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「貴之、安珠ちゃん、おめでとう」  その言葉に俺の隣で笑顔を見せる安珠はとても幸せそうだ。  ずっと以前、小学生の頃は艶々とした黒髪が印象的な彼女だったけれど、今はかなり明るい髪色でそれはそれで輝いている。猫のように大きかった目は、アイラインやつけまつ毛で強調され、更に大きく見える。 「ねぇ、健琥君と律希君は写真撮りに来ないのかなぁ?」  その言葉に気に周囲を見渡せば、律希と健琥が顔を寄せて話しているのが見えた。少し不機嫌そうな顔の律希はどんな気持ちでこの場所にいるのだろう?  律希が何か言い、それに対して健琥が苦笑いを見せると律希が唇を尖らせる。  その仲の良さに苛立ちを感じるけれど…今の俺にはそれを伝える事は許されないし、その感情を持つ事自体許されるものではない。  自分で選んだ道だけど、これで良かったのだと思うしかないのだけど…今、健琥のいる場所は俺の場所だったはずなのにという思いを消す事ができない。 「あの2人は写真嫌いだし、集合写真撮ったから満足なんだと思うよ?」  そんな風に言いながら「体調大丈夫?」と気遣う。余計な事を言って勘繰られても困るから、なるべく2人から意識を逸らしてしまいたいのが本音なのだけど…。  隣にいる安珠の事はもちろん好きだ。  お腹の中で育っている命も含め、これから先、俺が守るべきものはここにある。  だけど、一度は手に入れたのに手離すしかなかった律希には未練しかない。  もう一度話したい、もう一度触れたい、もう一度愛し合いたい。  そんな都合のいい事が許されるわけがないとわかっているし、そんな気持ちを安珠に知られてはいけないと思うのだけれども、それでも望んでしまう律希との時間。  安珠を気遣いながらも2人を気にしていたせいで何かを感じたのかもしれない。健琥と話していた律希が不意に俺の方に目を向けたため目が合いそうになる。  その視線を受け止めて笑う事ができたのなら違う未来があったのかもしれない。申し訳なかったと伝え、お互い若かったと笑い、〈幼馴染〉として3人で過ごす時間。  だけど現実問題、俺は目を逸らしてしまったし、2人が俺に笑顔を見せてくれる事はない。  母が何か話しかけ、律希と健琥が苦笑いしているのが見える。 「ねぇ、律希君も健琥君も呼んでみようよ?」  人気者の2人とどうしても写真を撮りたいのか隣で安珠が面白くなさそうに言うけれど、2人がこちらに来る事はないだろう。  律希にしても、健琥にしても、俺の疎外感を知っていただろうか?  幼馴染といっても家が近いだけの俺と、家族ぐるみの付き合いのある2人とは昔から微妙に距離感が違った。仲は良いのだけど、俺だけは一線引かれた感じがあったのは置かれた立場からだろう。  俺の家は会社経営をしていて、父方の祖父が一代で作り上げた会社をそれはそれは誇りに思っている家だった。  健琥の家は地元では有名な会社に勤めており順調に出世している父と、専門職に就きフルタイムで働く母。優秀な兄は歳が離れているせいか、俺たちからすれば憧れの存在だった。  律希の家は公務員の父と専業主婦の母、そして優しい兄。父の実家は元々の地主でどうやら不労収入があるらしい。うちの両親がやっかみまじりに言っていたのを聞いた事があるけれど、通学路の途中にある駐車場の連絡先に律希と同じ苗字が書かれているのを見ると、あながち間違いではないのだろう。  うちの両親は…言ってしまえば下世話だ。その辺もあって、家族ぐるみでのお付き合いというものをしてもらえなかったのかもしれない。そう気付いたのは家で仕事をするようになってからだ。  なんとなく優しい雰囲気の漂う律希の家と、人を寄せ付けない真面目さのある健琥の家だったけれど、母親同士が仲が良いせいで小学校に入学する前から健琥の両親の仕事が忙しい時には健琥の帰宅先は律希の家だった。  その辺も、2人の間に入り込めない理由だったのかもしれない。  そして、その距離は高校に入ると更に広がり、違う高校であるのに2人の噂を聞くたびに面白くなかった。2人は一緒にいるのに、それなのに俺はその中に入る事ができないのは何故なのか。同じように幼馴染なのに、それなのに隣にいる事を許された健琥と、一緒にいることすら許されない俺との差はなんだったのか?  後に、律希の初恋を見守るために、同性が初恋相手だった律希を守るために健琥が何かと気を遣っていたのだと聞かされた。そして、その初恋の相手が俺だった事も。  もしもその気持ちをそれぞれの親が知ったら。  健琥の親は冷静に受け止めて、その事を真剣に考え、そして律希の気持ちを尊重するだろう。もしも律希の想う相手が健琥だったとしても。  律希の親は我が子の気持ちをあるがままに受け止め、何があっても味方だと言いそうだ。  そして、うちの親は悪しき様に罵り、律希に対して俺に近づくな、俺を巻き込むなと言うだろう。  これがきっと、俺たちの間にある距離の理由。  そんな事が念頭にあったせいだろう、同窓会で安珠に声をかけられて付き合うことになったのは自然の流れだった。  あの日、前夜に律希と過ごしたのは試験勉強のために同窓会には出ずに帰ると言われたからだった。1日くらいサボってもいいじゃないかと思ったけれど、同窓会の翌日には授業があると言われてしまえば諦めるしかない。  式の会場では高校時代の友人と過ごした俺と、いつものように健琥と過ごす律希とは結局会うことは無かった。  正確には俺が避けたせいで顔を合わせる事がなかったのだけど…。  健琥と律希は昔から2人セットで見られる事が多く、この日も当然のように2人で行動していた。高校の同級生なのか、見覚えのない奴らと一緒にいるせいで苛立ちが募る。  周りの女子が2人を見つけ、声をかけようかどうしようかと言っているのを見て、面白くないと思ったのは当然のことだろう。  律希は俺のものだ。  律希を見るな。  そう言いたいけれど言えないもどかしさ。本当はその姿を隠してしまいたいのに、そのまま部屋に閉じ込めてしまいたいのに。だけど、それはできない事だから目を逸らして見ないふりをするしかなかった。 「今なら写真、大丈夫じゃない?」、そんな言葉が気になってしまい、チラリと目線をやれば女子に囲まれた2人が目に入る。2人して笑顔を見せ写真に応じているけれど、律希は少し不機嫌そうだし健琥は健琥で笑い方が嘘くさい。 「あの2人、こっちになんて戻ってこないよね」  そう言い出したのは誰だったのか。  2人が地方都市から出て、進学先に選んだのが大きな街だったのは地元では割と知られている。2人の親はその学校のレベルですら殊更吹聴するわけではないけれど、〈ご近所〉にうるさい隣人がいれば本人たちの意思に反して広がってしまう。 「うちの子の友達が」「帰ってくると必ずうちの子に会いにくるんです」自慢にならないような自慢をする親のことが正直恥ずかしかった。俺と律希の関係が、何かの拍子にバレるのではないかと怖かった。 「だって、こっち戻ってきても就職先なんて微妙じゃない?」 「公務員とか?」 「健琥君や律ちゃんが市役所にいたら待たされても許せそうだけどね」 「そう言えば、貴之君って2人と仲良いんじゃない?」  そんな会話のついでに俺の名前を呼んだのが安珠だった。 「貴之君、私のこと覚えてる?」  そう言われても正直わからなくて戸惑ってしまう。髪をアップにした目の大きい女の子は俺のことを知っているようだけど、周りにいる娘を見れば小中どちらかの同級生なのだけど、男子と違って女子は化粧で変わってしまうから迂闊なことは言えない。 「ごめん、覚えてる覚えてないじゃなくて、誰か予想もつかない」  言いながら一緒にいる子の名前を確認するとそちらは予想通り、小学校も同じでそれならばともう一度考えるけれどやはり分からない。 「安珠、相当変わったもんね」  一緒にいた子に名前を呼ばれやっと認識した安珠は俺の知っていたころとは全く違い、それでも可愛らしかった。 「髪…」  そして、思わず言ってしまった言葉に杏珠が笑う。 「通ってる専門学校が美容系だから真っ黒だと目立つんだよね」  言いたいことはすぐにわかったのだろう。染めた髪に手を添え話してくれる。元々、自分では黒すぎる髪が嫌いだったこと。高校を卒業してすぐに髪色を変えたこと。今日は着物の色に合わせて髪色を変えた事を得意そうに話す。グレーの地に艶やかな花模様を施された着物に合わせたと言う髪色はなんと呼べばいいのか分からないけれど、シルバーとまではいかないけれど白っぽく輝いている。付き合うようになって「白髪みたいだから他の色にして欲しい」とお願いした時に嫌な顔をされたけど、本来ならあの綺麗な黒髪に戻して欲しかったくらいだ。 「ところで、健琥君や律ちゃんとは合流しないの?」 「あいつら、式終わったらすぐ帰るって言うから別行動」 「マジ?  同窓会は?」 「明日、普通に授業あるから無理だって」 「今でも仲良いの?そう言えば」 「昨日は律希と遊んでたよ」  中学時代に戻ったような会話。  高校は工業高校だったため女子は少なく、仕事を始めてからは女子といえば事務員のお姉様方が相手だ。もともと部活が忙しくて誰かと付き合うことを避けていたけれど、女嫌いなわけじゃない。  こんな風に女子に囲まれるのはなかなかに楽しいシュチュエーションだ。 「貴之、誰としゃべってんの?  紹介してよ」  高校の同級生に声をかけられ安珠たちを紹介する。 「なになに?  可愛い子ばっかじゃん」 「貴之の中学、レベル高くない?」  そんな風に言われ、着物姿を褒められ、お互いに同窓会があると残念がるとノリの良い誰か達によって〈後日〉の約束が出来上がる。  いつの間にかメッセージのグループができ、どうせなら早いうちにと名乗りをあげた俺の友人が日にちを決め、場所を予約すると言ったところで席に着くように促され、それぞれ決められた場所へと移動する。  中学ごとに決められた席に座ると先に来ていた律希と健琥の周りは埋まっていて「やだ、健琥君と律ちゃんの近く空いてない」と文句が出るけれど「どうせまた帰ってくれば連絡あるし」と嘯けば静かになる。 「今度2人が帰ってきたら声かけてよね。そしたら一緒に遊べるし」 「3対3ならちょうど良くない?」なんて軽い言葉を聞きながら、ついつい2人の後ろ姿を睨んでしまったのは仕方ないことだろう。  律希の隣は俺の場所なのに。  当て付けのつもりだったわけではないけれど、同窓会で安珠と意気投合したのはそれが初恋の相手だったから。  律希が俺の事を初恋の相手だと言ったくせに、それなのに俺のことを蔑ろにするならば、俺だって初恋の相手と〈何か〉あっても良いはずだという訳のわからない理屈で安珠を誘ってみる。  残念ながら〈着物で同窓会に出るのは気を使う〉という理由で着替えていたけれど、それでも同窓会用に用意したというワンピースはとても可愛らしかった。  同窓会を終え、2次会3次会と流れ、最後に自分の部屋に連れ込んだのは自分の意思だったのか、酔っていたせいなのか。  律希と過ごした部屋で安珠と過ごす事に何の罪悪感も感じなかったのは酔っていたせいなのか。  この時、理性が働いていれば未来は違ったのだろうか…。  
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