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《おはよう、今起きた》  律希からの約束を取り付けたいけれど、いつ来れるのかは未定なままだ。  波風が立たないように毎日を過ごし、それでも律希に忘れられるのが怖くて事あるごとにメッセージを送ってしまう。 〈体育、見学するのだりぃ〉 〈昼メシ、足りねぇ〉 〈午後の授業、寝みぃ〉 〈部活無いとヒマ〉 〈帰ってもやる事ねぇ〉 〈宿題、やりたくねぇ〉 〈おやすみ、もう寝る〉  春休みに会っていた時にしていたような、雑談じみた言葉をメッセージにして送ってしまうのは律希に会いたいから。こんな風に送っていれば律希だってメッセージを送りやすいだろう。  日常の出来事を送るだけのメッセージには催促の意味もある。だって、会いたいのだから仕方がないじゃないか。  何気ない会話に返ってくるメッセージは嬉しい。 《おはよう。  起きるの遅くない?》 《見学、お疲れ》 《そっちの高校、購買は?》  言葉で返ってくることもあれば俺のメッセージに乗るようなスタンプを送ってくる時もある。  律希の好きなキャラクターが寝ているスタンプや〈頑張れ〉や〈おやすみ〉と言葉の入ったスタンプ。  こちらからのアクションにはちゃんと答えてくれるものの、俺の欲しいメッセージはなかなか届かない。  このままスルーされるようなら週末にでも電話をしてみようか、そんな風に考えながら〈おやすみ〉とメッセージを送る前に眠ってしまったらしい。 《明日、塾の帰りに寄るから》  夜中に目が覚めてスマホを開くとメッセージがいくつか入っている事に気づく。学校の友達や部活のグループ。部活のグループは本当はもう必要ないのだけれど抜けることができず、それでも俺にリアルタイムで必要な情報は無いから通知を切ってあるせいで放っておくと訳のわからない数が表示されていたりする。去年までは自分もその輪に入っていたのに一度外れてしまうとそのノリについて行くことができない。  そんな中で見つけた律希からのメッセージに寝ぼけていた頭が覚醒する。  時間を確認すると午前2時、流石に律希も眠ってしまっただろう。  メッセージをすぐに返したいのだけど、睡眠の邪魔にならないかと考え指が止まる。時間を確認するといつも〈おやすみ〉のメッセージを送る時間の少し前。律希の事だ、きっと既読がつくのを待っていたはずだ。 〈ごめん、寝てた〉 〈明日楽しみにしてる〉 〈おやすみ〉  もしかしたら既読がつくかも、そんな風に期待して送ったメッセージには当然だけど既読がつく事はない。いくら何でも起きるのには早すぎるともう一度眠りにつくけれど、律希との約束が嬉し過ぎていつもに比べるとだいぶ早く目が覚めてしまう。  メッセージにまだ既読は付かない。 〈おはよう、今日待ってるから〉  それでもダメ押しでメッセージを送る。 《じゃあ、また夜に》  少しの時間を置いて返ってきたメッセージ。律希も今、起きたのだろうか。、もしかして俺のメッセージで目を覚ましたのだろうか。  睡眠の邪魔をしてしまったのなら申し訳ないけれど、俺のメッセージがモーニングコールになったのかと思うと…それはそれで悪くない。 〈今起きたの?〉とか〈夜って何時?〉とか、色々と送りたい言葉はあるけれど、あまり聞きすぎるとドン引きされるかもしれない。ここは冷静に、そう思い最近よく使うスタンプで返事をしておく。  律希に送るために新しいスタンプを買ってみようか、そんな事を考えながらベッドから抜け出したのだった。  その日は1日浮かれていたせいで、学校では友人たちに気味悪がられた。怪我をして以降、ついつい不機嫌になってしまう俺が朝から機嫌良くしていたのだから仕方のない事だろう。 「何か良いことあった?」  そんな風に何度か聞かれたけれど「まあね、」とだけ答えておく。下手に情報を小出しして変に詮索されるのも面白くない。相変わらず小さくて可愛い律希の存在自体、こいつらに知られたくないと思ってしまう。 「じゃあな」  授業が終わり、さっさと帰り支度をして教室を出る。元チームメイトに「たまには顔出しに来いよ」なんて声をかけられるけど「動けないのに行ってももどかしいだけだし」と言えばそれ以上誘われる事はない。  この気持ちは本当の気持ちだ。  プレイをしている姿を見れば動きたくなるし、動きたくても動けない自分を自覚する。怪我をしたのが1年早ければリハビリをしてチームに戻る努力をしたかもしれないけれど、今から頑張って身体が動くようになった頃には引退だなんて…無駄だとしか思えない。  未練がないわけじゃないけれど、未練を断ち切るしかないのだ。  さっさと家に帰ってもやる事はなかった。だけど、何となく部屋の片付けをしておく。春休み中に何度もこの部屋にも通したけれど、何となく今日は今までと違う気がしたから。  時間はまだ夕方と呼ばれる時間帯だ。夜と言ったからには律希が来るのはもう少し遅くになってからだろう。  もともと今日も親はいないと言われていたため帰りに買ってきた弁当を食べておく。こんな時は時間が経つのが遅く感じてしまう。食べ終わるとやることがなくなってしまったためスマホを弄ぶ。  部活を辞めてしまうとこんなにも暇なのかと、こんなにも何をしていいのか戸惑うのかと我ながら呆れてしまう。 《もうすぐ着くよ》  そんな時に律希からのメッセージを受け取ったため玄関に向かう。きっと、健琥と別れてすぐに送ってきたのだろう。健琥のうちもすぐ近くだ、律希はもうすぐそばまで来ている。 「律希、待ってた」  インターホンの音と同時に玄関のドアを開けると驚いた顔をした律希が視界に入る。制服姿が新鮮だ。  俺の姿を見た律希は「自動ドア?」とニコリと笑い「お邪魔します」と誰もいない家の中に対して挨拶する。律希の家は常に母親がいるから〈家にいる人〉に挨拶するのは律希にとって当たり前の行動なのだろう。 「誰もいないよ。  2人とも飲みに行ったり、習い事行ったり、家になんかいないほうが多い」 「食事は?」 「それも色々。  用意してある時もあるし、金が置いてある時もあるし。部活やってる時は腹減って仕方なかったからとりあえず米だけは炊いてあったけど、今はそこまで腹減らないから」  心配させないように米と卵があれば何とかなると言いながら、律希の当たり前の行動や俺を気遣う言葉に律希の毎日の生活が滲み出ている気がして自分が笑っている事に気づく。優しい両親と優しい祖父母。兄は今は一緒に住んでいないはずだけど、今は健琥が兄のようなものだろう。  自分との環境の違いに少しだけ羨ましくなったのはきっと気のせい。 「俺が部活辞めたせいで親も夜出歩くのやめるとか言い出すからそれは止めてくれって言ったんだけど、毎日退屈でさぁ。だから律希が来てくれて嬉しい」  そしてこれが本音。  律希の家族の温かさを羨ましく思うけれど、だからと言ってそれを自分の親に求めようとは思わない。求めないけれど〈淋しい〉気持ちはどうにもできないから今、ここに律気がいる事に救われている。  なんだかんだ言って真綿で包むように優しくしてくれる相手を欲しているのかもしれない。 「上がれよ」  そう言って部屋に向かう。  告白じみた事を言ってしまってから初めて部屋に来るせいか、律希が緊張しているように見える。そして、その緊張が俺にまで感染ってしまう。 「いつの間にこんなに部屋、変わったの?」  そして今更ながら律希の言葉。  春休みにも何度もこの部屋に来ているはずなのに今更かと思ったけれど、とりあえず話を聞いてみる。  壁もカーテンも自分の知っているものと違う。本棚に並んでいた漫画が無くなってる。机の上にあったキャラクターもののデスクカバーはどこに行ったのだ、その言葉に笑ってしまった。  そう言えば中学に入り部活を始めてからはお互いの家を行き来することもなくなっていた。 「どうだろう、高校入るタイミング?  友達が来ても恥ずかしくない部屋にするって、入学祝いがわりにやってもらった。部活忙しすぎて友達と遊ぶ暇なんてなかったけどね」  部活という言葉に反応したのか律希の顔が少し曇る。人の痛みに寄り添って傷付く律希は優しすぎる。  床に敷いたラグに座り、取り止めのない話をしていると無意識なのかラグに付いた跡に律希の指が触れる。その跡を労るかのようにそっと指で撫でるとその指が艶かしく見えて焦って言葉を探す。「それな、腹筋ローラーの跡。  やらなくなっても消えないんだよ。  やってみる?」  指の動きにドキドキしながらそう言ってみると律希は首を振って拒否をする。見るから力の無さそうな律希にしてみれば当然の判断だろう。  ベッドを背もたれにして話している時も、時折ラグの跡に指で触れる律希は俺の言った言葉を覚えているのだろうか? 『告白だよって言ったら…困らせるよな』  あの言葉は嘘でもないし、揶揄ったわけでもない。律希と離れたくないという俺の本心。そして、指の動き一つに翻弄されているのは俺の中にある確かな欲望。 「会いに来てくれたのは俺の言葉を受け入れてくれたって事?」  会話が途切れた時に思い余って言ってしまった。このまま律希が部屋に来る回数を増やし、それが当たり前になった時に言おうと思ってきたのに気が付けば言葉が溢れてしまっていたんだ。 「貴之は今、淋しいだけだよ」  それなのに律希は常識的な答えを返してくる。確かにそうだけど、それだけじゃない。淋しさを埋めて欲しいのは、淋しさを埋められるのは律希だけなのに。  そして続けられる律希の言葉。 「部活頑張ってたから一緒に過ごしてた仲間に頼れなくて、久しぶりに会ったボクに甘えてるだけ。  健ちゃんは甘えさせてくれなさそうだからボクに甘えてるだけだよ」 「だから健琥の名前は出すなって」  聞こえてきた名前に苛立つ。  なにかと言えば出てくる健琥の名前が本当に腹立たしい。健琥の事が嫌いなわけじゃないけれど、何かにつけて邪魔をされている気がしてしまう。  苛立ちの理由なんて自分よりも律希の近くにいる健琥の事が気に入らないなんて、幼すぎるヤキモチに我ながら呆れるけれど、理解しても我慢できない事だってあるんだ。  でも、ついつい声を荒げてしまったせいで律希が怯えてしまった事に気がつく。「ごめん」そう言いながら隣に座る律希の肩を引き寄せ、その顔を覗き込む。あまり近づきすぎるとそのまま唇を重ねたくなってしまう。 「言ったよな、律希に毎日会いたいって。健琥よりもたくさん会いたいし、健琥よりも律希のこと知りたいって」  ゆっくりと、意識をしてもらえるように真剣な口調で気持ちを告げる。自分の気持ちを偽る事なく、自分の想いが伝わるように。 「気弱になってる時にボクが優しくしたからだよ、きっと。  貴之ってほら、安珠ちゃんのこと好きだったじゃん?」  そんな風に言いながら俺との距離を取ろうと身体をずらそうとするけれどそれを許す事はない。 「安珠って…」律希の口から出てきた意外な名前に驚くけれど、律希の中では小学生の頃に言った〈好きな人〉の情報がアップデートされていないのだろう。否定しようと口を開こうとするけれど、律希が言葉を続ける。 「健琥よりって、何対抗しちゃってるの?貴之も健ちゃんも同じ幼馴染でしょ?」 「違うっ‼︎」  律希の口から続けられた言葉と、出てきた名前に思わず声を荒げてしまう。このまま腕の中に閉じ止めてしまえれば良いのに。俺だけを見て、俺の名前だけを呼んでくれたら良いのに。   「貴之は今、怪我して不安になってるだけだよ。たまたま近くにいるボクに甘えてるだけ」  覗き込む俺からそっと目を逸らし、目を伏せ、自分に言い聞かせるかのようにそっと言葉を続ける。  確かに不安になってはいるけれど、〈たまたま近くにいる〉から律希に甘えるんじゃない。律希だから甘えたいんだ。 「駄目なのか?」  だから〈甘えてる〉に対して否定せずにそう答えると答えを探すように、俺の真意を探るかのように伏せた目を上げ、再び俺と目を合わせる。その上目遣いを見て改めて思う、律希が好きだと。 「甘え方にもよるかな?  幼馴染としてたまにこうやって顔出すくらいなら」 「そうじゃない。  幼馴染だけど、そうじゃないって律希だってわかってるだろ?  健琥じゃなくて、俺を見て欲しい。  健琥の知らない律希を俺にだけ見せて欲しい。  俺だけの律希になって?」  律希の言葉を遮って言い聞かせるように告げてみる。  律希は目を逸らさない。  律希は俺を受け入れてくれる。  律希は…俺を拒まない。 「お願い、俺を拒まないで…」  律希の意思を尊重しようとそう告げた後でゆっくりと顔を近づける。  律希が自分の意思で選べるよう、顔を逸らすことのできるよう、ゆっくりと、ゆっくりと。  だけど律希は顔を逸らさなかった。  だけど律希は拒まなかった。  俺たちは初めて、唇を重ねた。
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