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 そっと重ねられた唇。  唇を重ねても律希は拒否しなかった。  顔を逸らすこともなく、身を捩るわけでもなく。  受け入れられたと思った。  離したくないと思った。  このまま、ずっとこの腕の中に囲ってしまいたいと思った。  我慢できなかった。  我慢する必要なんて無いと思った。    はじめはそっと触れた唇を律希が拒否しないのをいいことに何度も何度も角度を変えて触れ、何度も繰り返す。  彼女はいなかったからキスなんてした事なんてない。だけど、これはきっと本能。  唇を何度も重ね、角度を変えてまた重ねる。律希が大人しいのを良いことにその唇をペロリと舐め、ハムハムと唇で甘噛みをする。こんなの、経験じゃなくて映像で見ていたものの見様見真似だ。あとは彼女のいる奴が得意そうに話した事の真似。  触れたい、舐めたい、挿れたい、男の本能なのかもしれない。  何度も何度も同じことを繰り返す。  唇を重ねる長さを変えたり、舐める場所を変えたり。甘噛みの強さも強くしたり弱くしたりと拒否されないことを良いことに好き放題だ。その時、苦しかったのか律希が薄く唇を開ける。  その姿が可愛くて笑みが漏れる。  律希のことだ、きっと親しくしているのは健琥くらいで、健琥は彼女がいたとしても律希相手に下ネタなんて話す事はないだろう。まぁ、初恋の相手をいまだに想っている純情な健琥が誰かと付き合う事なんてあり得ないのだろうけど。  それに、女子に間違えられそうな容姿の律希相手にさして親しくない同級生が下ネタを振ることもないだろう。ネタにされる事はあるかもしれないけれど…。  女子の下ネタはエゲツないと聞いたこともあるけれど、中学の時のように女子に可愛がられていたとしても律希に対して下ネタを振るような強者はいないと思いたい。  だからきっと、今しているキスは律希にとっても俺にとっても初めてだ。もしかしたら小さい頃に親と「チュッ」とキスをした事はあるかもしれない。だけど、律希の口内に触れるのは俺が初めてなはず。  薄く開いた唇をこじ開け、舌を捩じ込む。歯列をなぞると抑えが効かなくなってしまった。  律希の口内を、律希の舌を味わいたくて奥へ奥へと舌を伸ばす。舌を絡ませるなんて、相手の意思がないとできないのだと知った。それが悔しくて律希の舌を捕獲するためにもっと奥を目指す。 「………」  声にならない律希の声が俺の口腔に飲み込まれていく。それがもし否定の言葉だったら、そう思うとその言葉を聞きたくなくて、よりいっそう執拗に律希の舌を捉えようとしたくなる。  口付けというよりも、捕食。  このまま律希を喰らい尽くしてしまおうか、そんな凶暴な感情がむくむくと湧き上がる。律希のことを内側から貪り尽くしてしまいたい、そんな欲望を抑えることなく奥へ奥へと舌を押し入れる。  上手いとか、下手とか、そんなことを考える余裕もなかった。律希の反応を探る余裕もなく、とにかく口内を蹂躙する。 「ふぁ、ぅ、」  漏れ出た吐息が艶めかしい。  そんなことを思いながらも吐息が漏れることすらもったいなく思った時に俺のシャツを掴んでいた律希の指がはなれ、その腕が俺の背に回される。  回した腕に力を入れ、応えるように舌を伸ばした律希が愛おしくて、受け入れられた事が嬉しくて自然と口付けが深くなる。  舌を絡め、その舌を招き入れ、吸って、噛んで、また絡めて。  静かな部屋に舌を絡める音だけが響き、飲み込む事のできなかった唾液が律希の唇からこぼれ落ちる。 「ぃや、ぁ…」  こぼれ落ちた唾液に冷静さを取り戻したのか律希が突然動きを止める。だけど、一度知ってしまった甘さを逃す事なんてできなかった。 「たか、や…だ、やめて」  俺の回していた腕を胸の前に入れようとするけれど、そんなことを許さず抱きしめる腕に力を込める。その表情を伺うと泣き顔が見えてしまい、律希の拒否が伝わってくる。それが許せなくて何かを言おうと開けた唇に再び舌を押し込む。  拒否の言葉を聞きたくなくて、吐息が漏れるのも、唾液が溢れ出るのも許せなくてとにかくその唇を塞ぐ。  無我夢中だった。  律希を離したくなくて、律希が欲しくて、律希しか欲しくなくて。  律希の様子を伺うことなくただひたすらに律希を求める。ギュッと抱きしめ、吐息も、唾液も、零れ落ちる涙さえも惜しくて…。  その時になってやっと泣いていることに気づく。慌てて腕の力を緩めると強く抱きしめ過ぎたせいか、律希の身体から力が抜けるのがわかった。  気が緩んだことによる弛緩なのか、俺が離れたことによる安心なのか。 「なんで泣いてるの?」  律希も求めてくれていたと思っていたのに、それなのに涙に汚れた顔と、安心した様子に途端に不安になる。俺は何か決定的な間違いを犯してしまったのだろうか。何を言っていいのか、どうしたらいいのか分からず律希の言葉を待つ。  律希の顔を見ればその涙が喜びの涙ではない事は一目瞭然だ。 「……貴之、彼女いるんじゃないの?」  そして告げられた言葉。  俺から目を逸らし、まだ少し苦しそうに、絞り出すように告げられた言葉に驚くことしかできなかった。これだけ律希を求め、これだけ律希を想っているのに、それなのに今までの言動のどこで〈彼女〉の存在を疑われるのだろうか。 「なんで?」  間抜けな顔になっているのは自覚していたけれど、その言葉しか言える事はなかった。そもそも彼女がいれば、律希にこんな事はしない。  だけど、何か勘違いしたままの律希は言葉を続ける。 「彼女も部活忙しいの?  それともおじさんやおばさんに知られたくない?」 「なに言ってるの?」 「だって…」  そして止まってしまう言葉。  律希は何を言いたかったのだろう。  俺に何を伝えたいのだろう。  グズグズ泣き続ける姿は俺の嗜虐心を煽り、その涙を舐め、嗚咽を漏らす唇を再び塞いでしまいたい欲求に駆られるけれど、それを我慢して考える。  律希の伝えようとしている事を。  俺の取るべき行動を。 「初めてだよ?」  泣き続ける律希が何も言ってくれないため困り果ててしまい、正解かどうかわからないまま思いついた事を言葉に出す。 「キスしたのも、抱きしめたのも初めてだから。彼女なんて作るヒマ無いって、前にも言ったことなかった?」  まずは彼女の存在を否定する。  女に興味ないとは言わないけれど、そもそも彼女を作る時間なんてなかった。工業高校はそれなりに課題だって出るから部活をやって、課題をやってで精一杯だ。資格取得のための勉強だってある。 「あんなの、中学の時じゃん」  それなのに律希は疑う事をやめず、資格のことや課題のこと、部活がどれだけ忙しかったかを納得してくれるまで話すつもりで思いついた事を全て言葉に出してみる。 「部活、中学の時と比べもんにならないくらい忙しかったし」 「でも…慣れてる感じがした」  そして、律希の口から出てきた言葉。  慣れてる、とはさっきまでしていたキスの事だろうか。思わずため息をついてしまった。慣れてる、なんて思われたのが心外だし慣れてる、と思うような経験があるという事なのだろう。 「なに、それ。  誰かと比べてる?」 「そうじゃなくて、」 「誰?  健琥?」  結局はそこに行き着いてしまう。  健琥の様子を見れば2人がそんな関係ではないと理解できるけれど、それでも知っている名前が、思いつく名前が健琥しかないのだから仕方ない。 「ち、がぅ」 「じゃあ何で?  慣れてるって、誰としたの?」 「違うってば」  俺といるくせに他の男のことを考える律希をどうしてやろうかとその小さな顔を両手で包み込む。無理やり上を向かせ、目を合わせると逃げるように目線を逸らす律希を逃したくなくて無理やり唇を重ねる。 「ねぇ、誰のこと考えてるの?  俺が目の前にいるのに、誰とキスしたこと思い出してたの?」  さっきは迎え入れてくれたくせに頑なに結んだままの唇を何度も何度も啄む。  再び流れ出した涙が勿体無くて、唇だけでなくその目尻にもキスを落とす。涙は唾液とは違いサラサラとしていて少し塩の味がするのだと、汗ほど塩辛くないのだとどうでもいいことを考えた時に聞こえた言葉。 「ち、がぅ。  したことなんて、ない」  何を言われたかを理解するまでに少し時間がかかってしまう。  違う。  した事がない。  それはどう考えてもキスの事だろう。  無理にこちらを向かせていた手の力が緩むと、律希は目を逸らすのではなく顔を伏せてしまい、その拒絶に焦ってしまう。 「律希、ごめん。  …初めてだったのに、ごめん」  何に対してのごめんなのか、初めてじゃなかったら謝らないのか、自分の〈ごめん〉が何に対してなのかわからないままとにかく謝ってしまう。謝ってしまうというか、謝るようなことをしてしまった自覚がある。  そして、思いつくままに言い訳を並び立てる。 「慣れてるって言われて、誰かと比べられたと思った。誰かとしたことがあると思ったら、そいつのこと忘れさせたいと思った」  そう、謝ったのは唇を重ねた事じゃない。唇を重ね、口内を蹂躙したことに対しては謝る気はないし、謝る必要もない。だって、誰にも渡したくないのだから。  それならば何に対しての謝ったのかと言われれば、自分勝手に誤解して、律希の言い訳も聞かずに怖い思いをさせてしまったことに対してだ、きっと。  律希の初めてにマイナスの感情を与えてしまったことへの謝罪。  誰にも渡したくない、誰にも触らせたくない。  過去も、現在も、未来も俺だけの律希でいて欲しい。  自分勝手な独占欲に自分自身引いてしまうけれど、それでも律希が欲しかった。 「ボクは、慣れてるみたいで悲しかった。ボクじゃない誰かと何度もしたから、だからその人の代わりにされてるのかと思って苦しかった」 「…それって、ヤキモチ?」  下を向いたまま告げられた律希の言葉の意味を考えて、自分の勘違いではないのかともう一度考えて、そして出した結論に思わず頬が緩む。 「ねぇ、顔見せて。  ヤキモチ…嬉しい。  もっと、キスさせて」  自分の顔が、声が、気持ち悪いくらいにニヤけているのがわかるけれど止める事ができない。もう一度律希の頬を優しく包み込み、その顔を上げさせる。  潤んだ瞳と涙で汚れた顔が可愛くて、優しく、それでもわざと意識させるようにチュッと音をさせてキスをしてみる。  そう、口付けではなくてキス。   「これね、話に聞いてたの試しただけ」 「工業高校って、男ばかりだろ?」 「あんな事した、こんな事したって自慢話するんだよ」  言い訳しながら何度も何度もキスを落とす。 「馬鹿だからさ、誰かが話し出すと根掘り葉掘り聞くんだ」 「ああしたら良いとか、こうしたら良いとか、」 「した事なくてもした事あると思えるくらい聞かされるんだって」  勘違いした律希が可愛くて、嫉妬した律希が愛しくて、言い訳の合間に「可愛い」「大好き」と囁けば泣き止んだ律希が頬を赤く染める。 「律希も、同じ気持ちだって思って良い?」  その言葉に無言で頷いた律希は最高に可愛かった。  
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