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〈3年になったら就活始めるから春休み、少し長くそっちに帰るつもりだけど貴之の都合は?〉  喜んでもらえると思って送ったメッセージ。夏はインターンシップに参加する予定だから思うように帰省できないかもしれないと、僕なりに気を遣って送ったメッセージ。  就活が始まれば思うように連絡を取れない事もあるだろう。自分の家を継いだ貴之に〈就活〉を理解してもらうのは難しいかもしれないと思い、出来る限り状況を伝え、不安を感じないようにしてもらいたいと思い、春休みは一緒に過ごす時間を少しでも多く作りたいと思ってのことだった。  貴之の都合に合わせてボクが帰省を決め、健琥はそれを避けて帰省するつもりだった。バイトも帰省に合わせて2人で都合をつけると話がついていた。 《春は新しい人が入るから忙しい》  それなのに貴之から返ってきたメッセージはそっけないものだった。 〈20歳の集い〉の時に試験を理由に同窓会に参加しなかったことが気に障ったのか、その後しばらくはそっけない連絡が続いたけれど、こちらはこちらで試験の準備があったせいで貴之の機嫌を取るのは試験の後でいいと思っていた。  この時期にボクが忙しいのは昨年と同じだからとそっけない連絡を都合が良いくらいに思っていた。  だけど、春休みになれば会える、それを楽しみに試験を乗り越えたのに拍子抜けだった。 〈じゃあ、週末に合わせて帰る〉 《週末に帰ってきても、時間取れないかもしれないから俺の予定は気にしなくていいよ》  予想していなかった返信に戸惑うけれど、それだけ仕事を任されたのだろうと思うことにする。 「何かさぁ、向こう帰っても貴之に会う時間ないって言われた」  バイトから帰ってきた健琥に思わず愚痴ってしまう。楽しみにしていたのは健琥も知っていたからボクの顔を見て苦笑いをしている。よほど不満そうな顔をしているのだろう。 「珍しいね?」 「うん。  貴之の都合に合わせて帰るって言ったのに〈新しい人が入るから忙しい〉だって」  会えない時間がないほど忙しいのかと不満を隠せないけれど、それでも仕事の邪魔はしたくない。 「仕事の無い日は?」 「週末も時間取れるかどうかわからないから貴之の予定は気にしなくていいって…」 「そうなんだ?」  ボクの話を聞いた健琥が変な顔をするけれど、ボクたちは2人とも〈雇用する側〉になった事がないから貴之のその対応が正しいのか、正しくないのか判別がつかない。 「それなら帰省、どうする?」 「貴之に会えないなら帰る必要無いかも…。なんか、こっちに遊びにきたいとか言ってたし」 「律希が帰らないなら僕もやめておこうかな。うちも遊びに来たいって言ってたし。  遊びに来たらって言ったら2人で来るんじゃない?」  2人で、とはそれぞれの母のことを指しているのは言わなくても分かりきった事だ。 「それならそう言っておこうか?」 「うちも言っておくよ」  そんな風に決めた春休みの予定。  帰省をしないと交通費も浮くし、バイトも入れるようになれば当然貯金も増える。これから就活が始まってしまえば思うようにバイトに入れない日も出てくるはずだから何の問題もない。  ただ、貴之に会えなくて淋しいだけ。  それでも貴之だって頑張ってるのだから自分も頑張ろうと、2人の未来のために今は我慢するしかないのだと自分に言い聞かせる。  だけど、その想いは遊びに来た母たちによって打ち砕かれてしまう。 「ねぇねぇ、貴之君のこと聞いてる?」  嬉しそうに言ったのはうちの母だった。遊びに来るのならば部屋に泊まればいいと言ったものの、わざわざ布団を買うのも借りるのも馬鹿らしいとホテルを取った母たちは、それでも一緒に食事でもと誘われてランチを楽しんでいる時にした会話。 「貴之の事って?」 「なに、律希ってば帰ってきても貴之君と過ごす時間の方が長いのに聞いてないの?」  そんな風に言われても何が何だかわからない。 「家を継ぐって事?」 「何言ってるのよ、そんなのまだまだ先の話でしょ?  だいたい貴之君、まだ見習にもなれてないし」  これは健琥の母の言葉。  ボクには頼りにされて、まだまだ経験が少ないのに仕事を任されて困ると満更でもないように言っていたけれど、母たちの認識はそうではないようだ。  それでは何を聞いているというのか…。 「母さんたちさぁ、そんな抽象的な言い方しても何が言いたいのか伝わらないよ?」  健琥の言葉に2人は目を合わせ、ふふッと笑う。 「幼馴染にだと照れ臭くて言えないのかしら?」 「男の子だしね」  その言葉にボクの中の何かが警鐘を鳴らす。  聞いてはいけない、聞かない方がいい。  だけど、現実問題席を立つわけにもいかないし、耳を塞ぐ事もできない。 「貴之君、このまま結婚しちゃうかもね?」  そんな母の言葉に動きが止まる。  何を言われたのか理解できない。 「…結婚って、貴之がですか?」  そう言いながら健琥がボクの足を軽く蹴る。しっかりしろと言いたいのだろう、きっと。  勘付かれるな、動揺するなと。 「そうなのよ。  何かね、毎日家に来てるって。  貴之君のお母さんに会うたびに自慢されるのよ」  健琥の母の言葉にうちの母もうんうんと頷いている。きっと、2人ともそれぞれ話を聞いているのだろう。 「あんた達は試験があるからって式にだけ出て帰ったけど、同窓会で再会しちゃったんだって」 「なんか、憧れよね。  まぁ、貴之君がイケメンだからなんだろうけど」  そう言って「自分の時は」なんて2人で盛り上がっているせいでボクたちの様子に気付いていないけれど、その会話はボクの耳に入ってこない。  同窓会で再会したのは誰にだろう?  毎日家に来て、結婚するのではないかと言われるような同級生。 「安珠ちゃん?」  口が勝手に動く。 「そうそう、そんな名前。  なんか、初恋の相手なの?  さすが幼馴染、聞いてるんじゃない」 「聞いてないけど…ずっと好きだったんだね、きっと」  ボクは笑えてるだろうか?  健琥がボクの足を蹴っているのは、変な事を言ってしまわないようにとの気遣いなのだろうか。  母たちは貴之と安珠ちゃんの話で盛り上がっているけれど、食欲のなくなってしまったボクは無理やり食事を口の中に押し込む。  皿の上を空にしてしまえば席を立つ事も許されるだろう。  そうか、そっけなくなった連絡はそのせいだったのか。  ボクの帰省を喜ばなかったのも、ボクの帰省を止めたのも安珠ちゃんとの事をバレるのを恐れ、安珠ちゃんとの時間を邪魔させないためなのだろう。 「車のシート、また動いてるんだろうな…」  ポツリと呟いた言葉に母たちは気付いていないけれど、健琥には聞こえたようで少しだけ強く足を蹴られる。 「母さんたち、喋るのもいいけど食べなよ。僕たち、この後まだバイトに行くんだけど?」  呆れたように言った健琥に「何でこんな日にバイト入れてるのよ」と不満そうな母たちだけど「僕たちが付き合って楽しいとこになんて行く気無いくせに」と言われればその言葉を肯定して苦笑いする。 「こんな時じゃないと羽伸ばせないし、2人の元気な顔見れたから良いんだけどね」  これはどちらの言葉だろう?  ボクはちゃんと元気に見えているのだろうか? 「律希、大丈夫?」  母たちは楽しそうに会話を楽しみ、ランチを楽しみ、そして「しっかり楽しんでくるから」とホテルの前でボクたちに手を振り背中を見せた。  その後ろ姿を見送りながら健琥がボクを気遣う。 「大丈夫ではないかな?  バイト、入れてなくてよかった」 「だね。  とりあえず帰ろうか?」  気遣いながらも余計な事を言わない健琥はこんな時に一緒にいるには最適な相手だ。 「初恋の相手だって」  貴之の初恋の相手、安珠になりたかった気持ちが蘇る。  ボクが安珠ちゃんになれていたら、貴之の隣にいるのはボクだったのだろうか? 「だから連絡も減ったし、帰ってこなくてもいいなんて言ったんだね」  思いついた言葉をポツリポツリと吐き出す。 「同窓会、行けばよかったのかなぁ?」 「前の晩は2人で過ごしたのにね」  健琥は相槌は打つけれど、何も言わずにボクの言葉を受け止めてくれる。 「健琥の言った通りだったね。  逃げ道、作っておいてよかった」 「…ごめん」  部屋に着くと健琥がそう言ったけれど、何のごめんなんだろう?  健琥は何も悪くないのに。  そう思いながら次の言葉を待つ。  帰り道でボクが溢す言葉をずっと受け止めてくれていたのだから、今度はボクが話を聞く番なのだろう。 「僕がこっちに誘わなかったら…そうしたら同窓会にも出れたし、彼女とのことも阻止できたのかも」  先のことを見据えて話してばかりの健琥なのに、今は過ぎたことを持ち出して落ち込んでいる。  こんな健琥は好きじゃない。 「どうだろうね?  こっちに来てなかったら…もっと早く駄目になってたんじゃない?  適度に離れてたから大事にしてもらえたし、執着もされたけど…きっと近くにいたら当たり前になって、大切にされなくなって、向こうに残ったことを後悔してたんじゃないかな」  健琥には言った事はなかったけれど、ずっと思い続けていたことだった。たまにしか会わないからボクに執着するし、好きにできるからボクを欲しがる。  健琥に対抗意識を持っている貴之は、帰省の間だけ独占できるボクに執着していたんだ。実家で過ごすよりも貴之と過ごす時間が長いことに満足して、貴之と会うために健琥の予定を決めさせる事に優越感を感じていた。  それは、純粋にボクのことを好きというよりも、ボクの環境が自分のために整えられることへの仄暗い喜び。 「貴之には貴之を支えるために資格を取りたいって言ったけど…本当は向こうに戻る気なんてなかったんだ」  ボクの突然の告白に健琥はただただ頷く。ボクがインターンシップに参加したいと相談している企業を見れば一目同然だったはずだから、きっと薄々は気付いていたのかもしれない。 「向こうに戻ったところであの会社でボクが生かせることなんて何もないし、貴之とボクが付き合い続ける未来なんて無かったんだよ。  そもそも、あの家が同性と付き合うことを許すわけがないし」  ボクが学生の間だけの、貴之がボクに飽きるまでの期間限定の付き合いだなんて、そんなことは初めから覚悟していた。  それ程までに〈初恋〉を忘れる事ができなかったんだ。 「貴之が怪我しなければこんな関係、あり得なかったんだ。  だから、少しだけでも願いが叶ったんだからこれで良いんだよ、きっと。  できればボクが学生の間だけでも貴之のこと独占できたらって思ったけど…初恋には叶わないよね」  ボクもそうだったからわかる事。  叶うならば叶えたいと思うのは当たり前のことだから、だから貴之が安珠ちゃんと付き合うのは必然。 「ちゃんと話してくれたらおめでとうって言えたのに…」  本心だった。  本心だけど、涙を止めることはできなかった。 「律希はバカだから」  ボクよりも傷ついた顔をして健琥がティッシュを差し出す。ボクの顔は相当酷いことになっているのかもしれない。 「我慢することないし、怒っても良いんだよ?  今すぐ電話して、怒って、泣いて、貴之が傷つく言葉言っても僕は止めないよ?」  健琥らしくない言葉に泣きながら笑ってしまう。 「いつかはこうなるって思ってたし。  相手が安珠ちゃんだとは思ってなかったけどね」  だから、ボクが貴之についていた嘘、就職して地元に戻るつもりなんて無かった事もきっとチャラになるだろう。     いつか、どこかからそんな話を聞いた時に、貴之はボクの呪いに、僕の嘘に気付き傷ついてくれるのだろうか?  貴之の気持ちを引き止めるために、貴之のために頑張っているのだと思えば貴之だって僕を蔑ろにできないだろうと思わせるための言葉。  それが嘘だったと気付いた時に、その時に少しでも傷ついてくれるのならボクの今のこの痛みも、きっと報われるだろう。 「貴之に連絡はしないの?」 「したところで何話せばいいの?」 「だよね…」  ブロックをする事もないし、着信拒否をするつもりもない。ただ、この先ボクからメッセージを送る事も、電話をする事もないだろう。  もっと言ってしまえばメッセージを返す事も、電話を取る事もないだろう。  そしてそれは、健琥もきっと同じ。  そんな風にフェイドアウトしたボクたちだったけど、結局は親伝手に出席を打診されて貴之の結婚式に出ることになる。  その頃にはもう気持ちに整理が付いていだボクは、ご祝儀だって親が用意すると言われればどうせなら美味しいものを食べてこようと、健琥と共に参加することを了承した。同窓会に出る事ができなかったボクたちにとっては20歳の集いの延長のようなものだ。  だけど、ボクたちの様子を伺いながらバツが悪そうに目を逸らす貴之はどんな気持ちだったのだろうか。  初恋の相手との晴れの日なのに、それなのに初めての相手のボクに気を取られる貴之は…この先もボクの呪いから逃れることはできないのかもしれない。  
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