃね?」
「うーん、でも心配だから入試終わったら渡してあげる」
「じゃあ、俺も」
凌太は右ポケットにしまおうとしてから、慌てて左に入れ替えた。
「けど、絵梨も俺と同じようなこと考えてたのか、って思うと何だか嬉しー」
凌太の言葉に、じわりと胸の奥の温度が上がっていくように思えた。
凌太は突如拝殿に向き直る。
「入試では全力を尽くします! それがどんな結果になろうととも絵梨に対する気持ちは変わりません!」
「えっ、な、何?」
凌太の突然の宣言に、私は狼狽える。
でもなんだか頬が熱い。
境内には他に聞いている人もいなかったけれど……。
「言霊って言うだろ? この指輪の中に込められている自分でも上手く言葉にできない感情なんかより、声に出しちゃった方がずっとパワーが強いと思うんだ」
凌太は一重瞼を線のように細めて私の大好きな笑顔をくれる。
私も笑顔を返すと、小さな拝殿に体を向ける。
神様がどこにいるのかわからないけれど、きちんと向き合うように。
「私も入試では全力を尽くします! それがどんな結果になろうとも凌太に対する気持ちは変わりません!」
大きな声でそう口にしてみると、本当にお守り袋の中で燻っている邪な想いなんて吹き飛ばしてくれるような気がした。
振り返ってみると凌太の頬がほんのりと赤い。
再び凌太の大きな手のひらに指を絡ませる。
優しく握り返してくれるそれはさっきよりもなんだか熱を帯びているように思えた。
身を切るような風がコートの隙間を吹き抜けてゆく。
「うー寒。早くスタボ行こう」
私はそう言って凌太に身を寄せる。
「俺『ベリーベリーショコララテ』狙ってんだけど」
「あ、私も」
些細なことでも意見が合うのはなんだか嬉しい。
「絵梨、チョコ断ちしてんじゃなかったっけ?」
「まあお正月ぐらい、いいってことで」
「いい加減だなー」
ポケットの中でラピスラズリ色のお守りをぎゅっと握りしめる。
でも、もう黒い思いなんて湧いてこない。
それは凌太のポケットの中のリングと繋がっているようなそんな感じがして、なんだかちょっと頼もしく思えた。
〈完〉
最初のコメントを投稿しよう!