五話 刹那

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五話 刹那

 供した紅茶に口をつけると、ようやく落ち着いたのか、玉井(たまい)は息を吐いた。カップを置く頃には、平時の(たお)やかな瞳を取り戻していることだろう。  サスペンダー付きのスラックスにシャツで身を固めたサラリーマン風の男。玉井がここに来ることは、予知で知っていた。 「訊きたいことがあるんだろう」という自分の台詞も予知で見ていた。  まるで台本を渡されて、その通りに演じているような気分に陥る。いや未来の光景通りに動かなければならない以上、その感覚は正しいのだろう。 「全部お見通しってワケや──」  半眼で睨め付ける玉井が脳裏に浮かぶ。 「──僕が来ることを予見しとんねやったら電話にくらい出て欲しかったで」  彼は大袈裟に嘆息した。それも未来で見た光景と一致している筈だ。 「悪いね、家に電波が届かないもんだから」  戸建ての家は、三階までを全て異界で覆っていた。何かと干渉される身の上のため、世間から自宅ごと隔離したかったからだ。  異界には受動的怪異に匹敵する怪物を何体か放し飼いにしており、生半可な実力では白髭の下に辿り着くことさえできない。  が、玉井は何度も自宅を訪れていた。彼とは旧知の間柄だった。 「せやさかいメッセージを送っとくとか出来ることはあったやろ」 「うん。でも未来の私はそうしなかった。不思議なもので、未来の私は未来を予知している状態で行動を起こしている。だからその行動は変えてはいけないんだ。もう何度か言ってることで耳タコかもしれないが」  未来の白髭が判断した言動によって、これから望ましい結末へと辿り着ける予定だ。  無論、未来が望む結果ではなかったとしてもその通りにしなければならない。白髭は未来から現れる糸に操られるがままだ。  未来予知している自分を未来予知で見ている。それはつまり、現在の白髭自身を見ている過去の自分が同居していることを意味していた。現在の自分は、過去の自分へ未来の光景を届けるために存在している。だから未来で見た自分の言動を変えることなどできる筈もなかった。  時間という曖昧な概念の海で佇んでいることを理解した時から、自分の立つ現在さえ不確かなものに感じていた。真に地に足を着けているのか確証がない酩酊感は、いつでも狂気の引き金を引けるように準備をしている。 「……もうええわ。言わんでもわかるんやったら話してや」  玉井が訊きたいことも当然知っていた。東京に着地する筈だった異物の軌道を変えたこと。異物自体の正体。そして異物を巡りこれから起きることだ。  未来の内容をおいそれと話すのは主義に反するし、事実、未来の白髭が悪戯に未来の事象を話す姿を見たことはなかった。が、玉井には異物の詳細を開示する光景を見ているため問題はない。  むしろ現在の白髭も同様に話し、過去の自分にそれを伝える必要があった。終わらない予知の循環から外れることは避けなければならない。外れてしまえば最後。隣り合わせの神が顔を覗かせる。 「まず一つ。異物の軌道を変えて静岡に堕としたことだが、当然、悪戯にやったわけじゃない。メリットが見えたからそうしたんだ」 「おう。ほんで?」 「飽和寸前の真怪が十二体。それらの浄霊。また、浄霊に伴う使役者の退去。その使役者と対峙する残留した怨讐の消去。静岡に異物を堕とすだけで、これだけのメリットが発生する。イレギュラーにより、浄霊を逃れた真怪が一体だけ解放されてしまうが、それについてはまた後で話そう」 「意味がほとんどわからへん。やけど真怪が十二体もおるって部分は気になるな。使役者とやらがおるらしいが、普通、そないにぎょうさん真怪を操るなんて無理ちゃうん?」  未来の光景通りなら、玉井は腕を組み首を捻った筈だ。垂れた瞳を更に絞り、眉間に皺を寄せているのだろう。 「確かに無理だね。だけど使役者は稀代の天才。それを可能とした。しかし途方もない年月をかけて制御し続けたことにより、真怪の力が飽和しそうになっている。放っておけばそのうち全て解き放たれてしまうだろう」 「やけど異物を静岡に堕とすだけで、それら真怪の消去がほとんど可能ってワケやな。ううん。繋がりが見えてけえへん。もう少し具体的に教えてや」  玉井が早口に捲し立てる。口が乾くのだろう。瞼の裏で展開された光景では、彼が紅茶を飲んだりカップを置いたりと忙しない。 「ごめんね。それに関して、未来の私が話した形跡がない。次の話に移るよ」 「そんな無体な」 「異物の正体が気になるんだよね」  気にせず話を続ける。 「お、おう」 「アレは文字通り、宇宙の外殻だよ」 「それって、前に自分が言うてた網膜を焼かれた原因のことか?」 「うん」 「なんでそんな遠いところから遥々来てん」 「おそらく外殻は意志を持たない白痴。宇宙に圧を加える役割しか持たない筈。だから外殻自らではなく、それを切り取った誰かが地球に落としたのだろう。それがあの異物だ」 「誰かって、誰や」  玉井がテーブルに身を乗り出した。ネクタイがその上を這う。  未来の光景を瞼の裏で見ながら、 「月の裏に居る住人だよ」  答えた。 「宇宙人ってことか?」 「まあ、私たちから見ればそうだね」 「そんなんどうやって調べたんや」  部屋には二人しかいないというのに、玉井は仰々しく小声で訊いた。 「異界を地球の外まで広げて探ったんだ。何かおかしな点はないだろうかとね」 「一度、目をやられとるのに懲りへんヤツやなあ。ほんでそいつらの目的はなんや?」  月の裏で対峙する二体の怪物を思い起こした。片やおそろしく美丈夫な痩身の男。片や頭部の欠けた老人。  白髭は盲目だが、予知をした未来の映像を見ることはできた。それは脳内に直接流れ込んでくる記録の塊のようだった。視覚情報から得た情報ではないのに記憶に視覚情報として焼き付く感覚。これにもすっかり慣れてしまっていた。 「宇宙人は二体居る。一体は星の支配権を取り戻そうと躍起になっている。異物を利用してガイアとアカシャに穴を穿とうとしているらしい。もう一体は盤上遊びをしているだけに過ぎない」  奇妙なことに月の裏側に居る住人は、人の言語を解していた。美丈夫曰く、それが今の流行(マイブーム)なのだと言う。 「スケールのおっきな話になったなあ。それってつまり、侵略行為やん。嫌な予感しかせえへんけど……二つの理論に穴が空いたらどうなるんや」 「今の私では詳細を知ることはできない。ただ宇宙人のうち一体はこう言っていた。二つの均衡が崩れれば総督が復活する」 「なんか物騒やな。その宇宙人は、どうやって均衡を崩すつもりやねん」 「曰く呼び声。それを異物争いに参加した者の何人かに繋げているらしい。一時的な操作権といった感じで、パスを繋げた参加者が異物を獲得した瞬間、その場で操作した人間ごと異物を暴発させる腹積りだ」  本来なら地球が触れることのない宇宙の外殻が星の胎内で暴発すれば、一時的にガイアもアカシャも機能不全を起こすだろう。その隙を狙い、総督とやらを復活させるというのが頭部の欠けた老人の計画だった。  異物本体を操作してしまえば終わる話に思える。が、遥か格上の存在である宇宙の外殻に──それも星の膜越しに──干渉することはできないらしい。 「ほんで、盤上遊びに興じとるやつは、それを俯瞰して楽しんどるってワケか」 「そうだね。強いて言うなら、盤上遊び自体を目的としている様子だったよ。誰が異物を勝ち取るか、賭けているらしい」 「ふざけた連中やなあ。ちゅうか星の支配権を取り戻したい方は、直接地球に降りたらええんちゃうか? なんでこんな回りくどい方法で干渉しようとしとんねん」 「これは私も初めて知ったんだけど」  手許のカップを持ち上げて口をつける。 「人類以外が星に出入りすることは許されないらしい」  紅茶は既に温くなっていた。 「アカシャによる拒絶のせいやな」 「うん。本来、人類もガイアから拒絶される筈だけど、上手く共存しているみたいだね」 「概ね理解した。ほなら最後に……」 「異物争いの終着点だね」 「お、おう。それや」 「真怪と使役者の浄霊。それに伴う怨讐の消去。これはさっきも言ったね。そして異物はある怪物と一体となり、ある参加者の人生が始まる。こんなところかな」 「わざと漠然に言うてへんか?」 「バレたか」  肩をすくめてみせた。 「バレバレや!」  玉井がテーブルを叩いただろう音がした。その上に乗るカップが金属音を立てる。 「だけどさ、本来知り得ない情報を断片的にでも得れたんだから、それだけでも満足するべきじゃないかな」 「う。それを言われると弱いなあ」 「だから今日のところはこれで勘弁してよ」 「因みになんやけど。僕が争いに参加するって言うたら、どないする?」 「殺すよ」この台詞を読み上げる。  それが今日最大の目的だった。 「……」  これみよがしに異界で異物を操作して、玉井を自宅に(いざな)った。そして直接に釘を刺す。  何も示唆しなかったら、彼は争いに参加していた筈だ。そうなれば当然、未来を曲げかねない彼を遠方から殺すことになる。それは避けたかった。業界から消すには、彼の能力は貴重に過ぎる。  果たして、予知の光景通り、玉井は観念したとばかりに両手を挙げたのだろう。 「降参や。自分にそう言われちゃ敵わん」  同時に。  瞼の裏側に在る腕時計が時刻を告げた。 「時間だね」 「何の?」 「私が干渉する時刻だ」  自宅を覆う異界を解除した。未来の光景通りなら窓の外からは深緑の世界が霧散し、現代の街が姿を現した筈だ。凝縮した異界をテーブルの上に束ねる。 「ちょ、ちょいちょい! 急に何や!」  玉井の切羽詰まった声が耳朶を叩く。 「降参降参! 降参言うとるがな!」  椅子の倒れる音が響いた。 「大丈夫。君に対して使うワケじゃないよ」 「ほな誰にぶつけるつもりやねん!」 「使役者に」  異界の出力が最大に達した。その超質量を浴びせれば、稀代の天才と言えど無事ではいられないだろう。だから解放は刹那(0.01秒)の間に留める。白髭はあくまで助力の形でしか干渉してはいけない。未来がそう告げていた。  未解明手稿(Voynich Manuscript)。  それは未解読の手稿を下地にした脱出不能の檻。遍く探究心を束ねた不可侵空間。間借りの中途半端な異界ではない、白髭が生んだ正真正銘の原本だった。  黒で塗り潰された視界の中でも確かに判る超次元。それを両の掌で叩き潰した。乾いた肉の音が鳴る。 「これでよし」 「も、戻った……?」  窓の外は再び新緑の世界で塗り潰されているだろう。使役者に対する異界の役割は一瞬の目潰しだった。人外の速度で肉弾戦を繰り広げる彼らにとって、刹那の視界占有は命取りになる。その隙を突けば、相手が稀代の天才であろうと打倒可能な筈だ。事実、観測する未来に変動はない。 「これで全て、つつがなく進む」 「よおわからへんけど珍しいな、自分が干渉するなんて」 「うん。思うにこれは、私の物語じゃないんだ。俯瞰して見れば、たった一人の若者が自分の人生を取り戻すだけの話なんだよ」 「相変わらず意味わからへん。けど気になってた事はあらかた聞けたし、僕はぼちぼちお暇させてもらおかな」 「ああ。その前に、頼み事がある」 「なんや……嫌な予感しかせえへんけど」 「聞けないとは言わせないよ」
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